NoName

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2/16/2025, 9:33:56 AM

no.9:君の声がする


「まだ雪溶けないならさ……手ぇ繋いどく?ここで転んだら結構目立つよ」
小さく呟いた本音と照れ笑い。君になら、翻弄されてもいい。
君の声だけ聞いて生きていきたい。

2/10/2025, 4:30:59 PM

no.3:君の背中

チカのひらひらした服を掴んだのは先生だった。僕が気づくよりも早く、先生は彼女の異変を察知していた。チカが窓から外へ飛び出そうとした日は教室の定休日だった。しかし先生はチカを待ち構えていたという。信じられない。チカをそこまで追い詰めたのは一体なんだ。

「サトル、鉛筆貸して」

コーヒーにはすっかり飽きたのか、チカは僕の鉛筆とノートを引き寄せた。
チカの落書きが、僕の数式の上に広がっていく。僕が徹夜で解いた課題を添削するかのように、鉛筆の先がわずかに跳ねた。
僕の視線を逃れるように、チカは壁に寄りかかる。尚も鉛筆を大胆に走らせて、眉根を寄せた。

「迷い線多いけど、それらしく見えればいいんだよ。別に誰かのために描くわけじゃないし」

ノートを抱え込むチカは、なかなか背中を見せない。





no.4:星に願って

ばっかみたい。こんな曇りの日に星空なんか描いちゃってる。あたしは鉛筆をガリガリ言わせながら、サトルのノートを星で埋め尽くした。
純粋に数学に取り組んでるサトルが正直いって憎らしい。そして羨ましい。

「いいモチーフを見つけたら、出来あがるまで絶対人に見せない。昔から変わらないな」

そう。先生にだって簡単には見せたりしない。サトルは案外、あたしの性格をピンポイントで把握してる。
だからあたしが窓から出ようとしたことも、チカらしいの一言で済ませて、深く追求してこなかった。

「お湯沸かしてくるよ。次、紅茶にしようか?」

遠慮がちな視線を、肘でガードして受け流す。
サトルがコーヒーカップを取り上げる前に、ぐいっと飲み干した。
砂糖の甘さはやっぱりムカつく。でも、コーヒーの濃さは調度良かった。星のない夜みたいな色も気に入った。コーヒーカップの宇宙のなかで、サトルは困ったように笑っている。

2/8/2025, 12:07:26 PM

no.2:遠く…

 あたしの心はクッションに詰まった綿よりも軽い。些細なことでちぎれて、飛んで、風に運ばれていく。
ふわふわと漂う思いと頼りない気持ち。
迷子のふりをして時々探しに出かけるけど、飛んでいった心は見つからない。

「チカ、意地を張ってないで先生に謝ったら?」

サトルはあたしのコーヒーカップを手にした。勝手に砂糖をひと匙加えたかと思うと、スプーンで丁寧にかき回しはじめた。
こんなに物静かで優しいのに、サトルが窓際に飾っている絵は殴り書きしたようなタッチで、何が描いてあるかさっぱりわからない。

「本当は教室で習い続けたいんだよね。今の状態を先生に話して、聞いてもらえば落ち着くんじゃない」

サトルは冷めたコーヒーをテーブルに戻した。甘ったるい匂い。……ムカつく。
知らない街に放り込まれても、ささっとスマホで解決できちゃうサトルには理解できるはずない。あたしがどのくらい悩んで、迷子になるのも厭わずに走っていくのか。
だから、いつもサトルを遠く感じる。距離が開いていくのを黙って受け入れるサトルが、怖くて仕方ない。

2/7/2025, 10:29:22 PM

no.1 :誰も知らない秘密


「知らない街でひとりになって、途方に暮れるのが好き。迷子って楽しいよ」
チカは、目頭を抑えた。彼女のコーヒーは冷めきっていた。僕は新しく淹れなおそうかと考えた。暖かいミルクを用意して、コーヒーカップの横に置くこともできる。チカはそれでも、決まり切った約束事をこなすような顔でコーヒーをちびちびと飲んでいる。
「心が迷子になった時は体も迷子にしなきゃ……バランスとれないからね」
ぼんやりした目で僕の斜め後ろを見て、チカは唇を固く結び直した。
壁にかかった前衛的な絵は、チカのお気に入りだった。困ったな。でたらめな線とでたらめな色を、僕も好きになりかけている。