梅雨が明けて、夏の気配がする。
容赦なく陽が差してくる中、
日傘をさしてようようと歩く、
夏休みだけ帰ってくる君の気配がする。
ある日、学校でとある男子が私のことを好きだという噂が立った。
「ナナちゃんはあいつのこと好きなの?嫌いなの?」
私は正直その男子は、友だちとしては好きだけど、恋愛対象としては考えたこともなかった。
友だちはおそらく恋愛対象として好きか嫌いかの質問をしてきてるんだと思ったので
「別に好きでも嫌いでもないよ」
と答えた。
「ダメ!好きか嫌いかで答えてよ!」
私は困ってしまった。彼のことは恋愛対象としては好きじゃない。となると
「嫌い、かな……?」
その瞬間から、たちまち私がその男子のことを嫌っているという噂が流れた。
「あいつ、もうナナちゃんのこと好きじゃないって!よかったね!」
数日後、友だちが笑顔でそう言ってきた。
それ以来、あの男子とはろくに会話していない。もしあの時、私がもう少し上手く返答できていれば、今も彼と友だちでいられたかもしれない。
好き、嫌いなんて、そんな枠にはめなければよかったのに。
人は届かないのに追い求める。
それが夢なのか恋愛なのか、はたまた別のものなのかは人によるが、
おそらく大抵は、「届かないもの」より、「頑張れば届きそう」というくらいのものが、
使命であったり、運命の人だったりするんだと思う。
記憶の地図
ある日実家の押し入れを整理していたら、小学生の頃に自由研究で作った町の地図が出てきた。夏休みの炎天下の中カメラを持って町を巡って、目立つ建物の写真を地図に貼ったりして結構こだわって作った自信作だった。
「そういえばこんな建物あったなぁ……」
あれから20年。町の風景も様変わりしてしまった。この地図はもう古い。
けどこの地図を見てると、なんだか小学生の頃の街並みの記憶が呼び起こされてなんだか温かい気持ちになる。
これは持っておこう。もしかしたらうちの子の今年の自由研究のネタになるかもしれないし。
一部欠けている私のマグカップ。今は余りのペン立てになっている。それを見て母は言った。
「そのコップ捨てたら?また必要になったら百円均一で似たような代わりの物買えるでしょ」
私はこう返した。
「このマグカップは私が高校を転校する時に、友だちがお別れ会でプレゼントしてくれたものなんだよね。ほら、私の名前のイニシャルが入ってるものをわざわざ選んでくれてる」
「……それは捨てづらいね」
「うん、俗に言う思い出の品です」
他人から見たらガラクタでも、その人によっては替えの利かない宝物だってこと、あるよね。