日陰
とある三兄弟のお話。
次男より。
兄弟の中では飛び抜けて高い背をしているせいで、陽射しが強い日は日陰によく兄弟がいる。日陰にするのは構わないけれど、引っ付くのはやめて欲しいと思う。いくら二人の体温が低かろうと暑いものは暑い。
帽子かぶって
とある三兄弟のお話。
長男より。
いつもより下にある丸い頭がゆらゆらと揺れながら何かを探している。出掛けることになってから少々時間を掛けて準備をしていたはずだが、同行する予定の弟が、ん、と足を伸ばし方足立になりながら何かに一生懸命手を伸ばす姿を、かれこれ15分前から見かけていた。どうやら用はやっと解決したようで、よいしょ、と呟くと伸ばした足を戻し、いつものようにスラリと背筋を伸ばし二本足で立つ。
「はい」
手渡されたそれは一つの黒い帽子だった。見覚えのある帽子だなと思ったが、少しの逡巡のあとその覚えに合点がいく。
「俺が使ってたやつ、よくそこにあるって分かったな」
懐かしいそれはまだ学生だった頃に使っていた帽子だった。小洒落てて、使い勝手は良かったが、私服の傾向とあまり合わなかったことから、歴に比べて状態はとても良い。
「かぶって」
「これまた急だな」
いいから、と少し低い目線がぐんと近づいてきて頭にぽんと帽子を乗せる。随分長い間被っていなかったはずなのに、お前は変わっていないなとばかりにすっぽりハマった帽子が少し気に食わない。
「うん」
満足げに頷く末の弟に、思わず何がと聞いてしまう。
「その服に似合うと思って」
あと今日は日差しが強いから、と。
可愛いやつめ。
向かい合わせ
とある三兄弟のお話。
くすり、と口に手を当ててあの人は軽く笑った。自信満々に、そんなことあり得ないとでも言うかのように。それに腹が立って、向かいに居るあの人の足を蹴ったくってやるのだ。
夜の海
とある三兄弟のお話。
三男より。
砂に塗れたサンダルを脱いで、打ち寄せる波に足を踏み入れる。ひやりと冷たい水の感覚が足の裏から腰のあたりまで走って、鳥肌が少し立つ。足元に目線を下げて、寄せて帰る波が自分の足で白い泡を立てる様をひたすらに眺めていた。
夜風が潮を含んで、己の背後に聳えるコンクリートや金属でできた手すりやら窓枠やらに吹き付ける。そうして、長年あり続けた人工物達はところどころ錆び、頼りなさを醸し出す。それがなんだか似つかわしい。
今は真夜中。コンクリートで舗装されただけの、ひび割れ段差ができ、舗装の意味を成さない道をわざわざ通って、こんな辺鄙な海辺にまで来る人間は珍しく、己以外に見たものといえば、騒々しくそこそこの人数を連れたバイクの集団と、少々粋な外観をしていた自動車一台であった。
何故己はこんなところに来たのか。
......誰も居ない浜辺に、服が濡れるのも構わず座り込む。はじめに、水に足をつけた場所よりも随分と離れた場所に、どっかりと座り込む。頭上に目線を上げれば、流れる微かな雲と、半月。それに星々。己が愛してやまない空が、真夜中という言葉で彩られ、また違ったら美しい様相を醸し出している。
これだ。これだけが己がここに来た意味である。
海。真夜中。そして空。これだけがここに来た理由なのだ。どうせ寝る事の出来ない夜、月が沈むまでこの時間を、有意義に過ごす為にここまで来た。空は良い。
ズボンも下着もびっしょりになり、もう手遅れだと思いながらも、頭から足先まで充足感が満ち溢れる。立ち上がり、視線を海面へと移す。月が浮かんでいる。波に揺らいだ月が、水面に映し出されている。
今日は良い夜だ。潮風に塗れてベタベタする髪も、しっかり濡らした服も、それすらも良い夜の一部になったのだ。
繊細な花
とある三兄弟のお話。
三男より。
ふと、気付いた時には、それは立派な薔薇が、我が家の庭先に生えていた。いや、勿論薔薇は繊細な花であるから、勝手に生えるなんてこと珍しいのだが、こればかりは思い当たる節がない。多趣味な次男なら...と一瞬考えもしたが、ここ最近の彼は忙しそうにしていて、仕事以外のことに割く時間は持ち合わせていない様子だった。
では一体誰が...と考えたところで、その犯人は一人しかいないことに気づく、気づいてしまう。我が家の長男しか、こんなことできる人間はうちにいないのだ。いやまさか、と思ったが、薔薇の咲き誇るさまをこう、ずっと眺めていると、なんだかあの人らしさが見えてくる気がして余計に犯人らしくなってきた。
あとで問いただそう。そう決意した己は、棘が生い茂り、側を歩きたくなくなる門の先に足を進めた。暫く正門を通って家に入るのは止めようと思う。