“目が覚めると”
目が覚めたら、天国に召されていないかなとよく考える。もしも天罰が当たってしまって、地獄に召されたとしても良い。今だって生き地獄のようなものだ。これ以上に辛い地獄は無いだろう。
最近は、毎日が億劫で、泣かない日などない。なぜかはわからないけれど、気付けば泣いている。誰か、私の明日を輝かせてはくれないものか。思わせぶりでも良い、ただ、今だけでも、夢を見させてほしい。幸せを少しだけでも、感じさせてほしい。生きていて良いと、言ってほしい。
いつか目を覚ました時、彼の顔を一番に見たい。そして、おはようと言われたい。きっと、現実には起こらないけれど、夢くらい見させてほしい。泣き腫らした赤い目の奥で想像してみながら、また明日を迎える
“私の当たり前”
最近は、なんとも人間らしい生活を送っております。朝から起きて、通学して、友人と会話をして、昼食をとって帰ってきて、夜、決まった時間に床につくということが習慣化してきました。人間の道筋としては当たり前のことなのですが、これを全うできなかった私からすると、今できている全てのことが素晴らしいのです。
ここでみなさんにも、どうか、普段のいつも通りのあなたを褒めてあげてほしいのです。一日の中で何かを食べて、夜は布団に入っている。寝られなくたって構いません。いつか時が来れば、気を失うように眠れるのですから。あなたはそれだけで、偉いと、とっても大事な存在だと認めて欲しいのです。
けれど、最近どこか、こころがもやもやしてしまいます。人にイライラしているとかでは無くて、きっと、自分の惨めさや無力さに、腹が立っているのです。こういう時、みなさんならどうするのでしょう?いままで自分の殻に閉じこもっていた私には、ストレス発散の仕方が分かりません。「私は、なんと無力なのだろうか、このまま生きていられるのだろうか、」と落ち込み、涙を流しました。すると、だんだんとすっきりしてまいりました。泣いているうちに、これからどうしたら良いのだろう?いままでの何がダメだったのだろうか?。全てのもやもやが紐解いていきました。今まで私は、いらいらを声に出すとか、腹正しい気持ちを文章に書き留めるとか、ひたすら深呼吸をすることをしておりました。けれど、ひたすら泣いてみるというのもすっきりしました。
もし、みなさんの心がやられてしまいそうで、どうしようもなく悲しいお気持ちの時、泣いてみるのは如何でしょう。悩んできたことの解決策がふわふわと浮かび上がり、みなさんを励ましてくれるかもしれません。みなさんと、この情報を共有できてほんとうによかった、明日も共に、みなさんと生き抜いていけると嬉しいです。
“街の明かり”
月が、街が、輝いていると、ふと思えたのです
なぜかわからないけれど、どこか懐かしい気持ちになれました。私たちは、自然の愛おしさや、日々に溢れている街並みを眺め、愛するべきなのかもしれません。
けれど、人間とは愚かなもの。それらを失って初めて、今の生活というのは奇跡に近いのだと、本当は輝きに溢れていると気付くのでしょう。
私たちは、いつからこれらの輝きに慣れてしまったのでしょうか。すべてがきらきらと私たちを照らしてくれると言うのに。慣れとは恐ろしいものですね。
最後に、読者のあなたにして頂きたいことがあります。今度外に出た時、道端に咲く花や草、空を舞う鳥、明日もある空、自身の影を見て頂きたいのです。どれも素敵ですが、それぞれの歴史や意味を持っておられます。どうかあなたに、目を向けていただきたいのです。いつかのあなたを励まし続けてくれる、そんな、明かりのような存在に。
“七夕”
「先生は、願い事 何にするんですか?」
「そうですね〜、 みんなの健康です」
生徒想いの優しい彼はそう言う。彼の、どこか大雑把そうなところがすきだ。そして、言葉の隅々まで素敵なところが好きだ。彼からしか生み出せない言葉たちが、こんなにも輝いているのだ。完璧そうに見えて、本当は色々な欠点があるところが好きだ。目線が、動く眉が、優しくて好きだ。
今日は何故だか彼の好きなところがすらすら想える。七夕だからって、私は浮かれすぎているのかもしれない。だって、こうして今、夜空を見上げて彼を思い出しては、早く会いたいと、一緒になりたいと、わがままを願っているのですから
“友だちの思い出”
きっと、君との思い出を綴るとただの“友だち”との思い出になってしまうのだろう。君との思い出を誰かに話した時、“好きな人”との思い出と受け取る人間はほぼ居ないと断言できるからだ。
いくら多様性が進んだとしても、「付き合う」と聞くと、どうしても瞬時に男女が浮かんでしまうだろう。
ここで勘違いしてほしくないことがある。なにも私は、「だからもっと多様性が進んでほしい」「少数派への理解を」などと語りかけたい訳ではない。どちらかというと、理解も何も施してくれなくて構わない。ましてや少数派のわたしたち社会に向けて、「ああしてくれ」「こうしてくれ」と言える立場に居ない。
ただ、目に見える場で否定するのは違うだろう。たとえ当事者が傷付かなかったとしても、その友人や恋人、家族に被害が加わるのだ。治る肉体の傷跡とは違う、癒ることのない心に深く残る傷が。これは性別や恋愛観に限られることではなく、人種、肌の色、住む地域による差別にも同じように言えることだ。私は何を伝えたいかというと、人間として守らなくてはいけないルールを、見直さなければいけないということだ。
結局、私の願いはなんだったのだろう。
これは、今になるとよくわかる。いつか、君の性別、性格、出会いを隠すことなく、友人との恋愛話に花を咲かせたかった、それだけなのだ。