昨日と違う私
題名にしては曖昧な表現の言葉だが想像力は膨らむ。
昨日とは違う、、具体的にはどう違うのだろうか。
昨日(過去)よりも成長している?
昨日よりも人格が変わっている?
それともそんなに深く考えずに見た目の話をしている?
真相は分からないが何か内面、外見が変化をしている事だけは分かる。
自分だけが分かる変化だとしても変わっている、成長している事には変わりない。
社会人、学生、老人、子供という立場は日々変化していくものである。
まるでその環境で上手く適応せざるを得ないカメレオンみたいに、、、
世間渡りが上手いといえば聞こえがいいが仮面を被り偽ってるとも捉えられる。
だからこそ素を出せる場所に近い環境を作る必要がある
環境に適応するのも一つの手だが今いる環境を居心地よくするのもストレス軽減の一手だと私は考える。
昨日よりも居心地が良く笑顔が増える場所を。
ストレスなく自分の意見を言え成長が見込める環境を。
見た目、内面の変化を褒める心の余裕を。
過去は変えられる。遅くは無い。
結果は直ぐに出ないが1歩ずつは確実に進んでいる。
焦らず自分を信じ歩んでいきたいものである。
過去の私よりも喜怒哀楽を大切にできる自分を。
雑談にはなるが昨日の私と今の私は変わったことがある
それはお腹の膨らみが少しばかりワガママになった事
くらいである。
光輝け、暗闇で
人はみな陰と陽を兼ね備えている。
時に暗闇でさまよい、時に光を求めて動き出す。
輝き方は個々によって変わる。
だがその人の生き方や考え方は暗闇を深く経験した人ほど味が出ると言われるのは何とも世知辛いものである。
挫折を繰り返すのは心を折るほど怖いだろうが一筋の光が見えた先の景色を同時に観ることができる。
夢に向かって努力を厭わない人。
平凡でも1つずつ着実に成果を上げ未来に
期待を寄せる人。
守るべき人がいる事で理不尽に耐えながらも
社会に貢献している人。
何かを失う事を恐れず自分の最大の魅力を発信し
続ける人。
異なる環境下でも輝けるように行動する姿勢は見習いたいものである。
人生に彩りを加えるためみな暗闇の中で必死にもがき光を灯そうと輝きの在処を探す。
多様性が普及してきた今だからこそ個人に焦点を当て暗闇の中にある自分らしさを見つけて行きたいと感じている。
遠くの声
何故か私だけ微かに耳に届く謎の声。
それも何度も何度も、、、
それは波長、音響でもない何か。
ただ誰かに呼ばれる気がする。
でも私がいる場所は空白の世界で辺りを見渡しても
わたし以外誰もいない。
それに寒くも、苦しくもないし
なんだかここに居るととても居心地が良くて離れたら
いけないと直感的に思う。
何故だろうか?
ん?私はまず誰なんだろうか?
真実
まゆみ!まゆみ!聞こえる?
ねぇ、目を覚ましてよ、、、、
私は血だらけの娘を抱きしめながら病院の集中治療室で祈るように願う。
娘は数時間前まで友達と出掛けるんだと嬉しそうな笑顔をみせ家を出たばかりだった。
警察の話によると娘は横断歩道の信号を待っている間にアクセルとブレーキを踏み間違えた乗用車に後ろから突っ込まれたのだという。
最近よくニュースで話題になってたとはいえまさかうちの娘が巻き込まれるなんて想像もしてなかった。
お医者さんは最善を尽くすと行ったっきり戻ってこない
私はそれでも一筋の光に希望を見出し事故直前まで私との通話記録があるボロボロの携帯電話を握りしめて。
幸せ
名前も分からない。何故ここにいるのかも分からない。
とりあえず歩いてみようかな?
私は身体を起こし裸足で歩き出す。
ペタ、ペタ、ペタ
地面は少しひんやりしている。
時々頭を突き刺すような鋭い痛みがあるが慣れれば
なんてことは無い。
ペタ、ペタ、ペタ、ペタ
ひたすら歩き続けるが見える世界は相変わらずだ。
はぁ、早く家に帰りたいな。
お腹すい、、、た?
いや、お腹なんて空くはず無いのに何言ってんの私、、
そう思いながら歩を進めていくと目の前に色鮮やかな
景色と花が咲きみだれている綺麗な橋がかかった場所に辿り着いていた。
わぁ、綺麗な所、、、
お母さんに見せてあげたいな、、、、
【ーーーーー】
【……………】
ん?私を誰か呼んでる?
まあいっか
それよりこの景色を携帯で撮ればよかったな、、
帰ったらお母さんに自慢しよ。
私は嬉しくなり小走りで橋を渡った。
願い
娘を亡くしてはや5年が過ぎた。
当時の娘は中学生に上がったばかりでこれから輝かしい未来を歩む際に起こった不慮の事故。
未だに脳裏に焼き付く娘との最後の会話。
当事者は罪を償っているが私はやつが許せないしこれからも許すつもりもない。
私はあれから高齢者の免許返納活動に積極的に参加している。
当時の娘が受けた被害が二度と繰り返さないように。
返納によって助かる命が1つでもある事を伝えるために。
この物語はフィクションです。
ひとひら
意味は薄く平らなものの一枚。
春が終わりを迎え新たな季節への段階に進む時期。
名残惜しくも儚い言葉だが桜が散るように一瞬の記憶を残すのも風情があって良いものである。
ひらり、はらりの言葉遣いは植物によく使われるが
人間にも使うと一気に印象が異なる。
ひとひらの想いをのせて。
はらりと切なく散る恋心。
物語の始まりと終わりを含む言葉でもありながら何処か身にまといし物をふつふつと感じさせる事も出来る。
ひらりと舞い散る桜を記憶に焼き付けるのもよし。
画像として手元に置いておくのもよし。
香りや味を楽しむのもとして栞や特殊な保存方法で食卓を彩る物として扱うのも良し。
何をするにしてもその人の個性が出るのもまた面白い。
来年の春のおとずれはどんな景色を観られるのだろうか
心を弾ませながら待つとしよう。
新しい地図
地図といえば何を思い浮かべる事が出来るだろう?
まず初めに日本地図、世界地図を思い浮かべる人も多そうだ。
一方で住宅地図、デジタル地図、道路地図、観光地図など普段何気なく使っている物にも地図は存在するのだがその事実を知っている人の割合はどのくらいだろうかと疑問に思う。
新しい地図はそもそも存在するものなのだろうか?
自分で一から創るオリジナルだからこそ地図と呼べるものでは無いかと私は考えている。
年齢や性別などは関係がない。
ただ少しの勇気と行動力、そして探究心こそ磨かれた
感性を生みそれが自信に繋がる。
実際に建物や道路などは埋立地の上に成り立っており
割合もかなり高めだと聞く。
地図はその上にしか建てないのも事実だ。
また私達の身近に新しい地図を創り叶えてる人も多く
いる。
一軒家がまさにその例だとしたらどうだろうか。
事実を知った事で行動力に繋がるだけでなく
異なる視点を持つことで得られる事も数多くあるのも
また地図を知る上での魅力だと私は考える。
※一軒家は住宅地図に分類されているが諸説あり。
幼き頃の探究心を大人になっても忘れずにもっておくのはとても大切である。
心の拠り所が少しでも増えるように地図上にある自分の好きを増やしていきたいと思う。