たった1つの希望
扉の向こうはどこまでも灰色だった。ひび割れて乾いた地面に単調な凹凸が広がっていて、時折吹く風は何にも触れずに通り過ぎていく。
「アルト、ソプラノ。こちらへ」
「はい」
「ん」
男に呼ばれた2人の子供が扉の前に立つ。銀色の髪に黄色い目をした女の子──ソプラノという──は大きな鞄に白いワンピースを、もう1人は──この子がアルトだ──リュックサックを背負ってつばの広い帽子をかぶっている。
「さて。最終局面となったわけだが」
男が偉そうに腕を組んで2人に話し出す。
「君たちにはこれから、この保護地区を出て外へ行ってもらう。そこで──」
「わかってるよ。ぼくたちが、世界が枯れている原因を見つけてくればいい」
「そうだ。尤も、私の言葉を盗ることは感心しないがね」
「プレストが同じことを何回も言うからよ」
「君たち!」
咎めるように男──プレストが一括すれば、アルトとソプラノはしゅんとして姿勢を正した。
「君たちにこんなことをさせるのは心苦しい。だが、2人に適性があったのは我々にとって大変喜ばしいことでもあった」
大袈裟に抑揚をつけながらプレストが続ける。
「本来ならば盛大に送り出してやりたいところだが、生憎人員不足でね。ささやかになってしまったことをお詫びしよう」
地上の生命が枯渇してから30年、開けられることのなかった扉に手がかけられる。
「さぁ、行ってらっしゃい希望たち!」
その言葉と同時に、灰色の世界へ白と黒が足を踏み入れた。
2人の背後で重い扉が閉まる。希望という名のプロジェクトが幕を開けた。
「ねぇ、ソプラノ。ぼくたち、これからどこにいけばいいのかな」
「そうね……ひとまず、羅針盤の指す方に向かいましょ」
小さな二人分の足音が灰色の凹凸にこだまする。
世界再生プロジェクトと称した無謀な冒険は、ここから始まった。
欲望
見えない場所に押し込んだそれを、君は見ないようにしている。
それは時に意図的で、少しだけ無意識だ。
分厚い布をかけて奥に仕舞いこんで見ないふり。
上手くできてるはずだと笑う声が痛くて、君が「そう」しなくちゃいけなかった世界を責めたくなった。
君の行きたい場所に行こう。
君のやりたいことをやろう。
君が「楽しい」と思えることをしよう。
大丈夫。
優しい君のことだから、きっと耐えられちゃうと思うけど、
床に零して捨ててしまうくらいなら少しこちらに寄越していいんだよ。
全部が全部受け取れるわけじゃないけれど、仕舞い込んだそれが少しでも軽くなったらいいな。
現実逃避
そろそろ2桁になりそうな寝返りを打ったところで思い切って身体を起こした。いやにはっきりとした頭が家具の輪郭線をしっかりと映し出す。暗さに完全に慣れた瞳は時計の針すらも鮮明な情報として読み取った。午前3時半。草木が眠る時間もとっくに過ぎた朝と夜のあわいの時。カーテンの隙間から覗く白い光の筋が僅かに移動していることだけが救いに思えるような、長い孤独の時間。諦めて本でも読もうかとベッドから足を下ろした頃、ふいに声が聞こえてきた。
「眠れないの?」
「……誰?」
「ふふ、秘密。ね、ここだよ、ここまで来て」
窓を開けてもいないのにカーテンがふわりと揺れる。ぺたぺたと裸足のままで近づくと、誰も触れていないそれがぶわりと膨らんだ。厚い遮光カーテンが顔に張り付いて視界が奪われる。なに、と声を発する前にぐ、と身体が前に傾いた。
「つかまえた!ね、ちょっとお散歩しよ!」
「……え、 」
ふわり、と身体が浮いた感覚と共に飛び込んできたのは眼下めいっぱいに広がる街並みだった。耳元で風が音を立てて、来ていた寝間着の裾がめちゃくちゃに波を作る。
「びっくりした?」
はっとして横を見れば、知らない男の子が手を掴んで立っていた。銀色の髪に青い瞳をした少年は悪戯が楽しくて仕方がない、といったように声を出して笑い、
「さぁ、夜を歩くよ!行こう!」
とぐいぐいと手を引っ張った。
***
夜に足をつくたび、足元に星のかけらが散った。1歩ごとにカラカラと音がしそうな金平糖を産みながら2人で夜空を駆け抜ける。川に沿って立っ街灯の道を通り抜け、赤く点滅するライトにお辞儀をして、どこまでもどこまでも飛んでいく。眠らないネオン街を通り抜けて、はるか頭上の月に手を振った。繋いだ手をそのままにオリオン座の下をくぐり抜けて、街に乱反射する光を後ろに残して、ようやく足を止めた時、2人はどこかの海辺にいた。ゆっくりと下降してテトラポッドに並んで腰かける。
「あぁ、楽しかった!」
ふわりと銀髪を夜風に遊ばせながら手足を伸ばした少年は満足そうにそう言った。
「いつもつまんないんだ。夜はみんな眠っちゃうでしょ?」
光のない海を見つめながら少し口を尖らせて、それにねと彼は続ける。
「眠れない人を探しても、みんな僕のことは見つけられないし」
曰く、非日常を受け止められる人にしか見えない存在らしい。
「夜を歩くなんてさ、非日常極まりないでしょ?頭がおかしくなったって言われても仕方ないくらいに」
言いながらぴょん、と彼がテトラポッドから飛び降り、くるりとこちらを向いた。彼の足元にまた金平糖が咲いて、波の上に零れ落ちる。
「眠れない夜はさ、誰にでもあるんだよ。人によってはそういう現実が嫌になっちゃったりもする。でもね」
波の向こうが少し白く染まる。散らばる砂糖菓子が溶けていく。
「現実なんてさ、いつだって見れるじゃん。だからこそ、夜っていう夢を忘れないでほしいんだよね」
ざん、と波の音が耳に届く。忘れていた音が帰ってくる。遠くで始発を知らせる警笛が聞こえる。
ゆるゆると藍色が解けていく。
「じゃあね!つきあってくれてありがと! 」
言葉と同時に白い光が海から立ち上がった。きらりと最後にひとつ星が瞬いて、世界が明るくなる。黒い海が明るい青に染まり、単調な砂浜が色彩を取り戻す。
──帰ろう、と足を踏み出した。
***
「で、気がついたら布団にいたと」
「はい」
起きたくないなら素直に言いなさいよと詰め寄る相手に辟易する。
「都合が悪いからって非現実的なことを並べて逃げようとしないで」
「……ごめん」
反省してないでしょう、となおも声を上げる相手にごめんなさいと謝り宥める。4度目の「悪かった」でようやく矛先を納めてもらえた。
昨夜、どこをどう歩いて帰ってきたのかは覚えていない。気づいた時には太陽が高く昇っていて、起きる時刻はとっくに過ぎていた。身体を起こせば寝巻きの裾が少し濡れていて、昨日の出来事が夢でないことを知った。
──『現実をちゃんと楽しむなら知らない夜を知らなくちゃね』
机の上にころがっていた2粒の金平糖は、勿体なくて噛み砕けなかった。
君は今
「ひとりじゃない」とか「何があっても味方だよ」とか、そういう上辺だけの言葉が嫌いだった。
だから、喜怒哀楽を両手いっぱいに抱えられるだけ抱えて、たまに取りこぼしながら一人で生きることにしていた。
上手い言葉を使いながら心底では損得勘定で動くような人間関係に飽き飽きしていたのかもしれない。
気づけば周りには誰もいないことが普通になっていた。
──それはたった一つのイレギュラーだった。
いつからか併走するようになったその存在は頑なに荷物を受け取ろうとした。そうして、両手いっぱいだと前が見えないよと笑った。下手くそな言葉を使って、損得勘定以上の好奇心で踏み込んできているようだった。
いつの間にか君の並走が日常になっていた。
──手離したくない。
初めて、誰かにそう思った。近づいてきた君の今が幸せかどうかは分からないけれど、大嫌いだった「ひとりじゃない」が少しだけ許せるようになった。
物憂げな空
灰うつす
瞳の雨を すくいとる
晴れの隙間に 手と手を取って