桜色の水面で

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9/25/2024, 2:22:33 PM

窓から見える景色が随分と綺麗で、車から降りると風が冷たくて。秋が来たのかと思うと早いなとも思うし、待ってたよって気持ちにもなる。

私は冬産まれだからなのか分からないけど、寒いのが好きだし得意。でも夏が嫌いかと言われればそうでも無い 。
なぜって? そりゃ、楽しいことがいっぱいあるから。
文化祭に体育祭、夏祭りに花火大会。ありふれた夏だけどやっぱり大切だし楽しい。でもいちばん楽しかったのは季節関係なく友達とはしゃいだ日。

学校帰りに公園に一緒に寄って撮った春の淡い暁と透明な青の空や夏の真っ青で触れられそうなくらい大きい入道雲がある空、秋の雲が疎らに散った涼んだ空。ただ写真を撮るだけだし、撮ってみると案外写りが悪くて実際の見た目と違ってしまうから他の人には中々共有しにくいけれど。でも、撮った私たちはその空を思い出せるから。思い出が強く現れていいなって思うんだ。写真ってその瞬間の一部だけを切り取る物だから、窓から見える景色と似た感じになりやすくて、なんとなく朝の車内からそんな事を思ってしまう。

一緒に居るヤツとはまだあって半年くらいだから、冬の空はまだ見てない。いつかの放課後に冬の空も撮れたらいいな。
そしたら嬉しいからね。

7/25/2024, 1:08:59 PM

鳥かごから見える景色はとても広い。足がつく場所は狭い狭い円の中だけで、ろくに飛べもせず、つまらない。外に出れたらどれだけ広大な大地が広がっていて、自由なのだろうか。

鳥かごの外から見る景色は狭く苦しい、多くのことを考えて、配慮して、やりたくもないことをして。鳥かごの中に入れれば、全てやらなくても、考えなくともいいのだろう。

「「あぁ、あいつはずるい」」

立場の違いか、考え方の違いか、何が原因か分からないが、あの二人は永遠に相手を羨むだけで一つも進まない。


私が羨んだ相手は、よく笑顔で人望もそこそこにあって、勉強もできていました。だからこそ私は彼女が精神的に弱っていて、体が強くなく苦労していることを知りませんでした。知っていれば寄り添えたかもしれない、手伝いが出来たかもしれない。なんて、そんなたらればの話に意味はありませんが、この経験は意味があります。これを読んでくださった貴方にも羨んだ相手がいたら、ただ羨むのではなく相手の事を知るようにしてくれれば良いなと、思いました。きっと、羨みが尊敬に変わるから。

7/15/2024, 2:36:05 PM

題名「自由を」

終わりにしよう 、そう思った。

だって、この世界で私が自由に生きるにはあまりにも窮屈だから。学校に行ったら授業と部活。その合間合間にも友達と先生の顔色を伺って、話を合わせて自分を演じる。家に帰ったら私は末っ子の女の子だから、愛想のいい元気な娘と妹になる。

本来の、全てが面倒で呼吸すら面倒で食事すら煩わしいと思う私はきっと異常で、人間らしいと言えるだろう。だからこそ、1番自由な人間らしい私がこの世界に居るのは相応しくない。
ならば、私は次に行こう!
さぁ、次に堕ちる世界はどんな世界だろうか!今回の様に相応しくない世界かもしれない、逆に相応しい世界かもしれない!
たとえ、堕ちた世界が相応しくなくても、相応しくても私は一つだけ自信を持って言えることがある。
それは、「死は自由であり、不自由への第1歩である」
もし、私と同じ選択をする人がいるならば聞いてほしい。
「それ」は人生で1番の賭け事であるから、やるなら覚悟と自分は自由への切符を持っていると自負した上で選択してほしい。決して、その選択が不自由への第1歩とならないように。




副題「選択の死」

6/28/2024, 11:38:00 AM

夏、私の故郷では大きな花火が上がる。それはそれは大層な花火が、何個も、何個も。
中学生になって初めて貰ったスマホのカメラで水面に反射した花火を撮った。素人が咄嗟に撮ったものだから、酷く滲んだような感じで。画用紙の上で色が滲んでしまったみたいだった。
でも、それは私に目にはとても綺麗なものに見えたのだ。ずっと大切にしているたった1枚だけの写真。
今見れば酷いものだと思うし、お世辞にも良いとは言えない代物だ。ただ、今も私がその写真を持ち続けているのは仕事で撮る花火の写真よりもずっと、ずぅぅぅぅぅっと!!!!思い出の詰まったもので大好きだから!

だからこそ、私は思う。写真は撮った本人がその写真を心の底から「大好きだ!!!」と、そう大声で言えることで写真の価値が決まるんだとね!

6/27/2024, 12:22:42 PM

ここではないどこかで、それこそ違う世界で、自分とよく似た人間がいたとして。
それは所謂「平行世界」とかのように考えるけど、実際は似ているだけで全く違う者だったりするんだろうなと思います。
私はひとつ、恋愛で失敗をしました。小学生の頃からずっと好きで中学三年生までずっと片思いで、最後の冬に失恋をしました。何がダメで何が良かったのかなんて分からないけど、彼が「好きな人がいる」と言うので応援をすることにしました。それだけは間違っていなかったと思います。嘘かもしれません、私がそう思いたいだけかも知れませんが間違っていないと信じます。なんて、私の心情はどうでもいいですね

きっと「平行世界」なるものがあっても私は必ず失恋をして応援をしているだろうなと、でも私みたいにずっとひきずって心に留めていることは無いだろうなと思います。だってそれは私ではない似ているけど全く違う者だから。
そして、私は「私ではない似ているけど全く違う者」に願います。
こんな未練タラタラな女の様にはならずどうか幸せであってほしいとね!

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