-ゆずぽんず-

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2/7/2024, 12:50:59 PM

お気に入りに登録してくださっている皆様、如何お過ごしでしょうか。インフルエンザウイルスやコロナウイルスの罹患について、私の周辺でもチラホラと話題に登ります。今週は、協力会社様の職人の奥様がコロナウイルスに感染し寝込んでいると聞きました。昨年の暮れにご出産されたばかりで、なれない子育てなどで大変な中のことで、奥様も職人の旦那様も憔悴しておられます。
皆様も変わらず引き続き、感染対策を行っておられることと存じますが、お身体に気をつけてお過ごしください。とは言いつつも、この私が本日中は倦怠感や喉の痛みで仕事に手がつかず苦しい一日で御座いました。幸いにして喉の痛みと倦怠感は現在では無くなっているものの、この季節は自分の思っている以上に体調管理に注力しなければならないと実感致しました次第です。

さて、本題ですが、多忙の為になかなかアプリを開くことが出来ておりませんでした。落ち着きましたら是非、たくさん書いていきたく思いますので楽しみにお待ちいただけましたら幸いです。また、見放すことなく温かい目で見守っていただけましたら励みになります。


追伸

恋人とお別れ致しました。また一人になってしまいました。この寂しさも虚しさも、悲しさも自分の不甲斐なさも全てを情熱に変えて頑張って参ります。

12/12/2023, 1:16:06 PM

「心と心」

今週土日に執筆致します。
メモとして残させて置いてくださいませませ。

季節も変わり、身が凍るように冷え込む日もまもなくやってくる。皆さま風邪などはひかれてはいないでしょうか。適度に着重ねて、カイロなどで暖をとって身体を冷やさないようお気をつけください。あまり気混みすぎてしまいますと、身体が本来の機能を発揮出来ず、結果として病気を患ってしまうこともあります。夜はお布団に湯たんぽなどを忍ばせ、足元からじんわりと温まりましょう。


では、また土曜日に覗いてくださいますと大変嬉しく思います。また土曜日にお会いしましょう。

おやすみなさい。



2023,12,17

何とか確保出来た時間で綴らせて頂きます。


出会い、触れ合い、語り合う時間の中で人は人と想いを交わし、縁を、友情や愛情、或いは信頼を築き、或いは固く結んでいく。時に酷く罵り傷つけ傷つけられ、苦しみ悲しみ藻掻く。素直になれず、ちっぽけなプライドを捨てきれず人の言葉を無視してしまう。だけれど些細なきっかけでお互いに心から気持ちをぶつけ合って語り合って仲直りをして、以前よりも更に深く想いあい、大事にするようになる。
心の音は他人には聴こえない。思いの丈を察し測ることもできない。それでも人には誰にも心がある。自分がこれまで経験してきたこと、感じてきたことを相手に映して気持ちを汲むことは出来る。もちろんこれは勝手なものでしかなく、本当の相手の心の声など分からない。何を考え、何を思い、何に悩み、何を感じているのか本人にしか分からない。ひとはひとを見る時、表情や言行、様々な振る舞いをみてどのような人間であるか、今なにを考え、どのような機嫌気分でいるのかを判断している。これもまた本人にしか分からない。詰まるところ、誰もが他人に対して様々に想い、感じ、考えながや営みを続けている。

私には友がいないし、恋人もいない。だけれど仕事で出会うたくさんの人とのかかわり合いの中でたくさんのことを学び得ている。会話をする時、作業指示を出す時、依頼をする時、指導をする時、挨拶をかわす時も世間話や他愛もない話に花を咲かせる時も目や口元、語尾や抑揚。様々な動きを観察しながら心を感じるようにしている。友人や恋人がいた時には、この何倍、何十倍、何百倍も観察したし、感じようと努力をした。
何を言いたいのかというと、相手を傷つけないように、何よりも自分が 傷つかないようにと人と 関わる時には、それが重要で大切な存在であればあるほど頭を働かせるし、心を読もうと努力をする。私は ちっぽけで 矮小な人間だ。だからいつも嫌われるのが怖かった。否定されるのを恐れて本当の自分の気持ちや想いをむししてきた。結果として結局は苦しくなって悲しくなって自分から関係を絶ってきた。

今では嫌われようが陰口を叩かれようが何をしようが好きにしてくれて構わないと、どっしり構えられるようになってきた。しかし、SNSで観察しているとこんな私でも心穏やかでいられなくなる。匿名性の高い場所で、相手を侮辱し否定し、蔑み、尊厳を踏みにじるようなことを平然と行える人間が多いことにショックを隠しきれない。相手を罵倒したり、暴言を口にする本人は軽い気持ちなのかもしれないし、顔の見えないところでたった一人の呟くことなど大したことないとおもっていらのかもしれない。
実際はそんなことは無い。誰にも心があるんだ。様々に感じ、想い、考えているんだ。悩み思い詰める人だっている。
例えば、歌ってみたり絵を描いてみたりしたことをSNS二投稿して、100人の人が褒めたり、感想を伝えたり、賞賛したり感謝したりと、あたたかい言葉を送る。だけど、そこにたった一人でも否定したり侮辱したりする言葉を、それも言葉を選ばず指すように投げかけたとしたらそれを受け取ったひとは酷く悲しむし苦しむ。痛む心に立ち直れないかもしれない。自信を失い、二度と心から楽しむことが出来なくなるかもしれない。かけた言葉の重さや与える影響をひとは一々考えないことがほとんどだ。思ったままを口にすることがほとんどだ。とくに顔が見えず、文字を打ってタップして届くSNSでは特に。顔を見て話す時、ひとは一瞬のうちに言葉を選ぶが、インターネットの荒波の中では、人はそれを忘れてしまう。


考えて欲しい。
今一度、立ち返って相手の立場になって感じてみてほしい。想像してみてほしい。

嬉しいと、楽しいと、
幸せと嬉々する心だけじゃない。

誰にも
悲しいと涙を流す心も
苦しいと藻掻く心も
痛いと叫ぶ心も
苦しい、辛いと歯を食いしばって耐える心が
あるんだ。


ひとは言葉と言葉で会話をしているわけでは決してない。


いつだって、心と心で触れ合っているんだ。

11/21/2023, 1:48:01 PM

忙しい、時間がいくらあっても足りない。しかし残業は苦ではないしこの仕事が好きである。


しかし、だ。

このアプリで大好きな文字を綴るという、楽しみを果たすことが出来ないことが何よりも辛い。


お気に入りに登録してくださった皆さん、もしかすれば更新を楽しみにして下さっているかもしれない皆さん、なかなか更新が出来ず恐縮に存じます。

今度のお休みは更新できと思います。拙く稚拙な文章ではありますが、どうか目を通して頂けますと励みになります。


では、今日もお疲れ様でした。
お仕事中の方)これからお仕事の方、これからご予定がある方、お疲れ様です。事故怪我なく一日を終えられますように。ご安全に。

では、私は僅かであれど気持ちよく尊い睡眠を貪りたいと思います。



おやすみなさい。

10/29/2023, 3:42:57 AM

右も左も、それこそ上も下も分からないような環境に自分を放り込んだことがこんなにも自分自信を苦しめることになるとは思いもしなかった。自分を変えたい、変えなければならない、自立しなければならないとの思いをそのまま行動に移したのは十八歳のこと。

病気で自衛官を続けることが出来なくなった私の中に残ったのは、今後どのようにして生きていこう。何を目標に、どんな夢を描けばいいのだろうおいう虚無感だげだった。そんな時に唯一の肉親である母親が倒れ、私は強くショックを受けた。幸いにして母親の症状は軽く、治療を続けることで快方に向かうだろうとのことだった。しかし母が入院して家からいなくなったとき、何をしていいのか、どうすればいいのか分からなかった。結婚して九州に移った姉に連絡を取ると助けに来てくれたが、このときはとても心強く感じた。この経験を機に自立というものを強く考えるようになった。
ずっと憧れ、夢に見ていた自衛官という目標、夢を叶えた私は空挺部隊に入隊するという次なる目標を掲げ、そのために毎日鍛錬に励んだ。第一空挺団の中隊長視察があり、そのときに入隊希望者選考が行われ、口述試験などを受け、その場で採用の返事と励ましの言葉をかけてもらった。ミリタリー雑誌で見た第一空挺団、私はそこに行くことが出来るんだと嬉しくなったと同時に努力が報われた瞬間だった。母の昏倒と入院は、そんな自衛官の道を絶たれ消失感や虚無感が拭えないまま、ダラダラとすごしていた私に母を失うかもしれないと意識させた大きな出来事だった。

宮城県仙台市で初めて迎えた秋、広島県より肌を刺すような寒さを感じていた。仕事に出れば、悪口や暴力を受ける。社宅に帰れば、仕事のミスなどを理由に、車座に座ったみんなの真ん中で社長から見せしめとケジメに殴られ蹴られた。褒められることが増えてきたと思えば、他のメンバーのミスなどで同じようにケジメを付けさせられる。こんなのはおかしいと同僚に声をかければ、「 飯が食えて、温かい風呂に入れる。タバコを吸えて酒も飲める。布団の中で眠れて 仕事にも行けることの何がおかしい?お前の方が おかしいだろ」と反論され、社長にまで話が届く。夜にまた集められて、みんなの前で「お前は頭がおかしい。病気だ。俺らの悪口を口にして楽しいのか」と叱責され蹴り飛ばされた。
入社して暫くした頃、新しく付き合い始めた会社の応援で人夫で入った現場で元請けの親方や番頭に気に入られた。仕事が薄くても呼んで貰えるようになり、現場に出れば一日中を親方たちと過ごし、夜は酔っ払って寂しくなった親方と長電話をした。他の大きな現場が始まった時、真っ先に会社ではなく私に声が掛かった。社長にその話をすると「よくやった!お前は病気で頭のおかしいやつだと思っていたけど違ったな。悪かった」と手のひらを返されて、背中を押されて新しい現場へ送り出された。
新しい現場は、仙台の某高校の仮校舎建築の現場で割と規模の大きな仕事だった。初日は私と先輩三人の四名で入場して、番頭さん からの指示で手元作業をしていたが、私は番頭さんに個別で声をかけてもらった。「〇〇くん、△△の作業ってできる?」と聞かれ「教えていただければ覚えてみせます」と返事をして、一時間みっちりマンツーマンで教えこんでもらった。そして、「今日中には終わらないと思うけど、明日で終わらせてくれたら大丈夫だから怪我だけしないように安全作業で進めてね」と方を叩かれた。一番仲の良かった先輩に声をかけて、先輩にも仕事を教えながら二人で楽しく作業を進めていった。気がつけば夕方早くに全ての作業を終えていた。番頭さんが進捗を確認しに来た時とても喜んでくれて、とても褒めてくれた。それ以来どんどん本職さんの仕事を教えていただいて、入場から二ヶ月たった頃にはただの応援手元作業員では無くなっていた。番頭さんからの評価が上がったことで、私以下作業員の増員ができるようになったことを電話で社長に伝えると、入社以来初めて優しく 声をかけられ、とてもはしゃぎながら喜んでもらえた。
人員が増えるとこれまでのやり方では管理が行き届かなくなる。社宅に帰った時、社長に呼び出された。「電動工具は何を持っていってる?」と訊かれ、会社のインパクトドライバーなどを持ち込んでいると伝えると点検をしたいから持ってきてくれと言われ、車庫に確認をしに行くがどこにもない。車の中を見てもどこにもない。現場に忘れてきたのだと分かった途端二頭をよぎったのは「ケジメ」だった。社長にことの経緯を全て話すと案の定殴られ!蹴られた。その上で「他の奴らも呼んでこい」と凄む。「僕の責任です。ケジメは僕だけで十分です」と返すと、初めての反論に社長が驚いた顔を見せたあとで「分かった、もういい。すまんかった。ただ示しがつかないからみんなの前でもう一度お前だけ軽く締めるけど手加減するから我慢してくれ」と言われた。
皆の前で蹴り飛ばされながら叱責されるが、本当に手加減してくれていたようで全く痛みはなかった。解散になったあと、「今日はこっちで飯を食っていけ。酒も飲んでいけ」と夕飯をご馳走になった。その日を境に社長が暴力を振るうことが無くなった。


暴力と暴言、恐怖による支配のなかでいつの日か自由に外出して、好きな仕事をして、好きなものを食べて、恋愛をして、ゲームをして。そんな明るい日々を夢見ていた。社長の機嫌が良ければある程度のことが許される。それを知ってからは人一倍、現場で仕事を覚えた。元請けや他協力会社からのお褒めの言葉が社長の耳に届く度に、真っ暗でドブ臭い私の環境に光が刺していくのが手に取るように分かった。間違いや失敗をすれば必要以上の叱責やケジメという暴力を受けたが、褒められることが増えていき、暴力はなくなり叱責も無くなったときにはやっと地上に首が届いたような気がした。

どうしようもなく、あてもない毎日。縋るものも人もない状況で、それを変えられるのは自分自身ただひとりなんだと理解した時、私の真っ暗な世界に光明が差したんだ。


いま、広島県で頑張っている。ただただ必死に生きていると言ったほうが正確か。少額とはいえ借金もあるが、返そうと思えば数ヶ月で返せる額ではある。ただ母の治療費や私自身の治療費などに費用が嵩む。生きている、温かいご飯を食べられる。好きなものを買って好きに行動出来るんだ、今、私は世界一の幸せ者だろう。

人生に迷っている人、なにをどあしていいのか分からなくねっているひと、とにかく路頭に迷っている人。人の数だけ悩みがあるが、悩みを解決する方法も人の数だけある。そして、大抵の事はどうにでもなるし、何とかなるものだ。

そして最後に 、幸せの数も形も大きさも人それぞれだ。生きることに不安を感じた時は、広く目を向けてみるといい、暗がりの中で僅かに光るものが人生を導いてくれるだろう。暗がりの中で見出したものがガラクタだと思っても、そこに光が当たれば輝く宝石だったということは良くあること。大切なのは目を開いて、耳を澄まして、嗅覚を研ぎ澄ますことだ。そして、時に野性的であることだ。

理性を超えるほどの野心は人をどこまでも突き動かす。

9/10/2023, 9:44:03 AM

三十二年前にこの世に生まれ、この人生の節々で多くのことを経験し学びを得てきた私にはひとつの考えがある。それは私自身を構成する要素の中で主軸となる最たるものだ。幼い頃から沢山のひとたちとの縁に恵まれてきた。その中には寂しい別れも、辛い別れもあった。だが、いつもどんなときも誰かが私の周りにいて親切にしてくれたし、時には頼ってくれることもあった。常に私という人間を必要としてくれていた。酷くからかわれたりもした事も、友人が虐められているのを見過ごすことが出来ず庇った時には同じように酷い扱いを受けたこともあった。しかし、いまこうして生きている私を、私自身はとても誇りに思う。強く褒めたたえてやりたいとさえ思っている。悩んだ時、挫けた時も違う視点で物事を考えられてきた。そこで新たな道筋を立てて歩みを続けてきたのだ。これを褒めずしてどうしようか。

大切な人を失ったことを理解できず、大人になった今でも実感がわかない。実はまだどこかで笑顔を見せているのではないだろうかと思ってしまうことがあるが、それは私が現実から目を背けているのか、あの日あの時のまま心の時間が止まってしまっているからだろうか。しかし、それでも私は前を向いて踏ん張って胸を張って生きてきた。どんな艱難辛苦のなかにあろうとも、目まぐるしい環境変化があろうとも、人間関係を幾度となくリセットしようとも私は私を変わらず支えてきたのだ。


こうして自分自身を支えられてきたのも、愛してこられたのも私が私を尊く想っているからだろう。

私という人間は、世界に一つだけの存在だからだろう。

今まさに道に迷っている私だが、歩が止まることはない。生きていればどうにでもなる。どうとでもなるのだ。どこに転げようと、落ちようと、起き上がることも這い上がることも大義ではあれど不可能では無いのだから。

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