-ゆずぽんず-

Open App

「心と心」

今週土日に執筆致します。
メモとして残させて置いてくださいませませ。

季節も変わり、身が凍るように冷え込む日もまもなくやってくる。皆さま風邪などはひかれてはいないでしょうか。適度に着重ねて、カイロなどで暖をとって身体を冷やさないようお気をつけください。あまり気混みすぎてしまいますと、身体が本来の機能を発揮出来ず、結果として病気を患ってしまうこともあります。夜はお布団に湯たんぽなどを忍ばせ、足元からじんわりと温まりましょう。


では、また土曜日に覗いてくださいますと大変嬉しく思います。また土曜日にお会いしましょう。

おやすみなさい。



2023,12,17

何とか確保出来た時間で綴らせて頂きます。


出会い、触れ合い、語り合う時間の中で人は人と想いを交わし、縁を、友情や愛情、或いは信頼を築き、或いは固く結んでいく。時に酷く罵り傷つけ傷つけられ、苦しみ悲しみ藻掻く。素直になれず、ちっぽけなプライドを捨てきれず人の言葉を無視してしまう。だけれど些細なきっかけでお互いに心から気持ちをぶつけ合って語り合って仲直りをして、以前よりも更に深く想いあい、大事にするようになる。
心の音は他人には聴こえない。思いの丈を察し測ることもできない。それでも人には誰にも心がある。自分がこれまで経験してきたこと、感じてきたことを相手に映して気持ちを汲むことは出来る。もちろんこれは勝手なものでしかなく、本当の相手の心の声など分からない。何を考え、何を思い、何に悩み、何を感じているのか本人にしか分からない。ひとはひとを見る時、表情や言行、様々な振る舞いをみてどのような人間であるか、今なにを考え、どのような機嫌気分でいるのかを判断している。これもまた本人にしか分からない。詰まるところ、誰もが他人に対して様々に想い、感じ、考えながや営みを続けている。

私には友がいないし、恋人もいない。だけれど仕事で出会うたくさんの人とのかかわり合いの中でたくさんのことを学び得ている。会話をする時、作業指示を出す時、依頼をする時、指導をする時、挨拶をかわす時も世間話や他愛もない話に花を咲かせる時も目や口元、語尾や抑揚。様々な動きを観察しながら心を感じるようにしている。友人や恋人がいた時には、この何倍、何十倍、何百倍も観察したし、感じようと努力をした。
何を言いたいのかというと、相手を傷つけないように、何よりも自分が 傷つかないようにと人と 関わる時には、それが重要で大切な存在であればあるほど頭を働かせるし、心を読もうと努力をする。私は ちっぽけで 矮小な人間だ。だからいつも嫌われるのが怖かった。否定されるのを恐れて本当の自分の気持ちや想いをむししてきた。結果として結局は苦しくなって悲しくなって自分から関係を絶ってきた。

今では嫌われようが陰口を叩かれようが何をしようが好きにしてくれて構わないと、どっしり構えられるようになってきた。しかし、SNSで観察しているとこんな私でも心穏やかでいられなくなる。匿名性の高い場所で、相手を侮辱し否定し、蔑み、尊厳を踏みにじるようなことを平然と行える人間が多いことにショックを隠しきれない。相手を罵倒したり、暴言を口にする本人は軽い気持ちなのかもしれないし、顔の見えないところでたった一人の呟くことなど大したことないとおもっていらのかもしれない。
実際はそんなことは無い。誰にも心があるんだ。様々に感じ、想い、考えているんだ。悩み思い詰める人だっている。
例えば、歌ってみたり絵を描いてみたりしたことをSNS二投稿して、100人の人が褒めたり、感想を伝えたり、賞賛したり感謝したりと、あたたかい言葉を送る。だけど、そこにたった一人でも否定したり侮辱したりする言葉を、それも言葉を選ばず指すように投げかけたとしたらそれを受け取ったひとは酷く悲しむし苦しむ。痛む心に立ち直れないかもしれない。自信を失い、二度と心から楽しむことが出来なくなるかもしれない。かけた言葉の重さや与える影響をひとは一々考えないことがほとんどだ。思ったままを口にすることがほとんどだ。とくに顔が見えず、文字を打ってタップして届くSNSでは特に。顔を見て話す時、ひとは一瞬のうちに言葉を選ぶが、インターネットの荒波の中では、人はそれを忘れてしまう。


考えて欲しい。
今一度、立ち返って相手の立場になって感じてみてほしい。想像してみてほしい。

嬉しいと、楽しいと、
幸せと嬉々する心だけじゃない。

誰にも
悲しいと涙を流す心も
苦しいと藻掻く心も
痛いと叫ぶ心も
苦しい、辛いと歯を食いしばって耐える心が
あるんだ。


ひとは言葉と言葉で会話をしているわけでは決してない。


いつだって、心と心で触れ合っているんだ。

12/12/2023, 1:16:06 PM