一部欠けている私のマグカップ。今は余りのペン立てになっている。それを見て母は言った。
「そのコップ捨てたら?また必要になったら百円均一で似たような代わりの物買えるでしょ」
私はこう返した。
「このマグカップは私が高校を転校する時に、友だちがお別れ会でプレゼントしてくれたものなんだよね。ほら、私の名前のイニシャルが入ってるものをわざわざ選んでくれてる」
「……それは捨てづらいね」
「うん、俗に言う思い出の品です」
他人から見たらガラクタでも、その人によっては替えの利かない宝物だってこと、あるよね。
もしも君が生まれていなければ。
もしも君があの日僕に気づかなかったら。
もしも君が僕を好きになってくれなかったら。
もしも君が僕と喧嘩した時、先に謝ってくれてなかったら。
もしも君が僕のプロポーズを受けてくれていなかったら。
君と僕は、今日という日を迎えることはできなかった。
「誓いのキスを」
もしも君がいつか、しわしわのおばあちゃんになったとしても、僕は君を愛すると誓うよ。
それは君が作った、君だけのメロディのはずだった。
ある日、匿名でアップされたミュージックビデオ。一回聴いたら耳に焼き付いて離れないようなそのキャッチーなメロディに人々は熱狂した。その曲はたちまち大ヒットし世界的に有名な曲となった。
そして僕は気付いた。そのメロディは、いつぞやに君が作曲して音楽室で僕に聴かせてくれたものと同じだと。君があの時「将来はシンガーソングライターになるんだ」と夢を語っていたのが、つい最近のことのように思い出される。このミュージックビデオを出した謎のアーティストの正体は君に違いない。
僕は君にすぐ連絡した。「おめでとう」と。けど君から返信はなかった。
その翌日、君は自殺していたと聞かされた。これからだったのに、どうして……。
君が死んでからも、あの曲は流れ続け、作曲者が亡くなったみたいなニュースも出ず、その曲の歌手は顔を伏せて活動している。
つまりあのミュージックビデオを出したのは君ではなかった。君のメロディは盗まれてしまったんだ。君が最後に記したメモにもそう書かれていた。だから絶望して君は……。
今、僕は弁護士に相談し、あの曲が盗作である証拠を集めているところだ。
君だけのメロディ、必ず取り戻してみせる。
突然のにわか雨に降られて、私は公園の東屋の下で幼馴染と雨宿りしている。
「夏目漱石がI love youを月が綺麗ですねって訳したっていう話があるの。だからドラマで先輩が主人公に言ってた、月が綺麗だねって台詞は、そういう意味だと思うの!」
「あーそうなんだ、知らなかった……」
タケルはいつもこんな感じでボーっとしている。
「ねえ、タケルならI love youってどう訳す?」
「普通に、あなたを愛してますって意味だよね……?」
「そうじゃなくて!月が綺麗ですねみたいに間接的に訳すならって話!」
「えー……」
タケルは少し斜め上を見る。彼が考え事をする時の癖だ。やがて少し躊躇いがちに口を開いた。
「この雨が止まなければいいのに……かな」
「えっ」
今の私たちが置かれている状況に合いすぎていて、私は少しドキッとした
「へ、へぇ、タケルの割にはセンス悪くないじゃん」
隣のタケルの方を見ると、タケルはいつものように何を考えているのかわからないボンヤリとした表情をして雨空を眺めている。
タケルってまつ毛長いなぁ…。
いつも見てきたタケルの横顔だけど、そう気付いたら、なんだかドキドキしてきた。
雨音に包まれて
周りの音は何も聞こえない
傘の中の話し声
二人だけの空間