一介の人間

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夜の海

とある三兄弟のお話。

三男より。

砂に塗れたサンダルを脱いで、打ち寄せる波に足を踏み入れる。ひやりと冷たい水の感覚が足の裏から腰のあたりまで走って、鳥肌が少し立つ。足元に目線を下げて、寄せて帰る波が自分の足で白い泡を立てる様をひたすらに眺めていた。
 夜風が潮を含んで、己の背後に聳えるコンクリートや金属でできた手すりやら窓枠やらに吹き付ける。そうして、長年あり続けた人工物達はところどころ錆び、頼りなさを醸し出す。それがなんだか似つかわしい。
 今は真夜中。コンクリートで舗装されただけの、ひび割れ段差ができ、舗装の意味を成さない道をわざわざ通って、こんな辺鄙な海辺にまで来る人間は珍しく、己以外に見たものといえば、騒々しくそこそこの人数を連れたバイクの集団と、少々粋な外観をしていた自動車一台であった。
 何故己はこんなところに来たのか。
 ......誰も居ない浜辺に、服が濡れるのも構わず座り込む。はじめに、水に足をつけた場所よりも随分と離れた場所に、どっかりと座り込む。頭上に目線を上げれば、流れる微かな雲と、半月。それに星々。己が愛してやまない空が、真夜中という言葉で彩られ、また違ったら美しい様相を醸し出している。

 これだ。これだけが己がここに来た意味である。

 海。真夜中。そして空。これだけがここに来た理由なのだ。どうせ寝る事の出来ない夜、月が沈むまでこの時間を、有意義に過ごす為にここまで来た。空は良い。
 ズボンも下着もびっしょりになり、もう手遅れだと思いながらも、頭から足先まで充足感が満ち溢れる。立ち上がり、視線を海面へと移す。月が浮かんでいる。波に揺らいだ月が、水面に映し出されている。
 今日は良い夜だ。潮風に塗れてベタベタする髪も、しっかり濡らした服も、それすらも良い夜の一部になったのだ。

8/15/2024, 1:02:02 PM