表現欲が尽きるまで。

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1/5/2026, 3:07:26 AM

幸せとは


幸せよりももっと単純で美しいものを探している。

「単純」とか、「美しい」とか、よく分からない言葉。
私はよく分からない。
なぜなら、どこからが単純で、どこからが美しいか、
分からない。

そんな言ったら、どこからが複雑で、どこからが醜いのか。いやどんな言葉だって分からないのかもしれない。

それらの言葉は人それぞれの基準であって、
基準における「正解」など分からないじゃないか。

そうだ。私の目指しているものの手前にある「幸せ」だってもっと分からない。

曖昧な言葉こそ、それになろうとすると、
不安とか心の迷いが起こる。

そんなこと考えたら、
最初に言った「幸せよりももっと単純で美しいもの」

これってなんだ?

心から適当に引き抜いた言葉の意味が不可解に感じてきた。

私は、「幸せ」に対する不信感がある。
「幸せ」って、まるで人生を救って明るくして、このままでいたいと思えるようなものだと、子供の頃は思っていた。

そんな、子供の頃、感じていた「幸せ」とは別れ、
大人になって裏切られた。そんな幸せなど幻想だと。

それから私は「幸せ」よりももっと綺麗な存在になりたいと思うようになった。

例えば、「健康的な心身」のような、
人間本来の状態が綺麗な存在だと思っていた。

私はそんな状態からは、かけ離れている。
心身共に健康とは言えない。

だけれど、なんとなく漠然とした願い。
それが「単純で美しいものになりたい」。
それが私にとっての綺麗な存在。

逆に私にとって、複雑とか、醜いとか、
そんな言葉を人間に置き換えると、
不幸な人間が思いついた。

私はきっと「私は幸せになりたい」と言えるほど、
単純になるべきかもしれない。

その単純さが美しさを滲み出すのなら、
私の望みは幸せなのかもしれない。
私の望みは、
自分が思っていたよりもっと手前にあったのだ。

私の心から出る言葉を作品化しようとして、
「幸せよりももっと単純で美しいものを探している」と
書いたが、私には素直さが足りなかったようだ。

素直になれば、自ずと幸せになるためのスタート地点が見つかるのだろうか。

さて、私はどんな幸せが好きだろうか、


9/14/2025, 11:33:08 AM

「君と見上げる月…🌙」


新月になればいいのに。

誰かを想える余裕がないほど、

心が真っ暗になれば、

心の愛が満たない私の悩みだけで済むのに。

9/13/2025, 11:22:11 AM

「 」


数年前。

言いたかった。言葉を。

出したかった。声を。


そして、今取り返した。


「やっと人間らしくなったな、自分。」


「『助けて』をちゃんと自分の声で言えるなんて。」




9/12/2025, 10:42:09 AM

「台風が過ぎ去って」

台風と聞いたら、
あなたは何を思い浮かべるだろうか。

風、嵐、暴風、家が吹き飛ばされる。

家が吹き飛ばされるような、
今までの日常がひっくり返るような、
そんな出来事に遭ったことはあるだろうか。

私はある。

中学生の頃。
思春期の男子は声変わりをする時期だ。

その時期に私は声変わりに失敗した。

声変わりの時期に差し掛かってすぐ、
健康的な声は一切なくなった。

掠れた声と、息だけの声と、無音の声。

声を出している感覚はあるのに、声は出ていない。
そんな無音の声も存在していた。

私は今まで出してきた健康的な声がひっくり返り、
声だけで日常がひっくり返った。

まるで、一面に広がるオセロの白が
だんだんと黒へと変わっていくように
声を上手く出せないという生きづらさは
日に日に増していった。

そんな生きづらさから逃れようと、
自分なりに声を上手く出せるようになりたいと、
必死に努力した。

とにかく歌。歌を歌うことをほぼ毎日した。

歌。歌。歌。熱唱。歌。熱唱。

こんな日々を繰り返していた。
掠れた声でも、歌で生を実感できた。

そんな日々を続けて2年半。

やっと、健康的な声が出せるようになってきた。

台風は過ぎ去ったのだ。

私の中にあった台風は、
頭の先から足の先まで通っていた。

生きづらさに悩まされる頭。
憎いほどに上手く声を出せない喉。
ストレスで食べ物を欲しなくなるお腹。
ストレスで起きたらフラフラと歩く脚。

身体全体にノイズがかかっているような感覚だった。

そんな頃と比べたら、
今の身体の中は、あったとしても大雨くらいだ。

晴れの時もある。

晴れ、曇り、雨という身体の日常は、
これ以上ない幸せ。

台風を知れたからこそ、大雨に耐えやすくなった。

台風を乗り切った後だからこそ、
今までにあった日常が有難く思える。
そして、戻ってきた日常が喜ばしくてしょうがない。

あなたにとって人生の中での台風は、
どんな台風でしょうか。

いつかは、あなたの心身にも
台風がやってくるかもしれません。

なぜなら、地に降りる台風が自然現象のように、
心身の不調も自然現象の一つだから。

日頃の健康を大切に。



9/11/2025, 2:30:31 PM

「ひとりきり」

ひとりきりは寂しい。

あなたはそう思うだろうか。

私は「ひとりきり」という文字を見て
一番最初に思い浮かべた景色は、

人工物から解放された場所。
自然が地平線の端まで続く場所。

見下ろせば、葉の緑と、土の茶で埋めつくされた土地。
見上げれば、快晴の青々とした空。

そんな場所に、たった一人で降り立った時の視点。

この視点は、私が死にたかった時、
死ぬ前に見たい景色として思い描いていたものだ。

死ぬ時は、「ひとりきり」で死にたい。
そう思っていたから、過去の死にたい自分の理想が
このお題とリンクした。

私にとって、「ひとりきり」というのは、
他の人間が誰もいなく、人工物も全くなく、
自然で覆われた場所で一人、清々しい呼吸をする時。

誰からも評価も目線も存在も気にせず、
人間が生まれる前から地球にあった自然を
目と呼吸で存分に感じる時。

そんな時、人間に依存せずとも、
地球が私を愛してくれている。
世界に私の居場所がある。

そう思ってから、死のうと思っていた。

でも、今は死にたくない。

だからこそ、「ひとりきり」にはなりたくない。

「ひとりきり」が私の理想ではなくなってしまった。

今の私は、人間との距離感を
自分で上手く調整できるようになってしまった。

「なってしまった」ってなんなんだろう。

喜ばしいはずなのに。

それは、あの頃の「ひとりきり」感性が
少しだけ魅力的に思えるからだと思う。

生きづらさにしか生み出せない感性は必ずあって、
生きづらさから逃れた時、
あの頃の感性も頭から抜け落ちている。

このお題をきっかけに過去の記憶を蘇らせても、
感性は再吸収できない。

これから、新しく出会っていく感性と
向き合っていくしかないのだ。

「ひとりきりになって死にたい」

という過去の私の感性を失ってしまっていることに
私は、「寂しさ」を感じている。

明日も生きなきゃいけない。
死ぬ時の希望だった、私の「ひとりきり」は、
私にとって救いだったのかもしれない。

明日も生きよう。

でも、また死にたくなったら、

あの感性と再会させてくれ。




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