“夜の海”
夏にこの言葉を聞くと、花火を思い浮かべる。
そして、彼と花火と夜の海を見られたらと、願わずにはいられない。
秋にこの言葉を聞くと、月と輝く“夜の海”を思い浮かべてしまう。そして、彼と2人でお月見団子でも食べられたらと、夢物語を描かずにはいられない。
冬にこの言葉を聞くと、どこまでも深く沈んでいってしまいそうで、恐ろしい。
けれど、終わりのない地獄へ行く前に彼との幸せを掴めなければ、わたしは死んでも死にきれないだろう。
次の春もまた…“夜の海”を感じながら、彼のことを想えるのだろうか。この恋心が燃え尽きるのことが先か、この身体が持たなくなることが先か、選択肢は2つしかないだろう。もしも来年の春、彼が担任を持つクラスになれなかったとしても、わたしは今まで通り教師としての彼に(ネット上でこそこそと)愛を語り続けるし、教員という立場にも関わらずガチ恋をしてしまう痛々しいわたしは、到底、消えないだろう。
?“自転車に乗って” ?
私の場合は、バイクに乗って、だ。彼のバイクに乗って、彼の背中を頼りながら風に吹かれる。そんな夢物語が、いつかのわたしにも巡り巡って訪れて欲しい
今は電車で通勤する彼と、電車で通学する私だけれど、いつかの未来では私たち2人で、彼のバイクに乗って、2人だけの休日を謳歌したい。
今気付いたけれど、私はやっぱり彼のバイクに乗りたいのだろうけど、けれど、本当にしたかったことは、彼でいっぱいの1日が欲しくてたまらないのだ。
“心の健康”
“心の健康”はかなり、体の健康に近しいと思う。
体調不良のときは、心も悲しくなってしまうだろう?
体調良好のときこそ、心も元気だとわたしは思う。
だがしかし、体調良好が続くと、日々の健康、すなわち、日々の幸せに気付くことができず、たとえ体調良好であっても“心の健康”が損なわれてしまう。
大事なのは、毎日の健康や安全に気付くことなのだ。
日々の愛しさに感性を傾け、続く明日への愛を、私たちは育むべきなのだ。
けれど、わたしはそんなことどうでもよくて、ただ彼の授業をおとなしく受けるだけで、彼のお顔を見られるだけで、最高の幸せが手に入るのだけれど。
“君の奏でる音楽”は本当に綺麗だった。
綺麗「だった」。ピアノを弾いている姿をみて、美しい、私もあのようになりたい。君と同じような時を、君の居ないどこかでも、あの音と共に過ごしたいと思った。触れたこともなかったピアノに触れて、半年かけて君が弾いてた曲を弾けるようになった。けれどやっぱり、君が弾く音には敵わなかった。
もう君に恋をしていない今からすると、君が弾く音に敵わなかった敗因は旋律的な問題ではない。「君が」弾いている、ということが大切だったのだ。当時の私には、あまりにも「君が」美しすぎたのだ。
ただ、今はそんなことを、微塵も思っていない。私の方が遥かに上達し、大好き「だった」君のおかげで、更なる高みを志し、君に惚れ直したあの日から、鍛錬を築き続けている。
彼が“麦わら帽子”を被ったらきっと…♡♡
♡私よりも背の高い彼が(すき⁉️)
♡愛しいお髭をちらつかせながら(おぢ‼️♡)(そんなところがだいすき‼️)
♡しゅっとした顔立ちで(凛々しいよ〜⁉️)
♡眉を少しゆるめていて(可愛可愛可愛)
♡バイクに跨る彼はやっぱり…♡(いつも大人っぽいのにやっぱり男の子のロマンってかんぢ⁉️)
♡誰よりもなによりもすっごくかっこよくて!♡
♡“麦わら帽子”なんて被って、2人で風に吹かれて…♡
やっぱりちょっと、それでもちょっと、すごく素敵な人なんだけど…、はたから見ると、悪い人っぽい…やくざっぽい顔なんだよな…