GASP

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10/5/2023, 12:02:42 AM

『踊りませんか?』

「邪武、踊りませんか?」
 沙織お嬢様からその言葉を聞いた時は聞き間違いかと思ったが、こちらに微笑み手を伸ばすその姿は幻覚ではなく、オレは内心舞い上がりながらも努めて冷静に「喜んで」とその手を取った。
 遂に! オレの時代が来た!
 沙織お嬢様がとある企業のパーティーに出席することになった時、お供にオレを選んでくださった。星矢ではなくこのオレを! そして今、オレをダンスのパートナーに選ばれた。オレは諸手を挙げて万歳三唱したい気分になった。
 しかし、浮かれ気分もそれまでだった。オレは社交ダンスなど踊ったことはなく、悲しいことに踊りのセンスも持ち合わせていなかったようで、沙織お嬢様の足は踏むわ、他の客にぶつかって舌打ちされるわで散々だった。オレだけならまだしも、一緒に踊っていた沙織お嬢様まで物笑いの種にされ、オレは情けなさと申し訳無さでダンスが終わった後、顔を上げられなかった。

「申し訳ありませんでした、お嬢様」
 帰りのリムジンの中で、オレは沙織お嬢様に頭を下げた。
「あら、何がですか?」
 一方沙織お嬢様は、まるで何事もなかったかのような返事をする。いや、むしろ上機嫌に見えた。
「ダンスの件です。オレのせいで、沙織お嬢様にまで恥をかかせてしまって……」
「その事ですか。人の噂も七十五日、言わせておきなさいな」
 沙織お嬢様はオレに気を遣っているのではなく、本心からそう言っているようだった。訝しむオレに、沙織お嬢様は続ける。
「むしろ、あなたは期待通りでした」
「あの、無様な姿がですか」
「ええ」
 沙織お嬢様はやんわりと微笑む。
「実はあの企業の会長のお祖父様が、自分の息子と私を結婚させたがっていて困っていたのです。でも今日の姿を見て、厳格なあの方のこと、『ダンスも碌に踊れない者など息子には相応しくない』と思ってくれることでしょう」
「そんな理由が……じゃあ、ダンスの相手にオレを指名したのも、オレが踊れないと分かっていてですか」
「だってあなた、社交ダンスなんて踊ったことないでしょう?」
 そう言って沙織お嬢様は悪戯めいた笑みを向けた。その顔を見て、オレは言葉を詰まらせた。体よく利用されたわけだが、嫌な気分ではなかった。どんな形であれ、沙織お嬢様のお役に立てたのであれば喜ぶべきなのかもしれない。オレは沙織お嬢様に笑い返した。
「いつでもお呼びください。貴女のためならこの邪武、いくらでも道化になりますよ」

10/2/2023, 11:54:43 PM

『奇跡をもう一度』

 これまで、何度だって奇跡を起こしてきた。
 聖闘士の頂点である黄金聖闘士の中でも最強と謳われるサガを倒し、沙織さん――アテナを救った。
 天秤座の武器でも傷一つ付けられなかった海界のメインブレドウィナを破壊することだってできた。
 命を極限まで燃やし、神聖衣を蘇らせて、神を討つことだってできた。
 地上を狙う邪悪な奴らと何度も戦ってきたが、その度にオレたちは持てる力以上の力を引き出して、それらを退けてきた。
 友の力を借り、自分の小宇宙と命を最大限まで燃やすことで、オレはいくつもの不可能を可能にしてきたんだ。信じて貫けばできないことなんてない。どんな夢も信じれば叶うさ。
 だから今度だって、オレは奇跡を起こすことができる。オレは自分自身を信じる。
 オレは拳を握り締めて念じると、その手を大きく振りかぶり、ハンドルに手を掛けた。

 ガラガラガラ……コロッ

「残念、外れです! はい、参加賞のティッシュ」
「……」

10/1/2023, 11:57:38 PM

『たそがれ』(誰そ彼)

 そいつが声を掛けてきたのは、巨大な岩を転がせずにへたり込む情けない亡者を足蹴にしている時だった。陽気に声を掛けてきたそいつに、オレは亡者を蹴るのを中断して「よぅ」と返す。
「相変わらず仕事熱心だな」
「好きでやってんじゃねぇよ。こいつらの足腰がもっとしっかりしてたらオレももっと楽できるんだ」
「違いない」
 オレの冗談にそいつは大口を開けてガハハと笑う。マスクから伸びる二本の角がそれに合わせて揺れた。
 朗らかに接するオレだったが、頭の中は一つの疑問で埋め尽くされていた。

 こいつ、誰だっけ?

 こいつとは昔からの知己であり、第三獄を管理する同僚でもあった。当然、初めて顔を合わせた時にお互い自己紹介もしているはずなのだが、何故か名前を思い出せない。天敗星という宿星は覚えているのだが、そこから先が出てこない。今更本人に「失礼ですがお名前は何でしたっけ?」と聞ける訳がないし、かといって上司のラダマンティス様に確認するのも憚られる。
 そのため、顔を合わせるたびに愛想笑いをしているものの、実際頭の中はハテナマークだらけだ。
 あぁ、マジで思い出せない。

9/28/2023, 11:41:52 PM

『別れ際に』

「それじゃあ、また」
 別れ際に軽く抱き寄せられた時にフワリと感じた芳しい薔薇の香りに心が落ち着くと同時に、この香りをもっと長く側で感じていたいと心が掻き乱されているのに気付いて、僕はこの人のことがとても好きなんだということを自覚せずにはいられなかった。

9/28/2023, 12:02:24 AM

『通り雨』

 聖域から帰ってきたら、弟子が一人減っていた。
 ただひたすら泣き続けるもう一人の弟子――氷河から何とか話を聞き出すと、海底に眠る母に会いに行く途中に激しい潮流に流された、そこで気を失ったが微かにアイザックの声が聞こえたので、自分を助ける代わりに流されてしまったのかもしれない、という事だった。事実、アイザックは姿を見せず、私は数日間海底を含め捜索したが彼を見付け出すことはできなかった。
 氷河は、自分のせいだと自らを責めていた。それは事実そうだろう。私やアイザックから諫められても彼は母親に会おうとすることを止めなかった。彼の甘い考えが、アイザックの命を奪ったかもしれないのだから。
 だが、私は氷河を責めることをしなかった。彼を責めてアイザックが帰ってくる訳では無いし、常日頃からクールであれと教えている私自身が感情に任せて彼を咎めることはできない。何より、今の彼にそのようなことを言えば、彼はきっと自ら命を断つか、そうでなくてもこの地から去ってしまうだろう。弟子を二人とも失うわけにはいかなかった。
 私はなおも一週間、アイザックを探し続けたが彼を見付け出すことはできず、ひょっこりと戻ってくるようなこともなかった。ここに至り、私は彼が死んだという事実を認めざるを得なかった。
 私は氷原に立つ。目の前には氷河が開け、そしてアイザックがそこから飛び込んだとされる大きな穴があった。その穴をじっと見つめていると、突如雨が降り始めた。それは徐々に強くなり私の体を打つ。先程まで晴れていたので、恐らくただの通り雨、すぐにやむだろう。
 私は手を広げる。周囲の空気が冷え、天から降る雨は雪に変わった。これは鎮魂の雪だ。彼が死の間際、どのような想いを抱いていたかは分からないが、せめて魂は安らかに眠って欲しいと思った。
 私は踵を返し歩き出す。頬に一筋の涙が流れるが、私は振り返りはしなかった。

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