『きみは賢い子だ』『どうか忘れないで』
誰かが僕にそう言った気がする。その人が誰なのか、何を伝えようとしていたのか、そして僕はそのとき何と答えたのかなんて、もう憶えていないけれど。でも、何となく不思議な感覚があったことだけは憶えている。ふと、それが懐かしいと思ってしまったんだ。
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「――いちゃん、おじいちゃんってば!」
私を呼ぶ声に沈みかけていた意識が浮上した。目を開けた先に飛び込んできたのは、まだまだ幼さが残る高校2年生の孫の姿だった。
「あぁ、リンか。どうしたんだ?」
「どうしたんだ?じゃないよ!今日はおばあちゃんのお墓参りに行くって約束じゃない!ほら早く支度して!そろそろ出かけるんだから!」
リンはそう言って他の家族の様子を見に行った。
あの子は長女ということもあり、とてもしっかりした性格をしている。口調が荒いのは、恐らく思春期特有のものだろう。あの年頃の子を相手するには、少しばかり神経を使ってしまう。内面がやわっこくて、とても繊細で複雑だから…。
私はリンの言葉を聞いて思い出した。今日はおばあちゃん――私の妻の命日なのだと。妻の名前はリリー。白百合のような儚い見た目をしていた彼女に一目惚れをして、猛アタックしたのがきっかけだった。
実際に付き合ってみると、彼女は意外と激情家なのだと思い知らされた。まず責任感が強い。年下の子は守るべきものだと思っているのか、周りの下級生たちをよく気にかけていたし、そして年上の人に対しても、間違いがあると感じたら物怖じせずに反論していた。私はそんな見た目と中身のギャップに面白さを感じた。そして同時に彼女は繊細だった。見た目の儚さとは異なる意味で。感受性豊かと表現した方がしっくり来るかもしれない。とにかく喜怒哀楽が分かりやすかった。私はそんな彼女のことを愛おしく思い、そして守ってやりたいと思ったのだ。
そんな彼女が空へ還ったのは、今からもう10年も前のこと。急性白血病で亡くなってしまったのだ。最後の別れのとき、元々肌白かった彼女の顔は新雪のように消えそうな見た目になっていた。その事がひどく切なかったのを今でも憶えている――
「おじいちゃーん?まだ?そろそろ時間だよ!」
「分かった分かった。今準備するよ」
どうやら物思いにふけるのは許されないらしい。孫からの本日2度目の呼びかけに、私は重い腰をあげて準備にとりかかった。
ふと窓越しに空を見上げると、曇天の空から光が差し込んでいた。私はなんとなく、それがリリーの呼びかけに思えた。
(リリー。私もすぐそちらへ向かうことになるだろう。そのときはまた、たくさんお話がしたい...。それまでどうか見守っていてくれ)
そんなことを願いながら、これから彼女が眠る場所へ行ってくる。そこで何かが起こりそうな、不思議な感覚を感じながら。
……To be continued
【#2終点】
8/11/2023, 8:09:58 AM