一介の人間

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8/25/2024, 2:43:29 PM

向かい合わせ

とある三兄弟のお話。

 くすり、と口に手を当ててあの人は軽く笑った。自信満々に、そんなことあり得ないとでも言うかのように。それに腹が立って、向かいに居るあの人の足を蹴ったくってやるのだ。

8/15/2024, 1:02:02 PM

夜の海

とある三兄弟のお話。

三男より。

砂に塗れたサンダルを脱いで、打ち寄せる波に足を踏み入れる。ひやりと冷たい水の感覚が足の裏から腰のあたりまで走って、鳥肌が少し立つ。足元に目線を下げて、寄せて帰る波が自分の足で白い泡を立てる様をひたすらに眺めていた。
 夜風が潮を含んで、己の背後に聳えるコンクリートや金属でできた手すりやら窓枠やらに吹き付ける。そうして、長年あり続けた人工物達はところどころ錆び、頼りなさを醸し出す。それがなんだか似つかわしい。
 今は真夜中。コンクリートで舗装されただけの、ひび割れ段差ができ、舗装の意味を成さない道をわざわざ通って、こんな辺鄙な海辺にまで来る人間は珍しく、己以外に見たものといえば、騒々しくそこそこの人数を連れたバイクの集団と、少々粋な外観をしていた自動車一台であった。
 何故己はこんなところに来たのか。
 ......誰も居ない浜辺に、服が濡れるのも構わず座り込む。はじめに、水に足をつけた場所よりも随分と離れた場所に、どっかりと座り込む。頭上に目線を上げれば、流れる微かな雲と、半月。それに星々。己が愛してやまない空が、真夜中という言葉で彩られ、また違ったら美しい様相を醸し出している。

 これだ。これだけが己がここに来た意味である。

 海。真夜中。そして空。これだけがここに来た理由なのだ。どうせ寝る事の出来ない夜、月が沈むまでこの時間を、有意義に過ごす為にここまで来た。空は良い。
 ズボンも下着もびっしょりになり、もう手遅れだと思いながらも、頭から足先まで充足感が満ち溢れる。立ち上がり、視線を海面へと移す。月が浮かんでいる。波に揺らいだ月が、水面に映し出されている。
 今日は良い夜だ。潮風に塗れてベタベタする髪も、しっかり濡らした服も、それすらも良い夜の一部になったのだ。

6/25/2024, 3:13:24 PM

繊細な花

とある三兄弟のお話。

三男より。

 ふと、気付いた時には、それは立派な薔薇が、我が家の庭先に生えていた。いや、勿論薔薇は繊細な花であるから、勝手に生えるなんてこと珍しいのだが、こればかりは思い当たる節がない。多趣味な次男なら...と一瞬考えもしたが、ここ最近の彼は忙しそうにしていて、仕事以外のことに割く時間は持ち合わせていない様子だった。
 では一体誰が...と考えたところで、その犯人は一人しかいないことに気づく、気づいてしまう。我が家の長男しか、こんなことできる人間はうちにいないのだ。いやまさか、と思ったが、薔薇の咲き誇るさまをこう、ずっと眺めていると、なんだかあの人らしさが見えてくる気がして余計に犯人らしくなってきた。
 あとで問いただそう。そう決意した己は、棘が生い茂り、側を歩きたくなくなる門の先に足を進めた。暫く正門を通って家に入るのは止めようと思う。

6/24/2024, 1:30:28 PM

一年後

とある三兄弟のお話。

次男より。

 あのまんじゅうの話ではないが、自分には恐ろしいものがある。一人だ、自分は一人が怖い。空間的な一人というよりも、概念的な、人と人との繋がりないという意味での一人が怖い。
 最近は、同居している兄も弟も仕事を忙しくしており、家に居るのが自分一人という事ばかりだ。正直、家の事をやるのは自分なので、家事の不得意な兄だけでないのは幸運だと思っているが。しかし、人間関係を築くのが苦手である自分にとって、関わりのある人間と言えば兄弟か同僚しかいないのだ。
 愛する兄弟がいればそれで良い...そう思えど、彼等の未来を覗き込む事はできない。いつか一人になる未来があるのではないかと恐ろしくなる。たったの一年でだって物事は変わるのだ。
 一人は、恐ろしい。まんじゅうなんかよりもっと恐ろしいものだ。せめて、せめて一年後までは、彼等と共にあれる未来でいて欲しい。

 

6/23/2024, 2:37:19 PM

子供の頃は

とある三兄弟のお話。

三男より。

 子供の頃は、ずっと空ばかり見ていた気がする。流れる雲に心を馳せて、自分も、知らない、見たことのない土地へ旅立っているような感覚を味わっていたと思う。
 でもそれは昼の、群青広がる空ばかりの話で、今のように、月に照らされた暗い空や、灰に染まった雲の流れをよく見た事はなかったはずだ。
 子供の頃は、こんな風に庭先に出ることも難しかった。あの父の元では部屋の中から出してもらうのすら一苦労だった。今こうやって、軒先に座り、夜もすがら空を眺め、少しお茶を嗜むなんて事ができるのは、あまりに贅沢に感じてしまう。
 ...夏であろうと、夜風は体が冷えてしまう。昔の記憶から戻ってきたその頭で、茶葉の沈澱したお茶を飲み干し、ゆっくりとリビングに足を向けた。

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