-ゆずぽんず-

Open App

三十二年前にこの世に生まれ、この人生の節々で多くのことを経験し学びを得てきた私にはひとつの考えがある。それは私自身を構成する要素の中で主軸となる最たるものだ。幼い頃から沢山のひとたちとの縁に恵まれてきた。その中には寂しい別れも、辛い別れもあった。だが、いつもどんなときも誰かが私の周りにいて親切にしてくれたし、時には頼ってくれることもあった。常に私という人間を必要としてくれていた。酷くからかわれたりもした事も、友人が虐められているのを見過ごすことが出来ず庇った時には同じように酷い扱いを受けたこともあった。しかし、いまこうして生きている私を、私自身はとても誇りに思う。強く褒めたたえてやりたいとさえ思っている。悩んだ時、挫けた時も違う視点で物事を考えられてきた。そこで新たな道筋を立てて歩みを続けてきたのだ。これを褒めずしてどうしようか。

大切な人を失ったことを理解できず、大人になった今でも実感がわかない。実はまだどこかで笑顔を見せているのではないだろうかと思ってしまうことがあるが、それは私が現実から目を背けているのか、あの日あの時のまま心の時間が止まってしまっているからだろうか。しかし、それでも私は前を向いて踏ん張って胸を張って生きてきた。どんな艱難辛苦のなかにあろうとも、目まぐるしい環境変化があろうとも、人間関係を幾度となくリセットしようとも私は私を変わらず支えてきたのだ。


こうして自分自身を支えられてきたのも、愛してこられたのも私が私を尊く想っているからだろう。

私という人間は、世界に一つだけの存在だからだろう。

今まさに道に迷っている私だが、歩が止まることはない。生きていればどうにでもなる。どうとでもなるのだ。どこに転げようと、落ちようと、起き上がることも這い上がることも大義ではあれど不可能では無いのだから。

9/10/2023, 9:44:03 AM