美しい
「美しい花を見に行こう」
彼はそう言って僕を無理やり外へ連れ出した。
花なんてどこで見ても一緒なんだから、花を見せたいんだったら花屋で買ってきてくれたらいいのに。
「ほら、ここにも花があるじゃん。僕はこれで十分だよ」
玄関を出てすぐ、お母さんがプランターで育てている小さな花を指して言う。
しかし彼は、僕の腕を離さずぎゅっと掴んだまま、前を向いて歩き出した。
「確かにこの花も綺麗だけど、今の君に見てもらわなくちゃいけない景色があるんだよ」
彼の珍しく真剣な横顔に、僕は黙ってついて行くしかなかった。
「うわっ、風強いね」
「この辺は一年中強いんだ。もうすぐ着くよ」
しばらく手を引かれてきたが、あまり馴染みのない場所に来ているようだ。初めて見る景色に、ちょっとだけわくわくした。
「さあ着いた。すごいでしょ、これ」
小高くなっている土手を登ると、そこには辺り一面、ピンクの花が咲き誇っていた。常に吹く強風の中、花弁を揺らしながらそれでも自立して堂々と咲いている。
名前も知らない花だけど、風に吹かれても自分の輝ける場所で根を張り、仲間と共に揺れている様に、心臓を鷲掴みにされた。
「美しいね」
「うん、そうでしょ」
「……もう一度頑張ってみようかな」
「……そっか。応援するよ」
「ありがとう」
親友がここへ連れてきてくれた理由が、なんとなく分かった気がした。
この世界はどうやら、私中心で回っているわけではないらしい。
私がもっと小さい頃は、世界は自分が中心に回っているのだと思い込んでいた。
家族、先生、友達、街行く人々、近所の野良猫。生きているもの全ては、私という物語の中に出てくる一要素でしかなくて、全ての出来事は私の為に作用しているのだと、信じてやまなかった。
私は言わばこの世界の王だ。何をしてもこの世界で咎められる事など一切ない。と、何度自分勝手な行動で他人を傷つけてきたのだろう。
ある日、私の信じていた世界が崩れ落ちたとき、漸くこの世界の豊かさに気がついた。誰が中心でもない、生きるもの皆がそれぞれが主人公で、毎日を一生懸命生きているのだと。
一人ひとりが輝くこの世界はなんて美しいのだろう。
どうして
日々の中で不満を感じると、どうして思い通りにいかないのかと、頭の中が"どうして"で埋め尽くされる。
考えたところで自分の感情が落ち着くわけでも、なにか答えが出るわけでもない。なのになぜか、頭に浮かぶのはどうして、なのだ。
誰かや何かのせいにしてしまいたくて、現実を見るのがどうにも怖くて、向き合うことから逃げてしまう。
原因が分かっているのであれば、改善することもできるだろう。それなのに原因を探ることさえ意識的に--はたまた無意識的にか--避けて、答えを出さないと決めた上で、ひたすら薄っぺらい"どうして"を唱えているのだ。私の発する"どうして"は、なんと意味を持たないのか。
一体これは誰のために、何のためになっているのかとふと思う。何かがある度に"どうして"に支配されるのはどうしてなのだろう。
夢を見ていたい
いつの間にか夢を見なくなった。
少し前までの自分は、身長も、人としての器も、何もかもが小さかった。それなのにバカみたいに大きな夢を、何個も何個も溢れるほど抱えていたものだ。
それは時が経つにつれて身や心の成長と反比例するように小さくなっていき、やがて夢を見ることさえ忘れてしまった。
人間というのは欲のある生物だ。現実ばかりを見て欲をかかなくなってしまっては、それは生きていると言えるのだろうか。
あの頃の、たくさんの夢を見ていた私は一体どこへ行ってしまったのか。
いつまでも夢を見ていたい。
ずっとこのままでいいのだろうか。
そんなことを今日もまた考えてみる。
特に目標があるわけでもなければ、何か特別面白い出来事も起こらない。ただ毎日決められた事を決められた時間にこなすだけのダラダラと過ぎていく日々。
何のために、誰のために生きているのか。もはや生きるとは一体何なのか、わからなくなってしまいそうだ。
どうにかしてこの不変的で意味の無い日々から脱却したい。しかし、その為に何をすればいいのかを考えることすら、日々の決められた生活の波から外れているようで、思考の船は繋ぎとめられたまま動く気配はない。
結局は堂々巡りのまま時間だけが過ぎていき、夜になるとまた布団に入り、今日と同じ明日を夢みて目を閉じる。
ずっとこのままでいいのだろうか。