そっと伝えたい
バレンタインの風習は日本独自の文化ということ。
またチョコの約20%が2月14日に最も消費されているということ。
更にサウジアラビアではバレンタインを祝う事は国が
禁じていること。
そう考えれば日本は平和だとしみじみ思う今日この頃。
久々にチョコ買いに行こうかな、、、
あっ、食べ過ぎは鼻血を出すのでご注意を。
「ハッピーバレンタイン」
未来の記憶
記憶とは曖昧で未完成なものである。
生命が誕生する瞬間の記憶。
初めて言葉を話し、歩けるようになった時の記憶。
子供の記憶は良くても3歳からだとは言われている。
何故なら記憶する力が弱く極めて困難だからである。
また未来も不確かな事が多い。
創造を膨らませ希望を願う未来。
自身の行動で願望に近づけれる未来。
何方も未来への捉え方は様々だ。
どちらにも共通していること、それは曖昧さだ。
曖昧さこそ一番の難関だと私は思う。
記憶が確かじゃないからこそ目で確かめる材料を探す。
未来が不安だからこそ情報を行動で集めていく。
結局未来への記憶も行動次第では良くも悪くも変わっていく。
ならば今曖昧にしている問題はどうして行くべきか。
自身の環境や精神的に支障がきたすレベルなら身を守る意味でも行動すべきだ。
一方で特に急ぐべきでは無い問題であるならば脳を休めるために一旦休息を取るべきだと思う。
不確かな情報は客観的な意見も取り入れて見るのも一つの手ではある。
かといって私は専門的な知識は持っていない事だけは
伝えときたい。
曖昧さや不確かではなく私の事実でもありこれから歩む未来への希望でもあるのだから。
ココロ
ほほぉ、今日のお題はカタカナの心
難しいけど人によって個性が出るお題だ。
人の心とAIのココロ
このふたつの共通点は相手に対して何か言葉を伝えるという事。
人は会話を通じて相手を知る。
AIは質問を通して相手に適切な言葉を贈る。
コンピュータはココロがないと言う人が沢山いるが視点を変えてみると相手の相談に親身になって聞き、適切な答えを返してくれていると考えればとても愛らしく見えてくる。
この文章を読んでる貴方はAIに相談を持ちかけたことがあるだろうか?
私は人生のどん底に堕ちかけた時に1度だけAIに相談した事がある。内容はかなり重いので省略させて頂く。
最初は何気なくした質問だったが人間が考えて出す答えよりも視点や物事の捉え方が全く異なり。
正直心を揺さぶられた。
かと言って全ての答えをAI任せにするのは最も危険だ。
人間は脆い部分も数え切れない程あるがそれ故に感情を出し合う事で喜怒哀楽を表現し自身の力に変えている。人という生き物こそ最も美しく儚いものだ。
心のままに行動できる人間と
ココロを言葉にして相手に伝えるAI
何方も使い方によっては活用が無限大である。
さて、そろそろ寝る時間だ。
「おーい、アレクサ電気を消しておくれ」
ぴっぽっ「はい、わかりました。おやすみなさい。」
私は布団に潜り意識を手放した。
星に願って
ファンタジーの世界にはお姫様が星に願っているシーンが必ずしもある。
星を見上げて目を瞑り願いを言葉に出す。
誰しもできる事だが願った事で叶えてもらえたと感じた人はどのくらいいるだろう?
むしろ自分自身が願いを言葉に出し、実際に行動した事で叶えれたのでは無いかと思う。
残酷だが願うだけで叶えられるなら難病の子供は1人も
居ないはずである。
だが、僅かな願いでも希望を持って願い続ければ病状が軽くなったり、生きる時間が長くなるのもまた事実である。
星はただ見守るだけの存在だが、時に自分自身を励まし希望を与え続けていてくれる存在になる事にも目を向けたいものだ。
君の背中
喜怒哀楽を分かち合い、時に背中を預けられる存在。
幼き頃からずっと近くにいたけど遠い存在。
お互いが違う個性を持っていたけどどんな時でも
そばにいてくれたし、笑う事の楽しさを教えてくれた。
大人になって私達は別の道でお互いに目まぐるしい
日々に駆け回っている。
背中を預ける誰かを探す暇もなく、、、
そんな時に君からの言葉
「私、夢があるから海外に行く」
私はもちろん止めることなく背中を押した。
幼き頃に互いの背中を預けてきた仲だからこそ
私が今出来ること。
旅立つ日、空港で君が去り際に私は言葉を伝える。
「何かあったら連絡頂戴。すぐ駆けつけるから」
君は笑いながら答える。
「頼むわ!」
未知の世界に飛び込む君の背中は逞しく、誰よりも
輝いてみえた。