GASP

Open App

『踊りませんか?』

「邪武、踊りませんか?」
 沙織お嬢様からその言葉を聞いた時は聞き間違いかと思ったが、こちらに微笑み手を伸ばすその姿は幻覚ではなく、オレは内心舞い上がりながらも努めて冷静に「喜んで」とその手を取った。
 遂に! オレの時代が来た!
 沙織お嬢様がとある企業のパーティーに出席することになった時、お供にオレを選んでくださった。星矢ではなくこのオレを! そして今、オレをダンスのパートナーに選ばれた。オレは諸手を挙げて万歳三唱したい気分になった。
 しかし、浮かれ気分もそれまでだった。オレは社交ダンスなど踊ったことはなく、悲しいことに踊りのセンスも持ち合わせていなかったようで、沙織お嬢様の足は踏むわ、他の客にぶつかって舌打ちされるわで散々だった。オレだけならまだしも、一緒に踊っていた沙織お嬢様まで物笑いの種にされ、オレは情けなさと申し訳無さでダンスが終わった後、顔を上げられなかった。

「申し訳ありませんでした、お嬢様」
 帰りのリムジンの中で、オレは沙織お嬢様に頭を下げた。
「あら、何がですか?」
 一方沙織お嬢様は、まるで何事もなかったかのような返事をする。いや、むしろ上機嫌に見えた。
「ダンスの件です。オレのせいで、沙織お嬢様にまで恥をかかせてしまって……」
「その事ですか。人の噂も七十五日、言わせておきなさいな」
 沙織お嬢様はオレに気を遣っているのではなく、本心からそう言っているようだった。訝しむオレに、沙織お嬢様は続ける。
「むしろ、あなたは期待通りでした」
「あの、無様な姿がですか」
「ええ」
 沙織お嬢様はやんわりと微笑む。
「実はあの企業の会長のお祖父様が、自分の息子と私を結婚させたがっていて困っていたのです。でも今日の姿を見て、厳格なあの方のこと、『ダンスも碌に踊れない者など息子には相応しくない』と思ってくれることでしょう」
「そんな理由が……じゃあ、ダンスの相手にオレを指名したのも、オレが踊れないと分かっていてですか」
「だってあなた、社交ダンスなんて踊ったことないでしょう?」
 そう言って沙織お嬢様は悪戯めいた笑みを向けた。その顔を見て、オレは言葉を詰まらせた。体よく利用されたわけだが、嫌な気分ではなかった。どんな形であれ、沙織お嬢様のお役に立てたのであれば喜ぶべきなのかもしれない。オレは沙織お嬢様に笑い返した。
「いつでもお呼びください。貴女のためならこの邪武、いくらでも道化になりますよ」

10/5/2023, 12:02:42 AM