-ゆずぽんず-

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4/8/2024, 11:38:56 AM

お気に入りに登録してくださっている皆様、こんばんは。桜が景色を彩り、山や野にはタラの芽や虎杖、ヨモギなどの美味しい春の野草が溢れる季節になりました。皆様はいかがお過ごしでしょうか。
この春から新社会人として不安と期待を胸に社会へ取り込んだピカピカの一年生さんも、自分の目標や夢、ステップアップのために進学された輝く一年生さん。そして転職や転勤などで慣れ親しんだ街を離れ新たな環境で暮らし始める諸先輩方、春の日差しが優しく注ぎ、朝晩はぐっと冷え込みまだまだ寒さも残るこの頃合に体調は崩されてはいないでしょうか。

私事ではございますが、ただいま担当しております仕事が今月末で一段落つきます。そして来月以降は異動となり、初めての街へと移り住む運びとなりました。この街に来て一年が経ちました。当初は三年ほどはこの街にいる予定でしたが、予定は未定というものでございますれば急遽この街を離れることになりました。
今思えばこの一年というのは非常に有意義で濃密な時間を過ごせたのでは無いかと、感慨にふけております。これまでの記事の中で触れてきました、私の持病であります「睡眠障害」との付き合い方も、付き合い方や向き合い方を身につけることが出来ました。なによりもメンタルコントロールが苦手で、腹立たしさなどの感情がその場では切り替えることが出来ていましても夜中にふつふつと沸いて来てしまって落ち着くことが出来なかったのです。しかし、この点も大分よくなりまして自制できるようになりました。
現在、私はほかの一部職員よりハラスメントを受けておりますがこの腹立たしさもその場で気持ちを切り替えて対処ができるようになりました。ハラスメントを行うものに対して、苛立ちを覚え憎むことは同じ土俵に立つこと、すなわち自らが腐りにいくことだと考えております。従って、私は極力おなじ目線に立たないよう心がけることで後ろ向きな感情をニュートラルに戻すことで感情の起伏をなるべく平滑にすることができるようになったのです。

同じ土俵、同じ目線、同じ思考回路に立たない、陥らないということが人間関係ではとても重要です。しかしながら、他人を敬い労り慮る心は大切にし続けなければなりません。
では具体的にどのように心構えをするのかでございますが、これは至極簡単なことでございます。悪口や陰口を言われようと、面と向かって心無い言葉を履かれようと、その言葉そのもの、或いはその相手への興味と関心の一切を捨てるのです。それが難しいのなら哀れで愚かな醜い下等生物程度に思ってしまうのです。少々極端で大袈裟な表現になりましたが、簡単にいえば相手を自分よりも心が幼く、実に矮小で仕方の無い人間で、心も性根も未発達であり対等な会話は愚か意思疎通が出来ない宇宙人のような人間。そんな風に考えることで、その人の言行がまるで無意味となるのです。

しかし、どんな相手にも例は尽くしてください。それが出来なければ自分まで地に堕ちてしまいます。ですが、嫌いな相手と親しくしようとすることも、その努力も必要はありません。全てが無駄な時間で無駄な労力にほかなりません。その時間も労力も自分を磨くために使ってくだされば、より多くの人から愛され大切にされる存在になります。

一つ一つの行いは巡り巡って、必ず自分自身に還ってきます。それは良いことも、そうでないことも全てです。

新しい環境、人間関係、あらゆることに悩み躓き立ち止まってしまうのが人生ですが、とりあえず周りを見てみましょう。心が救われるヒントが必ず散りばめられています。そして、自分を救ってくれる存在も機会も自分自身でいくらでも見いだせるのです。


お題とは関係の無いことでございますが、どうぞ皆様心の健康を第一に健康に過ごしましょう。

3/10/2024, 11:48:18 AM

今、私がこうして文字を起こしている間にもこの地球上のどこかでは新しい命がこの世に生まれ、そして消えていく。生まれたばかりの小さな命の灯火はそよ風に揺れていつ消えてもおかしくは無い。だけれど大きな想いの上にたしかにしかと輝いている。
燦々(さんさん)と輝き、強く逞しく燃え上がる灯火も、ここまてま揺らめくことなく明々と煌めいていた灯火も、突然に消えていく。果てるように静かに消えて僅かに残る温もりは、ふわりと立ち上り中に広がり消えていく煙の様。或いは勢います中で、突然の風に吹き消されるように不意に消えていく命。僅かな余韻さえも残さぬ不意の命の終わりは、終の実感さえ湧いてこない。胸の内にあるのは、ただただ心の中に冷たく強い風が鋭く突き抜けて行くような虚ろだけだ。

豊かな営みの中で自由に暮らし好きな衣服に身を包み、絶品の料理に舌鼓を打つ人々が住まう国。その反面、纏う衣服は擦り切れ穴が開き汚れている。食べるものはなく今日を生きることさえ厳しい国や地域がある。否、今この時でさえ命を繋ぎ止めることが困難で生きていて死んでいるような希望も何も無い生活を強いられている人々が多く暮らすところがこの星には数え切れない。
国政の問題、外交の問題だけに留まらない数多くの問題が山積しており自国たけで興すことは大義だ。貧困の中で飢えと乾きに苦しむ人々がいて、彼らの上にはあぐらをかいて私腹を肥やして贅沢を極める愚かな者がいる。国の人々とともに自らも貧困を選び再興を誓い、無我夢中で駆け続ける者もいる。
金は人を盲目的にするが、同時に強く現実に縛り続けるものでもある。そして食もまた生きるために必要不可欠であるが、その食も金がなければま得られない。自給自足の国や地域にあって最低限の食は得られるだろうが、生きていくためには金がなによりも重要になってくる。しかし、私がこうして文字を起こして明日にまた仕事へと出かけるが、これは職があるからである。職があって、職の選択も自由にでき、いつでもやめようと思えば辞められるほどにこの国が実はとても豊かである。この国にあってその金はどうにでもなるが、命を削って初めて食事すら賄えない僅かな稼ぎしか得られない人々が五万といる。
アフリカのある国のある地域では、平均月収が日本人の、それこそ小学生が正月に親戚などから貰うお年玉程度というところもある。もちろん、日本とは比較するに適切では無いがある程度の収入のあるところもあるが、物価やインフラなど生活の全てが日本とはまるで間違うことから一概に稼いでいるとはいえない。
昔、テレビでドキュメンタリーを視聴したのだかま、それは南アフリカのある地域の家族を必死に養う若い父親の暮らしだった。朝から日が暮れるまで市場で大切に育てた穀物を売るが、売り上げは微々たるもの。とくに稼ぐことが出来るのは、別の地域や国からやってくる行商や観光客や出稼ぎの道すがら寄り道に訪ねてきた人々があるときだ。それでも子供たちに十分な食事を与えるには苦しい。
彼の稼ぎはその地域の平均月収に届かない。平均月収まで届くならば裕福では無いが、飢えに怯えることは無いという。本音を言えば子供たちを学校へ通わせ、勉強を受けられるようにしてあげたいというが、実情は非常に無情である。一日の食事は朝と夜に「サザ」「ウガリ」「シマ」などと呼ばれる乾燥とうもろこしを調理したものである。これはアフリカの主食として知られるが、彼の家族では朝晩に僅かな食事を皆で分け合う。彼や彼の妻は子供たちが少しでも多く食べられるよう、子供たちへ多く分け与える。

生きていくには金が不可欠であると話したが、貧困に喘ぎ、飢えや乾きにもがき苦しむなかで一人でさえ生きていくのが苦しい。そんななか家族を子供を育てていくには金という目に見えるものだけでは成し得ない。家族を想う心や支え合い、尊び合う心があってはじめて手を取り合い生きていくことが出来るが、これは金では決して得ることが出来ず、生み出すこともまたできない。
どんな苦境にあって、辛苦の狭間にあって強く生きていられるのは愛する者があるからだろう。絆など安い言葉でしか表現出来ないが、まさに家族や愛し合う者の間に強く太く架かる絆という架け橋こそが命の灯火を絶やさず灯らせ続けることの出来る重要なものなのだろう。
私も明日、今日の食事すらできない状況に陥ったとき、金などなくプライドもなく、あるのは生への執着と腹を満たしたい、温もりの中で眠りたいという強い欲だった。しかし這い上がることが出来たのは、立ち上がり生きることが出来たのは支えてくれる人が現れたことだったからだ。見返りなど求めず、ただただ優しく微笑み、温かく包みこみ、痛いほど強く手を引いてくれる存在に出会えたことだった。そしてこれは決して金では買えなかっただろう。
生活を建て直した時、なぜ私に手を差し伸べたのかと訊けば「君が好きだから」と笑って返すのみだった。私を救った彼にしてみれば、私は子どもほどの年齢だったが「子どもの年齢だからでは無い」と後に答えてくれた彼がもうひとつ私に「人として尊敬しているから手伝っただけだよ」と耳打ちしてくれた。

この話を通して私が伝えたいことは、世界は広く国と地域で様々な人間模様や生活様式があり、営みの様相も様々だ。貧困といえば金のことと結びつくことがほとんどだろう、しかし心が貧しくなければ人はどんな中でも生きていくことが出来る。私は出会いに恵まれただけかもしれないが、この出会いは間違いなく自分で掴んできたものだ。そして、その機会も心が貧しかったなら有り得なかったことである。

愛だのなんだのと軽く言うつもりは無いが、せめてこの広い星の中で些細なことに固執せず、小さなことに盲目的になることなく前を見て生きて欲しい。誰かに親切に、誰かに施す心を持ち続け、誰かを思う心を養い続けて真っ直ぐひたむきに生きて欲しい。その生き方は必ず自分に対して何よりもの宝として様々な形で還ってくる。
法華経の教えの中に「還著於本人」というものがあるが、これはどんな行いも巡り巡って本人に返ってくることであり身近な言葉で言えば「因果応報」がピンとくるかもしれない。善い行い、例えば誰かに見返りを求めず施しをしたなら、いつか自分が大事の時に誰かが手を差し伸べてくれる。誰かに親切に丁寧に接していれば、敬いや良い評価として巡り巡って人間関係などで返ってくる。
しかし、悪態をつき悪口や陰口ばかりを行っていれば周囲からは距離を置かれる。また同じく、自分と同じように悪口や陰口を言う人から、知らぬところで悪く言われる。がめつく、何でも自分のものとしていれば本当に必要な時に必要なことも、ものも得られなくなる。周囲がそうさせなくなるからだ。
これは魔法でもおとぎ話でもない。悪事を働けば、その悪事が様々な形で本人に跳ね返るだけの事。善行を積めば、それを見ている誰かにそれが届く。そうなれば自分の徳として必ず何十倍にもなって還ってくる。
なによりも善い行いは、行った瞬間から心が幸せになるものである。それが例え自己満足や偽善であろうと、自分や他人のためなることであれば誰からも感謝をされる善行に他ならない。それを見て「偽善だ」と指摘されようとも、事実として誰かの為に尽くしたのならそれは立派な善行だ。褒められはしても、貶される言われは無い。

戦争のない世界、争いごとのない世の中。愛情に満ち満ちていて、誰もが幸せに微笑み豊かに暮らすことの出来る未来を作り出すのは他でもない、一人一人の善意と自戒である。そして、自律と自制が人を人たらしめるのであると私は考えている。


皆様、読み難いなか最後までお目通し頂きまして心より感謝申し上げます。「愛」や「平和」という、大きくも繊細な課題に脱線しつつも、何とか話に纏まりをつけることが出来ました。しかしながら、この言葉を文字として起こす中で技量不足を痛感いたしました。

お目が疲れたと思いますので、しっかりと休まれてくださいね。それではまた。

2/19/2024, 12:48:19 PM

皆様、こんばんは。お疲れ様でございます。
今度の冬は、不安定な気候が続いておりますが体調を崩されてはいませんか?

本題ではあひませんが、私がこれまで語ってこなかった不思議体験、所謂怪談について皆様はご興味はおありでしょうか。

幽霊など信じていないとおっしゃる方もおられますが、見えないのですからもっともなご意見でございます。私は幼い頃から周囲の方には見えないものが、ごく当たり前に見えてきたもので疑う余地がありませんでした。

なぜ今回このようなことをお伺いをしたのかと申しますと、私はX(旧Twitter)にて怪談師様へ怪談の提供をさせて頂いておりまして(ここ最近からです)
、私の体験したことを声でたくさんの方へ届けてくださる怪談師様へ託し、より多くの方に知っていただきたい、楽しんで頂きたいと思い始めました。そして、このアプリを楽しまれている皆様、そして私を作品を気にかけてくださる皆様は怪談などオカルトについてどのようにお考えかを問うてみたかったのです。もちろんこのアプリの仕様上、皆様のお答えを賜ること、知り得ることは叶いません。それでいいのです。ただただ、私がこの気持ちを、問いかけを投げかけてみたかったのです。


お仕事が忙しいために投稿がなかなか出来ていませんが、たまにこうして皆さまのお目にかかることが出来ましたら、私がまだこのアプリを全力で楽しんでいる、好きな文章を描きたい気持ちかま溢れているということが伝わるのかなと考えております。
四月末日をもって一度、お仕事に区切りが着きますので五月になりましたらまた毎日のように、たくさんの文章を書こうと思っております。お気に入りに登録下さったみなさま。そしてスクロールする中で私を見つけてくださった皆様に読んでいただけましたら嬉しく思います。私にとって、それが何よりもの励みであり喜びなのでございます。
このような稚拙なお話でさえ長文になってしまう私の文章力の拙さに、呆れることなく最後までお目を通して頂けること大変に喜ばしく思います。


いつも
ありがとうございます。

どうか、これからも
よろしくお願い申し上げます。

2/7/2024, 12:50:59 PM

お気に入りに登録してくださっている皆様、如何お過ごしでしょうか。インフルエンザウイルスやコロナウイルスの罹患について、私の周辺でもチラホラと話題に登ります。今週は、協力会社様の職人の奥様がコロナウイルスに感染し寝込んでいると聞きました。昨年の暮れにご出産されたばかりで、なれない子育てなどで大変な中のことで、奥様も職人の旦那様も憔悴しておられます。
皆様も変わらず引き続き、感染対策を行っておられることと存じますが、お身体に気をつけてお過ごしください。とは言いつつも、この私が本日中は倦怠感や喉の痛みで仕事に手がつかず苦しい一日で御座いました。幸いにして喉の痛みと倦怠感は現在では無くなっているものの、この季節は自分の思っている以上に体調管理に注力しなければならないと実感致しました次第です。

さて、本題ですが、多忙の為になかなかアプリを開くことが出来ておりませんでした。落ち着きましたら是非、たくさん書いていきたく思いますので楽しみにお待ちいただけましたら幸いです。また、見放すことなく温かい目で見守っていただけましたら励みになります。


追伸

恋人とお別れ致しました。また一人になってしまいました。この寂しさも虚しさも、悲しさも自分の不甲斐なさも全てを情熱に変えて頑張って参ります。

12/12/2023, 1:16:06 PM

「心と心」

今週土日に執筆致します。
メモとして残させて置いてくださいませませ。

季節も変わり、身が凍るように冷え込む日もまもなくやってくる。皆さま風邪などはひかれてはいないでしょうか。適度に着重ねて、カイロなどで暖をとって身体を冷やさないようお気をつけください。あまり気混みすぎてしまいますと、身体が本来の機能を発揮出来ず、結果として病気を患ってしまうこともあります。夜はお布団に湯たんぽなどを忍ばせ、足元からじんわりと温まりましょう。


では、また土曜日に覗いてくださいますと大変嬉しく思います。また土曜日にお会いしましょう。

おやすみなさい。



2023,12,17

何とか確保出来た時間で綴らせて頂きます。


出会い、触れ合い、語り合う時間の中で人は人と想いを交わし、縁を、友情や愛情、或いは信頼を築き、或いは固く結んでいく。時に酷く罵り傷つけ傷つけられ、苦しみ悲しみ藻掻く。素直になれず、ちっぽけなプライドを捨てきれず人の言葉を無視してしまう。だけれど些細なきっかけでお互いに心から気持ちをぶつけ合って語り合って仲直りをして、以前よりも更に深く想いあい、大事にするようになる。
心の音は他人には聴こえない。思いの丈を察し測ることもできない。それでも人には誰にも心がある。自分がこれまで経験してきたこと、感じてきたことを相手に映して気持ちを汲むことは出来る。もちろんこれは勝手なものでしかなく、本当の相手の心の声など分からない。何を考え、何を思い、何に悩み、何を感じているのか本人にしか分からない。ひとはひとを見る時、表情や言行、様々な振る舞いをみてどのような人間であるか、今なにを考え、どのような機嫌気分でいるのかを判断している。これもまた本人にしか分からない。詰まるところ、誰もが他人に対して様々に想い、感じ、考えながや営みを続けている。

私には友がいないし、恋人もいない。だけれど仕事で出会うたくさんの人とのかかわり合いの中でたくさんのことを学び得ている。会話をする時、作業指示を出す時、依頼をする時、指導をする時、挨拶をかわす時も世間話や他愛もない話に花を咲かせる時も目や口元、語尾や抑揚。様々な動きを観察しながら心を感じるようにしている。友人や恋人がいた時には、この何倍、何十倍、何百倍も観察したし、感じようと努力をした。
何を言いたいのかというと、相手を傷つけないように、何よりも自分が 傷つかないようにと人と 関わる時には、それが重要で大切な存在であればあるほど頭を働かせるし、心を読もうと努力をする。私は ちっぽけで 矮小な人間だ。だからいつも嫌われるのが怖かった。否定されるのを恐れて本当の自分の気持ちや想いをむししてきた。結果として結局は苦しくなって悲しくなって自分から関係を絶ってきた。

今では嫌われようが陰口を叩かれようが何をしようが好きにしてくれて構わないと、どっしり構えられるようになってきた。しかし、SNSで観察しているとこんな私でも心穏やかでいられなくなる。匿名性の高い場所で、相手を侮辱し否定し、蔑み、尊厳を踏みにじるようなことを平然と行える人間が多いことにショックを隠しきれない。相手を罵倒したり、暴言を口にする本人は軽い気持ちなのかもしれないし、顔の見えないところでたった一人の呟くことなど大したことないとおもっていらのかもしれない。
実際はそんなことは無い。誰にも心があるんだ。様々に感じ、想い、考えているんだ。悩み思い詰める人だっている。
例えば、歌ってみたり絵を描いてみたりしたことをSNS二投稿して、100人の人が褒めたり、感想を伝えたり、賞賛したり感謝したりと、あたたかい言葉を送る。だけど、そこにたった一人でも否定したり侮辱したりする言葉を、それも言葉を選ばず指すように投げかけたとしたらそれを受け取ったひとは酷く悲しむし苦しむ。痛む心に立ち直れないかもしれない。自信を失い、二度と心から楽しむことが出来なくなるかもしれない。かけた言葉の重さや与える影響をひとは一々考えないことがほとんどだ。思ったままを口にすることがほとんどだ。とくに顔が見えず、文字を打ってタップして届くSNSでは特に。顔を見て話す時、ひとは一瞬のうちに言葉を選ぶが、インターネットの荒波の中では、人はそれを忘れてしまう。


考えて欲しい。
今一度、立ち返って相手の立場になって感じてみてほしい。想像してみてほしい。

嬉しいと、楽しいと、
幸せと嬉々する心だけじゃない。

誰にも
悲しいと涙を流す心も
苦しいと藻掻く心も
痛いと叫ぶ心も
苦しい、辛いと歯を食いしばって耐える心が
あるんだ。


ひとは言葉と言葉で会話をしているわけでは決してない。


いつだって、心と心で触れ合っているんだ。

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