バレンタイン。
今までの俺の人生には縁のない日だった。
いや、縁がないというと語弊があるか。
毎年その日はいつも、生まれて18年、
雨の日も風の日も共に登下校をした親友に、朝から大きな紙袋を手渡され。(俺がその日をバレンタインだと気づけるのはこの紙袋のおかげだ。)
それが合図だと言わんばかりに、どこからやって来るのか次々と話しかけてくる顔も名前も知らない男女に色取りどりの箱や袋を手渡され。
夕方にはぱんぱんにチョコレートが詰め込まれた紙袋を両手に、腕がちぎれそうな思いをしながら家路に着く、という特殊で受動的な日で。
チョコレートがそんなに好きじゃないこともあり、
言うなれば強制発動イベント、
といったような認識で、
自分から行動を起こす必要の無い日だった。
だから忘れていた。
俺にとって19回目のバレンタインは、一昨日だった。
訳が解らないくらいモテた時期は高校までで終わり、大学ではちょっと気になる子が出来て、
そうだ!バレンタインデーにプレゼントして告白しよう!…なんて意気込んでいたのに…。
ここ最近始めたゲームが面白すぎて頭がトリップしていたことが敗因だろう。間違いない。
春休みなのもあって一歩も外に出ていなかったし、日がな1日ずっとゲームをしていた期間が長過ぎた。
ゲームの中でチョコレートの話が出てきたおかげで気付けたのだ…。
不幸中の幸い、と言っていいのか…。
兎にも角にも俺は久しぶりに外に出たが、後の祭り。
どこの店舗を見ても、つい一昨日にバレンタインが終わったところだというのに、もうホワイトデーのPOPをでかでかと掲げている…。
…俺を嘲笑っているのか…!?泣くぞ…?
俺の運命やいかに。
いや、神になど祈らない。
必ずや今日、想いを告げる…!
みんな、俺の情けない話を聞いてくれてありがとう。
ハッピーエンドを願っていてくれると嬉しい。
待っててね。
ちゃんとあなたに、と思う物を明日選んで来るから。
改めて受け取って欲しい。
あなたにと思って買っては来たものの。
最初に見た瞬間、
「推しに似合いそうだ」と思ったチョコレートを買ってきて、ごめん。
私は間違えました。反省してます。
今度はちゃんと、100%あなたのことだけを考えて選んで来るから……。
ごめん、旦那さん………
(※百合かもしれないので苦手な方は飛ばして下さい)
伝えたい、伝えたくない。
伝えたい、伝わって欲しくない。
伝えてしまいたい、伝わったらどうしよう。
何度も何度も、気持ちを右往左往させながら、
美味しい洋菓子屋さんに並ぶこと1時間。
ショーケースの中に宝石のように並べられた、
甘い茶色や柔らかい白色、光るような黒色…
色取りどりのそれらを一粒ずつ選んで、
まるで宝箱のように素敵な小箱に詰め込んでもらう。
仕上げに手触りの良いリボンで結ばれた、
上質な紙に包まれたそれを眺めながら考える。
どう言って渡そうか。
自分の分を買ったついでに?
いや、ついでにしては流石に立派過ぎる。
ずっと前から好きでした!って冗談混じりに…
いや、本気で取られた時が怖すぎる。
いっそ渡さないでおく?
いや、それは嫌だ、渡したい。
こないだ貰った誕生日プレゼントがすごく嬉しかったから…。
…よし。これで行こう。
方向性が決まったところで、眺めていたそれを大事に鞄にしまい、明日渡すまでの算段を立てながら歩き出す。
私とあの子は、そんなんじゃないのだ。
特別に仲良くしているとは思うけど、
2年生になって初めて同じクラスで、隣の席になった、
ただのクラスメイトで…。
大好きだけれど、この想いは伝えるつもりはない。
それこそ、墓場までもって逝くつもりだ。
願わくば、このままずっと。
何も悟られることなく、1番近い場所で側にいたい。
何かの間違いで私の気持ちが伝わってしまって、
今までの関係でいられなくなったらと思うと…。
とてもこわい。
---伝えられない気持ちを込めて。
---伝わらないでと願いながら。
---精一杯の親愛を込めた笑顔の奥に、
特別な想いを秘めて。
---明日、あなたに手渡す、
とびっきりの気持ちの代わり。
この場所で生きていく。
或いは、この場所で人生を終えたい。
そんな風に思える場所を見つけるために歩いていくのが、生きていくということなのかも知れない。
私は、生まれ育った場所で28年ほど生きていた。
とても住みやすいと言われる場所だった。
何でも有るとも、何も無いとも言えない、
ほど良く都会で、ほど良く田舎であるこの場所が、
私は好きだった。
海もあり、山もあり、島もあり、街もある。
どちらかと言えば田舎が好きな私には、
本当に良い生き場所であったと思う。
ずっとここで生きていくものだろうと、
そんな考えも浮かばないほど、
そう疑っていなかった。
その私が、そこを離れることになったのは、
2年と9ヶ月ほど前のことだった。
特に変わったことがあったわけでは無い、
結婚をする相手が都会で就職していたという、
ただそれだけの理由だった。
田舎が好きだと言っている私が、
都会へ行くのには抵抗があったのではないか
と思った人がいるかもしれないが、
実際のところそうでもなかった。
何のことは無い、私の生きる場所、
人生を終えたい場所というのが、
特定の場所ではなくその人の側であった、
というだけの話だ。
誰もがみんな、存在している。
生きていようと、死んでいようと、
同じ次元に在る人物ではなかろうと、
一人一人がそこに存在していることは、
揺るぎない事実なのである。
生きていてえらい、というが、
死んでいたらえらくないのだろうか?
そんなことはないと思う。
私は、一人一人が存在していることを讃えたい。
存在してえらい。
生きていようが、死んでいようが、
別の次元に在ろうが、
その存在が、そこにその人が在るということが、
誰かの救いになっていると私は思う。
その存在を思うだけで充分だと思えるほどの人。
そこにいる、ただそれだけで幸せをくれる人。
あなたがそこにいてくれて、ありがとう。
本当にそう思うのだ。