祖母の家は、午後3時なのにとても薄暗かった。
なぜか周りには誰もいない。
3時ちょうどの重々しい振子時計の音だけが、室内に響き渡る。
幼い私は、恐怖心とも違う、切なさに似た感傷を感じながら、光が差し込む南側のカーペットの上でうとうとしていた。
大袈裟な時計の針の音ともに目が覚める。
ふと顔を上げると、手拭いを頭に巻き、青いもんぺを履いた祖母がタンスの前に立っていた。
私は強い瞼の重みを感じ、またそっと眼を閉じ眠る。
私は微睡みの中で、会った事の無い祖母を「祖母」だと認識していた。
時計の針の音と共に、幼い私が初めて感じた感傷だった。
薄暗の中。小さな寝息を立てている、ぷっくりとした頬とおでこを愛でる。
朝の用意をあんなに急かさなければよかった、とか。
あのくらい、叱らなくてもよかったのかな?とか。
洗濯物なんてほっといて、もっとたくさん抱きしめてあげたらよかった…とか。
微睡む時の中で、後悔と反省が宙を舞う。
あまい匂いと抗いようの無い重力で、いつの間にか眠りにつく。
私の無骨で大きな手でも、余り過ぎるほどの愛しさ。
ふと…我が子の向こう側で、すやすやと妻が先に寝息を立てているのを確認してから、再度私は微睡んだ。
髪の抜けた頭を抱きしめながら、彼は泣いてくれた。
そう、過去に妹は話していた。
これは実話であり、本当にあった話。
その彼とは、今は別れているが、その彼が今でも妹にとって最愛の人であるのは、側から見ても分かる。
現実の感情として、彼の事が好きであっても。
現実の理性や環境は、それを許さない。
彼女の病気は膠芽腫グレード4。
今はまた、その当時とは違う病と闘っている。
「最期」もう一度、妹を抱きしめてくれる人が現れることを切に願っている。
彼女(実母)は思考する事を「止める」ことで、生きる上でのタスクを減らしていっている。
今や彼女は、小難しいことは一切考えなくなり、特別な判断は私が行っている。
たった100年前の世の中であれば、家の中で姑と呼ばれる女性は、日がな縁側に座り三度の食事を待つものであったし、それは人間の一種のストレス回避術で、防衛本能である気がしている。
だから、認知症は「神様がくれるもの」
とある精神科医のお話は、その通りだと思う。