小さな命。
道路の脇の、少し隙間の空いた溝に溜まっている土から、植物が生えていることがある。
それを見て、人は、
すごい、こんな所から生えているなんて。
こんな狭い場所で、可哀想だ。
どうにか降り立った場所に根を生やせる場所が
あって、運が良かったんだなぁ!
こんな所で芽吹いて、
ちゃんと生きられるんだろうか。
こんな場所でも生きることを諦めないなんて、
たくましくて、力強いなぁ…。
そんな風に、各々の考えで感想をもつ。
そもそも気付かない人も、
見たとしても何も感じない人もいる。
私は、降り立った場所がたまたまそこだったから、
どうにかそこで命を繋ぐことができたんだなぁ、
良かったなぁと思っていたのだが。
その種はきっと、風に乗って空を駆けて来た訳で、
降り立った場所が気に入らなければ、
また風に乗って空を飛べば、別の場所を選ぶことができたかも知れない訳で。
そうなると、種自身が、自分の意思でそこに生えたいと望んで根を下ろしたのかも知れなくて。
(…もちろん、次に降り立つ場所が今より良い場所とは限らないというリスクを考えてどうにか生きられそうなそこを選んだという可能性もあるし、
もしくはそんなことは一切考えていなくて、ただそこに根を下ろせそうな土があったから根を下ろした、というだけかもしれないが…。)
そう考えると、素晴らしいことだなと思う。
それぞれが、それぞれの場所に魅力を感じ、
可能性を感じ、生き場所を選ぶ。
私たち自身も、一人ひとり、小さな命に他ならない。
最初に降り立つ場所は選べないかもしれないが、
今いる場所に満足できないなら、時間がかかっても、
その後いつか飛び立つことはきっと出来るはず。
自分に相応しいと思える居場所を見つけ、
ここが自分の生きる場所だと、
すべての人が誇りをもって日々を過ごしていければ。
そんな世界になれば良いと、願っている。
『Love you』がお題だったが、
書き終わる前に面白くない文になっている気がしてきたので書くのをやめることにした。
代わりに、近況を書こうと思う。
実はまさに今日から、韓国語を勉強し始めた。
今夢中になっている日本のゲーム、
グノーシアという作品の、韓国人のファンの方々を某SNSでフォローして呟きを見ているうちに、
この文字が羅列しているとしかわからない呟きが読めるようになったら面白いんじゃないか、
と興味が湧いてきたことがきっかけだ。
興味が出た時が始める時。
ということで、近所の本屋へ行ってみると、
とても初心者に良さそうな韓国語学習の本があった。
実家にいる母も、70近くなってから人生初めての推しが出来ていて、韓国ドラマに出てくる俳優さんが大好きで毎日韓国ドラマを観たり、俳優さんの真似をして指輪を付けてみたりなんかして楽しく過ごしているようで。
数年前少し病気もしてしまって、最近は食も細くなっているようで心配していたが、だいぶ元気にやっているようで本当に嬉しく思っている。
そんな母も、一緒に韓国語を勉強してみないかと誘ってみたところ、その日のうちに同じ本を買ってきてくれて笑った。
今朝10時頃から1時間ほど母と通話を繋ぎながら勉強したのだが、その後某SNSで今日も流れてくるグノーシアの韓国人ファンの方々の呟きを見ていると、
#グノーシア、とハングルで書かれているタグのシア、の部分が読めるようになっていることに気付いた。
だが、今日母音(あいうえおに当たる音を表す文字の一部)と子音を勉強したはずなのに、見た事のない母音がある事に気付き再度本を開いたりネットで調べたりしていったところ、
なんと韓国語には母音が21個もあるらしい。
おもしろ…。と思った。
韓国語は日本語と語順がほぼ一緒で、
ハングルも覚えやすいつくりをしているので、
もし興味のある方は勉強してみるのも面白いかもしれない。
私の愛しているグノーシアという作品も、
後3日くらいSteamでセールをしているし、
Switchでも2750円で素晴らしい体験が出来るので、
もし興味があればチェックしてみて欲しい。
(実況動画を少し観ればどんなゲームかわかるのでおすすめですが、プレイしたい気持ちがありそうならば最後まで見てしまうと記憶を無くしたいほど後悔すると思うので、少し見て興味が湧いたら自分でプレイされることをおすすめします\(^o^)/
自分でプレイしなければ味わえない気持ちと体験があるゲームだなと思います…。私は人生でこんなに泣いたことがあったかというくらい泣きました。
そして沼の底を目指して爛々と沈み続けています。)
読んでくれた方がいらっしゃいましたら、
ありがとうございました。
もし私の愛する作品をあなたにも愛してもらえたなら、これほど嬉しいことはありません。
太陽のようなあなた。
今日は雨で、雲間もないほどに空は雨雲で敷き詰められていて、一筋の光だって見えないのに。
私のそばにはあなたがいて、
分け合った傘の下で、私には眩し過ぎる微笑をたたえて、柔らかな眼差しをこちらに向けている。
この傘の外側は雨色に染まっていて、
何の色も見えないような灰色の世界なのに、
今にも虹が掛かりそうだとさえ錯覚してしまう。
だって、あなたがいるこの傘の下は、
あまりにも明るくて、暖かくて、
あなたが近すぎて、あついほどで。
ああ、私、どうしよう。
この瞳はもうあなたしか目に入らないのに。
鼓動が痛いくらいで、
どうしようもなく落ち着かなくて、
あなたを見ることすら出来なくなりそうで。
でも、本当に、しあわせで。
…しんでしまいそうだわ。
0からのスタートだ。
そう、1からではない。
私は、0を1に変えるところから始める。
つまり、何かを生み出す必要があるのだ。
しかし、本当の0からでは何も生まれない。
0を1にする過程にも、
0.1やそれ以下、それ以上があるものだ。
私はその為に、外に出る。
やらねばならぬことは沢山あるが、
急いては事を仕損ずる。
私はドアを開け、朝の光を浴びる。
私に影響を与えてくれる、
0を1に変え得る何かに出会う為に…。
『同情』が今日のお題のようだが、
どうにも個人的に好きになれないお題なので、
このお題では書かない事にする。
代わりに近況でも書いておこうと思う。
2/8から書き始めて、手を抜いてしまったかもしれない日もありながらも、どうにか一日一文書くことができていてちょっと誇らしい気持ちを感じている。
ただ、今かなり時間に余裕がある状況だから出来ているだけかもしれない。そろそろ本腰を入れてやらねばならない事も控えていて…。
その上、今とある世界のとある人物のことが好き過ぎて、その人物が出てくる話を書き始めてしまったので、書くならどちらかというとそちらに注力したい気持ちもある。
でも、せっかく良い習慣が出来てきているなぁと思っているので、どうにかできる範囲で一日一文を続けていけたら良いな…
とりあえず、何を置いても、
本当にやらねばいけないことを…
自分自身と、大事な人の未来の為にも、
頑張れる自分になりたいと思う…。