「おじいちゃん、見てみて!綺麗だね!」
そう言って、目をキラキラと輝かせながら海を見つめる孫のリン。彼女とこうして海を訪れたのはいつぶりだろうか。今日は8月15日。私の妻であるリリーの命日だ。夜の海を見てはしゃぐ孫の姿を見ながら、リリーも海が好きだったなと思い出す。
「リン。夜の海は危ないから気をつけなさい」
「はーい!」
本当はお盆に、しかも夜に海へ行くことは危険だと昔から言われているが...。リンが「今日はどうしても行きたい」と言っていたため連れてきたのだ。
私の妻が亡くなったのは、リンが小学生に入りたてのとき。まだまだ幼くて周りの状況が分からない年頃だった。そのため最後の別れのときは、リンだけ別室で待機させたのだ。あの子の心が壊れないように。
けれど歳を重ねるうちに理解してきたのだろう。リンは毎年、妻のお墓参りに行くと「ごめんね」と謝るのだ。きっと恐らく「お別れが言えなくてごめんね」という意味なのだと思う。そう思うと、あの時の自分たちの判断は間違っていたのかもしれないと、後悔と罪悪感が湧き上がってくる。
しかし、今回は違った。いつもなら「ごめんね」と言って「帰ろうか」となる流れなのだが、今回は「ごめんね」も言わずにずっと笑顔で、それで「海へ行きたい」と言い出したのだ。その変化に最初は戸惑ったが、彼女の中で何か折り合いがついたのかもしれない。そう思って見守ることにした。
「ねぇ、おじいちゃん」
「なんだ?」
「...おばあちゃんも海、好きだったんだよね?」
「そうだね」
「そっかぁ...」
リンはそう言ったっきり黙ってしまった。いろんな感情の整理をしているのだろう。少し一人にさせて方がいいだろうか。
「リン。少し一人になりたいか?」
「ん?全然大丈夫だよ!」
「そうか?」
「うん!...さて、そろそろ帰ろうか。このままだと身体が冷えちゃうからね!」
大丈夫だと言ったリンは、いつものように笑っていた。いや、そう見えるように笑ったと言った方がいいだろうか。この子は今、高校2年生。まだまだ脆い部分がある女の子だ。周りに心配をさせまいと気丈に振舞っているのだろう。それがなんだかとても悲しく思えた。
「...リン。帰りにアイスを買って帰ろうか」
「え、ほんと?やった!ありがとう!」
身内の死というものは、月日が経っても癒えることのない傷となる。だから今だけは、この子の心が穏やかでいられるように。そう思いながら私は夜に願った。
【#3海の夜】
『きみは賢い子だ』『どうか忘れないで』
誰かが僕にそう言った気がする。その人が誰なのか、何を伝えようとしていたのか、そして僕はそのとき何と答えたのかなんて、もう憶えていないけれど。でも、何となく不思議な感覚があったことだけは憶えている。ふと、それが懐かしいと思ってしまったんだ。
*********
「――いちゃん、おじいちゃんってば!」
私を呼ぶ声に沈みかけていた意識が浮上した。目を開けた先に飛び込んできたのは、まだまだ幼さが残る高校2年生の孫の姿だった。
「あぁ、リンか。どうしたんだ?」
「どうしたんだ?じゃないよ!今日はおばあちゃんのお墓参りに行くって約束じゃない!ほら早く支度して!そろそろ出かけるんだから!」
リンはそう言って他の家族の様子を見に行った。
あの子は長女ということもあり、とてもしっかりした性格をしている。口調が荒いのは、恐らく思春期特有のものだろう。あの年頃の子を相手するには、少しばかり神経を使ってしまう。内面がやわっこくて、とても繊細で複雑だから…。
私はリンの言葉を聞いて思い出した。今日はおばあちゃん――私の妻の命日なのだと。妻の名前はリリー。白百合のような儚い見た目をしていた彼女に一目惚れをして、猛アタックしたのがきっかけだった。
実際に付き合ってみると、彼女は意外と激情家なのだと思い知らされた。まず責任感が強い。年下の子は守るべきものだと思っているのか、周りの下級生たちをよく気にかけていたし、そして年上の人に対しても、間違いがあると感じたら物怖じせずに反論していた。私はそんな見た目と中身のギャップに面白さを感じた。そして同時に彼女は繊細だった。見た目の儚さとは異なる意味で。感受性豊かと表現した方がしっくり来るかもしれない。とにかく喜怒哀楽が分かりやすかった。私はそんな彼女のことを愛おしく思い、そして守ってやりたいと思ったのだ。
そんな彼女が空へ還ったのは、今からもう10年も前のこと。急性白血病で亡くなってしまったのだ。最後の別れのとき、元々肌白かった彼女の顔は新雪のように消えそうな見た目になっていた。その事がひどく切なかったのを今でも憶えている――
「おじいちゃーん?まだ?そろそろ時間だよ!」
「分かった分かった。今準備するよ」
どうやら物思いにふけるのは許されないらしい。孫からの本日2度目の呼びかけに、私は重い腰をあげて準備にとりかかった。
ふと窓越しに空を見上げると、曇天の空から光が差し込んでいた。私はなんとなく、それがリリーの呼びかけに思えた。
(リリー。私もすぐそちらへ向かうことになるだろう。そのときはまた、たくさんお話がしたい...。それまでどうか見守っていてくれ)
そんなことを願いながら、これから彼女が眠る場所へ行ってくる。そこで何かが起こりそうな、不思議な感覚を感じながら。
……To be continued
【#2終点】
彼を一目見たとき、僕は天使なのかと思った。
白くて長いローブを身にまとい、ふわふわと漂っているその人。見た目はおじいちゃんみたいで、長い髭を生やしていた。
でも、どうやら天使ではないらしい。
天使と聞いて誰もが思い浮かべるであろう、天使の輪と天使の羽が見当たらなかったのだ。だから僕は、不思議な見た目をしているその人に問いかけた。
「あなたは…天使ではないの?」と。
すると、目の前の人はニコりと笑ってこう言った。
『きみが天使だと思うのであれば、私は天使なのかもしれないし、そうではないと思うのであれば、私はそうではないのだろう』と。
やけに遠回しな言い方だなと思った。
否定された事は、言い直したくなるものじゃないのだろうか?それとも身分を明かせないほどの人なのだろうか?
ますます分からなくなった僕は状況を把握するため、他のことを聞いてみることにした。目の前のおじいちゃんみたいな人は、とりあえず「天使(仮)」とでも呼んでおくとしよう。
「あなたはどこから来たの?なぜ宙に浮いているの?」
『私は空から来たよ。宙に浮いているのは、この世の者ではないからだ』
「この世の者ではない?じゃあやっぱり、あなたは天使なんじゃないの…?」
天使(仮)は、僕の疑いの視線を諸共せずニコニコしながら質問に答えてくれた。そして、たくさんの質問を投げたことで、彼のことについて少しだけ知ることができた。
曰く、空から来たというのは、具体的に言えば雲の上のことで、今は地上で生活している人々の様子を観察し、彼らを運命の輪の中へ正しく導くことを仕事にしているとのこと。
天使(仮)の話を聞きながら、僕はもう一度彼の姿を見た。確かに見た目は天使っぽいけれど、それにしては仕事の内容が壮大すぎると感じた。
(人々を運命の輪に導くだと?そんなの神様でもない限り信じられないのだが?)
そこまで考えた僕は、1つの答えに辿り着いた。
「…もしかしてあなたは、天使なんかじゃなくて神様なの?」
そう問いかけたとき、天使(仮)は一層笑みを深めてこう言った。
『今きみは「自分には何も無い」と無価値感を感じていないかい?大丈夫だよ。きみには素敵な能力があるじゃないか。きみは賢い子だ。目の前の事象や思い込み等に惑わされることなく、自分の頭で考えて答えを導き出すことができた。その能力は素晴らしいものだよ。どうか忘れないで。きみの価値はきみ自身が見つけるものだということを。その答えを見つけられる日は、意外と近いということをね』
天使(仮)。いや、神様はそう言うなり、ふよふよと空へと昇っていった。その間も笑みを絶やさずに、まるで僕のことを見守っているとでも言いだけな顔で。
…僕は神様から言われた通り、ここ数ヶ月無価値感を抱いて生きていた。仕事が上手くいかずに病気になり、3年付き合っていた彼女とはそれを機に別れてしまった。失敗続きの僕に何の価値があるのだと、自暴自棄になっていたところだったのだ。
確か神様はこう言っていた。『人々を運命の輪の中へ、正しく導くことを仕事にしている』と。それが本当なら、彼は僕の運命の軌道を正しい場所へ導きに来たのだろうか?だから姿を現したのか?
そう思ったら、なんだか神様に感謝したくなった。
彼から言われた僕の素晴らしい能力。それは僕自身が気がつかなかったものだ。誰からも言われたことのない、自分でさでも知らなかった僕の能力。それを神様が見つけてくれた。
そして神様は『きみの価値はきみ自身で見つけるものだ』と教えてくれた。ならば、僕は僕の価値を見つけに行こうじゃないか。
思い出したんだ。昔から何かを探究することが好きだったことを。夏休みの自由研究は誰よりも熱心に取り組んだし、僕自身も楽しんで研究していたし、何より先生や家族から褒められたことが嬉しかったんだ。
なんだ。やりたいこと、たくさんあるじゃないか。
好きだったことも、たくさんあるじゃないか。
何が無価値だ。僕には「これが好き」と言えるものがあるじゃないか。それは価値のないものか?いや、それこそ価値のあるものだろう?
そこまで考えたら、なんだかやる気が出てきた。好きなことをもっと深めていきたい。今すぐ仕事を始めなくても、貯金はあるから数ヶ月は生活できると思う。まずは心のリハビリだ。好きなことを好きなだけ楽しんでやろう。
神様。ありがとう。
あなたのおかげで、僕は新たな道へ歩き出せそうだ。
【#1神様が舞い降りてきて、こう言った】