平穏な日々だった。
会社では残業続きだったが、信頼できる仲間達と共に夜を過ごし、休日には家でゆっくりと自分の時間を過ごす。
この日々が、ずっと続くと思っていた。
そんな日々が突如として崩れた。
ああ、明日の夕飯は何にしよう。
久しぶりに洋食にしてみようか。
カサッ
………
カサカサッ
もう、やめて……
ゴキブリ……
金木犀の香りがした。
振り返ると、髪の綺麗な女性がコートを翻して歩いていて、なんだか私は、恋に落ちたみたいだった。
私は金木犀が好きだ。
だけど、自然の中ではこんなにも可愛らしい甘さを持つのに、百貨店で香る金木犀はなんとも媚びるような甘さで嫌いだ。
常々、人工は自然に勝てないなと思う。
あの髪の綺麗な女性は、金木犀を家に飾っているのかな。
それとも庭に植えているのだろうか。
もしかすると、金木犀の妖精だったのかな。
なんて、いつもの妄想だ。
「私も、金木犀好きよ。あなたみたいで。」
あの彼女の面影をいつも追っている。
小さい命って?
お年寄りや赤子など、社会的に価値がない人達のこと?
人間を除いた、知能の低い動物や虫、植物のこと?
赤子や、生まれたての哺乳類動物のことを見て、小さい命や小さき命と呼んでいる場面を見たことがある。
ネットで、あるいは現実で。
じゃあ、成人した人達の命は、対比で大きい命とでも呼ぶの?
なら命とは、体や精神の大きさに比例するものってこと?
そもそも、〝命〟に大きいや小さいなどの形容詞を当てはめていいのかなあ。
私は、命はどんな生命にも平等に与えられた等しい価値のものであって、サイズ感的な形容詞を当てはめるには向いていないと思う。
だって、赤子を小さき命と呼ぶなら、大人は大きい命?
小さいと呼ぶなら大きいも無くては駄目だけど、大きい命っていうのは何に当てはめるのが正解なんだろう。
それが分からない以上、人類史の中に小さい命なんて言葉は存在させてはいけないのでは?
ふと、告白をしてみようと思った。
部活で知り合ったあの先輩。
ハッキリ好きという感情が湧いているわけではなかったけど、なんとなくで告白してみようと思ったので、した。
「好き、です」
パッと相手の顔を見ると、先輩は顔を赤らめて隠す。
「…ありがとう」
特にこれといった特別な言葉では無かったけど、私までなんだか顔が赤くなった。
あ、大好きだ。
好きだ、先輩。
今になって湧き上がる。
顔、見れない……
しゃく、しゃくしゃく、しゃく。
鮮やかな黄が足元にひかれている。
イチョウ並木のこの道は、この時期になると葉を沢山落として、何の変哲もないコンクリートを黄色の絨毯へと変貌させる。
そして、私はその道をゆっくり踏みしめて音を楽しみながら歩く。さながら気分は女王様だ。
いつものようにゆっくり、ゆっくり歩を進めていると、ふと銀杏が目に入った。
「イチョウは臭くて、大キライ。あなたの言ってることは分からないわ。」
はて?この言葉は誰から聞いただろう。その言葉を聞いて、幼かった自分は憤慨した、ような気はする。
こんな高飛車風な話し方、いたら覚えているような気がするのに、一向に言葉の主を思い出せない。
うーん。そんなに私にとって重要な人物でなかったのかもしれない。忘れよう。
「そういうところ、あなたも含めて嫌いって言ったの。まさか、私のこと忘れてるの?」
え?
『銀杏』