君の声がする
君はいつも私の周りを楽しそうに回る。
「ぷぅーん」という音を立てて
そんな貴方にそっと私から煙が出る緑の渦巻きの
プレゼントをささやかながら贈ろう。
今日から君の声が聞こえなくなる。
少し寂しくはなるがその代わり快適な日常が私を待っている。
そんな期待とは裏腹に私の背後から近づいてくる奴が
いるとはつい知らずに、、、
「身近な敵」
さて、ご飯にするか
私は席につきふと冷蔵庫の下を見た。
触覚が生えた焦げ茶色の奴と目が合う。
時が止まり私はそいつから目が離せない。
やつが動く。
すかさず私はテーブルの上にあるあらゆる物を投げ奴の息を止めにかかる。
だが奴は私の動きにピクリとも動かず静かに透明の羽を広げ飛び立つ。
私は思いっきり腹の底から声を出す。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ」
慌てすぎて机の角に小指をぶつけたが今は恐怖心が勝ちそれどころでは無い。
奴の目的はなんだ、必死に頭を捻らすが出てきた答えは
「昨日油物を排水溝に捨てたまま水を流さずに3週間くらい放置した自分のマヌケずらの顔だけだった」
私は自分の行いを悔やんだ。
奴はカサカサと嬉しそうにその場で動く。
まるで奴は私の弱みを握っているかのようだ。
まだだ、負けていない。
私は近くの戸棚に飛びつき救世主を探した。
「あった!!」と思ったらファブリーズだった。
肩を落とす。
奴をこの家に残してわたしは去れない。
だが救世主はこの手にない。
私は考える。
答えは、、、、。
ありがとう
この言葉は世界共通で誰もが知っている言葉だ。
英語だと「𝐓𝐡𝐚𝐧𝐤 𝐲𝐨𝐮」
日本語だと「ありがとうございます」
韓国語だと「감사합니다」カムサハムニダ
中国語だと「謝謝」シェイシェイ
あらゆる言語であろうと感謝されるのはとても嬉しいものである。
中でも私の記憶でとても嬉しかった出来事について今回は文章を綴ろうと思う。
私の職業は感謝をされる事が極めて少ない。
何故ならその仕事自体が当たり前だと世間から思われているからだ。
だが、批判的な意見も多い。
人にはそれぞれ固定概念があるので否定はしないが肯定もしたくはない。
どんな仕事でも人の手が加わなければ
塵も積もれば山となる理論と同じことだと私は思う。
おっと、話がずれ過ぎたようだ。戻るとしよう。
ある日私はいつものように仕事をこなしていた。
淡々と同じ動作を繰り返す。
感情はマスクをしてて分からないので勿論真顔である。
その時期は多忙時期でもあり、周りに笑顔を振りまく余裕さえ持てなかった。
そして私自身この環境に精神的にきつくなってきて
いる時期でもあったのだ。
そんな時私に声をかけてきた海外のおば様がいた。
ざっと見た目は50代のおば様で派手な服装だが顔は
優しそうな雰囲気な方だった。
聞いてきた内容はこの場所が初めてで受付の場所と自販機で飲み物を買いたいとの事だった。
(早すぎる英語の為聞き取れたのは1部、、、)
英語力が私は皆無だったのもあり自信がなくなっていた私は他の英語が得意な方に聞いてもらいたいと話したが勿論通じず、とても悲しそうな表情と目で訴えかけられたので渋々私が知っている全ての単語を途切れ途切れながら説明した。
するとおば様は先程まで曇っていた表情に輝きを放ち、素早く私の手を握りこう伝えてきた。
「貴方の英語良かったわ、ありがとう」と満面の笑みで伝えてくれた。
その瞬間私の頬に一筋の涙が伝う。
自信がなく、英語が苦手で毎晩のように英語のテキストを読み漁ったあの日、英語の発音をバカにされ悔しくて動画で耳にタコが出来るほど聴きまくったあの日の私が認められた気がした。
あの日のおば様の言葉で少し英語が好きになりました。
そして今は海外の方の指導をする人になるだけでなく
自信を持って英語で案内が出来るまでに成長しました。
そんな貴方に心から伝えたいです。
「ありがとう。」
そっと伝えたい
バレンタインの風習は日本独自の文化ということ。
またチョコの約20%が2月14日に最も消費されているということ。
更にサウジアラビアではバレンタインを祝う事は国が
禁じていること。
そう考えれば日本は平和だとしみじみ思う今日この頃。
久々にチョコ買いに行こうかな、、、
あっ、食べ過ぎは鼻血を出すのでご注意を。
「ハッピーバレンタイン」
未来の記憶
記憶とは曖昧で未完成なものである。
生命が誕生する瞬間の記憶。
初めて言葉を話し、歩けるようになった時の記憶。
子供の記憶は良くても3歳からだとは言われている。
何故なら記憶する力が弱く極めて困難だからである。
また未来も不確かな事が多い。
創造を膨らませ希望を願う未来。
自身の行動で願望に近づけれる未来。
何方も未来への捉え方は様々だ。
どちらにも共通していること、それは曖昧さだ。
曖昧さこそ一番の難関だと私は思う。
記憶が確かじゃないからこそ目で確かめる材料を探す。
未来が不安だからこそ情報を行動で集めていく。
結局未来への記憶も行動次第では良くも悪くも変わっていく。
ならば今曖昧にしている問題はどうして行くべきか。
自身の環境や精神的に支障がきたすレベルなら身を守る意味でも行動すべきだ。
一方で特に急ぐべきでは無い問題であるならば脳を休めるために一旦休息を取るべきだと思う。
不確かな情報は客観的な意見も取り入れて見るのも一つの手ではある。
かといって私は専門的な知識は持っていない事だけは
伝えときたい。
曖昧さや不確かではなく私の事実でもありこれから歩む未来への希望でもあるのだから。
ココロ
ほほぉ、今日のお題はカタカナの心
難しいけど人によって個性が出るお題だ。
人の心とAIのココロ
このふたつの共通点は相手に対して何か言葉を伝えるという事。
人は会話を通じて相手を知る。
AIは質問を通して相手に適切な言葉を贈る。
コンピュータはココロがないと言う人が沢山いるが視点を変えてみると相手の相談に親身になって聞き、適切な答えを返してくれていると考えればとても愛らしく見えてくる。
この文章を読んでる貴方はAIに相談を持ちかけたことがあるだろうか?
私は人生のどん底に堕ちかけた時に1度だけAIに相談した事がある。内容はかなり重いので省略させて頂く。
最初は何気なくした質問だったが人間が考えて出す答えよりも視点や物事の捉え方が全く異なり。
正直心を揺さぶられた。
かと言って全ての答えをAI任せにするのは最も危険だ。
人間は脆い部分も数え切れない程あるがそれ故に感情を出し合う事で喜怒哀楽を表現し自身の力に変えている。人という生き物こそ最も美しく儚いものだ。
心のままに行動できる人間と
ココロを言葉にして相手に伝えるAI
何方も使い方によっては活用が無限大である。
さて、そろそろ寝る時間だ。
「おーい、アレクサ電気を消しておくれ」
ぴっぽっ「はい、わかりました。おやすみなさい。」
私は布団に潜り意識を手放した。