初めて父の涙を見たのは
祖母がこの世からいなくなった時。
祖父は私が生まれるずっと前
父が中学生の時に亡くなったらしい。
それから祖母は女手一つで
4人の男の子を育てた。
長男だった父は、近くで祖母の苦労や
生き方を身近に見てきていたのだろう。
時と共に家族の形が変わり変化しても
一緒に暮らしていた、祖母と父。
年老いた祖母の入院が長く多くなったが、あまりお見舞いには来なかった父。「男の人ってそんなものよ」と母は
薄く笑っていた。
そして、とうとう病院で祖母とお別れの時、赤い顔と赤い目をして父は
はらはらと泣いていた。
父が泣いているのを見たのは
後にも先にも、その時だけだ。
キッチンに立っていたら「ふぇ‥ふぇ‥」と、聞こえてきた。今は夕方の5時。
始まりました。うちの子の黄昏れ泣き。
この頃、夕方に泣き止まない。これが黄昏れ泣きかと‥。確信する。
あなたが2か月の赤子なら、こっちは母になって2か月の新人さ。オムツを取り替え、ミルクを飲んで、ゲップも上手にできたけど泣き止まない。暑いの?寒いの?お腹苦しいの?あたふたしてる。
母親学級や雑誌や携帯で泣き止む方法を探して試してみるけど泣き止まない。
ぐるぐる巻きにしたり、揺らしてみたり、トントンしても泣き止まない。
歌ば良いか?踊れば良いか?どうすれば泣き止むんだよ〜。こっちが泣きたいよ〜。と、天を仰いだ時夫からのメール。本日も敗北を告げる。
『今からから帰る。欲しい物ある?』
『ご飯と味噌汁とサラダしかないです。
メインのおかず買って来て下さい』
『わかった』
今日も負けた。明日は勝負に勝つ為に
晩御飯の用意は3時からの開始としよう。
小学生の時の思い出。
「机に顔を伏せて。今、先生が言う事に心当たりある人は手を挙げて下さい。」
教室全体に響き渡る先生の声は、いつもふざけるあの子の事も、反発しているあの子事も無言で押さえつける。
「はい、伏せて。薄目あけたり、覗いたりしない。先生今から質問します。」と言う。
今は、どんな事を質問されたかは覚えていない。でも、怖く、恐ろしく、不安がいっぱいで、教室を出て行きたい気持ちになる。でも、それも許されれない。
ただ、早くこの時間が過ぎる事を願っていた。
10年後、偶然に小学校の時のクラスメイトにあった時。あの先生の話しになった。「あの先生、問題になってたって後からお母さんから聞いたんだよね。うちPTAやってたから。他の親達から聞いたみたい」と薄く笑顔。「へー。そうだったんだ。」と、つられて私も薄く笑顔。
私の中の何かが少し晴れる。
「お母さんはホクホク派?ねっとり派?」と子供からの質問。
「なんの事?」と聞くと焼き芋の好みらしい。「お母さんはねっとり派の皮まで食べる派かな」と答える。皮まで食べるに少し驚いた様子だったけど「私もねっとり派だよ」と言う。
私の小さい時はリヤカーで、大人になったら車でおじさんが家の近くで
「石焼き芋〜いもっ」と売りに来てくれた物だったけど、今はスーパーや焼き芋専門店があって、ありがたい事に身近な食べ物になった。
それでも『焼き芋フェア』やアニメで
焼き芋ネタを見た時に「秋だなぁ」と季節の変わり目を感じる。そして子供と一緒に『焼き芋グーチーパー』を歌のだ。
初めてカセットデッキが家にきたのは
弟がまだ小学校に入る前だった。
母が「ガチャって押してここが動いたら、いつもの様に歌って』と弟に言う。スイッチを「ガチャ」と押しテープが回転するのを見ては母が弟に合図をする。弟がお気に入りの歌を歌いだす。
「まいにち〜まいにち〜ぼくらはてっばんのぉ』とおよげたい焼き君の歌を歌う。
字の読めない弟は耳コピ覚えているのと、上手く発音できない事もあって「店のおっさんとぉ」や「うみににげとんだのさぁ〜」と歌っていた。
私はというと姉として弟の間違いを正そうとして母に抱き抱えられ手で口を押さえられていた。
弟が、歌い切ると母が機械を止める。そして又ボタンを押すと幼い弟の声歌と「間違ってるぅ」とか「私も〜」とか私と思われる声が聞こえてきた。初めて聞く自分じゃない自分の声といつも聞いてる弟の声。初めて自分の内と外で声が違う事を知った日。