私はよく、永遠に夜ならいいのにと思うことがある。
世の中が寝静まった世界は居心地が良い。
静かだし、時間も止まった感じがする。
何より、私の体は間違いなく夜型に作られていると思うのだ。
今までの人生で、子供の頃から夜型で、学校にはいつも遅刻をしていた。
朝が大嫌いで、昼も体調が悪く、、夕方になると段々楽になってくる。
社会人に、なってからも昼職だったので、かなり無理をしていたので、いつも体調は悪かった。
今も、昼職だが、自由業なので多少は融通がきく。
夜職はどうかというと、それはそれで、朝方帰宅して、寝て、昼過ぎから夕方に起きるというサイクルは、体調をおかしくする。
だから、一番良いのは、自分の裁量で仕事と時間調整ができる自由業なのだ。逆に、私にはこういう仕事しかできないと高校生の頃から分かっていた。
でも、人間変われるかもと期待して頑張ったがダメだった。
私は、永遠に夜型人間だったのだ。
朝になると気分が落ち込む。
電話が鳴り、誰かが訪ねて来るかもしれない。
外はうるさく、集中できない。
途端に社会人としての義務や常識が発生するのだ。
夜のほうが仕事がはかどるのに。
だから、永遠に夜でいいと、いつも思っている。
もちろん、大切な存在を失ってしまった時は涙が止まらない。
なぜか両親の死の時は涙を流さなかったし、それほど悲しくもなかったが、愛猫たちが死んだ時は、数日たってから涙が止まらなかった。
しかし、涙が出そうになる時がもう一つある。
それは、プライドを傷つけられた時だ。
それも、自分が覚悟していた欠点ではなく、思わぬところで欠点?を指摘された時に涙が出そうになる。
死ぬほど恥ずかしいし、死ぬほど悔しいからだ。
自分でも大人げないとは思うが、そんな時はかなり頭にも来ている。ブチ切れたいが、大人げないから何とか耐えてはいる。
しかし、理由をつけてその場から離れるようにしている。
また、私のその欠点を指摘した奴とは縁を切るか、それができない時は外敵として認識し、極力接触しないようにする。
そもそも過去に、辱めを受けたことは一生忘れられない。
何の権利があって人を辱めるのか?
でも、人の評価ごときで感情が大きく揺れてしまうメンタルの弱さに問題があることは確かだ。
ただ、そういう性質はなかなか治るものでもないので、今は、人との距離感を慎重に測りながら生きていくしかないと思っている。
私はよくコーヒーを冷ましてしまう。
カップラーメンを伸ばしてしまう。
フライパンを焦がしてしまう。
炊飯器のスイッチを入れ忘れてしまう。
つまり、時間感覚が麻痺しているのだ。
3分間待つところが、10分経っているし、1時間で済むと想定したタスクは、結局2時間かかってしまう。
そう、時間の想定が甘いのだ。それで計画と実践との乖離が激しくなるのだ。
また、ボーッと待つのが嫌なので、つい別のタスクにとりかかり集中すると、思わず多くの時間が経過してしまっていることもある。
さらに、食事を終えるのが遅い。最低でも40分は食事に必要だ。
こんなだから、コーヒーが冷めないうちに何かを処理するなんてできるわけがない。
とことんマイペースな人間なのだ。
パラレルワールドは実在するのか?
答えは?である。
子供の頃は、よく妄想した。
たとえば、鏡の中には別の世界があり、今いる世界が実は鏡の中の世界であり、現実は向こう側にあるとか。
しかし、大人になると妄想する時間がなくなり、「もし〜なら」といった問い自体がくだらなく思えてしまう。
しかし、目に見えるものだけが私たちの世界ではない。
電気も、電波も、磁場も、目に見えない光も、確かに存在しているのだ。
となると、幽霊の存在も否定し難くなる。
死後の世界を見た人はいない。
一方で、幽霊を見たという人はいる。
死神を見たという人もいる。
それなら、霊界は存在するかもしれない。
私は、幽霊を見たことはないが、UFOを見たことはある。
だから、霊界の存在を否定はしない。
いつの日か、科学的に解明されるのか?
その分野が、もっとビジネスとして成り立てば、単なるオカルトではなく学問として確立するかもしれない。
大学で自然科学の学部一つとして幽霊学部たるものができる日が来れば、霊界の存在が科学的に立証される日も来るであろう。
現時点で、人の脳のことすら未解明なので、先は長いとは思うが。
時間というものほど不思議なものはない。
時間が地球の自転や公転と関係があるなんて信じられない。
だって、いくら地球を早く回っても未来には行けないからだ。
さらに時間感覚というものも興味深い。
子供の頃は一日の時間が長く感じ、年を取れば取るほど短く感じる。
どうやら人間の代謝が関係しているそうだが、まだよくわからない。
唐突だか、過去に私は、時間を止めたことが何度かある。
ジョジョの奇妙な冒険で時間を止められるスタンドがあったが、あながち嘘でもなさそうだ。
アスリートで言う、いわゆるゾーンに入ったときだ。
サッカーの試合で、難しいシュートを決めたときは、ボールもまわりの人間も全てがスローモーションで、私の思考だけが高速に回っていた。
だから、自分の思い通りに、全くミスなく、冷静にシュートできたのだと思う。
そういう時は大体ゾーンに入っていた。
今では、時間は、自分の想定よりも、とても早く過ぎてゆく。朝起きたらあっという間に夜になってしまう。
何かに集中すると時間感覚がなくなるらしい。
残りの人生もあっという間に過ぎてしまうだろう。
その間に、時計の針が重なるように、誰かとの大切な出会いがいくつあるのだろうか。
残された時間はあまり長くはないが。