親や保護者に限って言えば、わたしには抱っこなどの記憶はない。水に沈められた時に抱き上げられたようではあるが。
わたしのぬくもりの記憶、それは養母の家にわんさかといた猫たちである。犬は小屋に繋がれていて、力が強すぎて散歩になかなか連れて行けず、鎖を長くして走り回れるように工夫はしていた。
猫の中でもわたしに懐いてくれたのは少数。
でも寝転んで本を読んだりしているとのぼってきて、わたしの背中をベッドにしていた。
毛糸のマフラーを編んだ時は、毛糸玉にじゃれついて何度も毛糸を噛み切って、結果ヨダレべたべたのマフラーが出来上がった。
猫たちと一緒に丸まって日向ぼっこをした。ぬくもりの記憶といえば、そんなところだ。猫の寝言も何度も聞いた。もう一匹も生き残ってはいないが、わたしの心の中で生きている。
【ぬくもりの記憶】
わたしは小さい頃血行が悪かったのか、よく手や足に霜焼けを作っていた。
雪の日の小学校の雪遊びなどは寒さに震えて楽しめなかった思い出だ。
手が凍えて、カサカサになって、グーを握るとびしびしっと直線状にヒビが入って、出血した。
父はお湯に手を漬けさせて、おそらくわたしの冷え切った手を温めようとさせたのだろうが、それは必要な油分を奪って、余計に切れやすくなるだけだった。
冷たい、冷たい、わたしの手を見て父は言った。
「心が冷たいせいだ」
【凍える指先】
さっぽろ雪まつりに何度か行った。その度に道民の友人数名と会って一緒に見て回ったり、色々観光したりした。でも道民は総じて寒さに弱かった。
少し見たところで雪原の寒さに耐えかね、お店に避難したがった。わたしはもう少し見たかったが、一緒に店に入りジンギスカンを頂いた。しめにうどんを入れても美味しいよと友人から聞いて、へえと思った。
あとは小樽の氷祭りにも行った。アイスバーでホットワインを頂いた。ワインはすぐに冷めた。
回らない寿司屋で食事したのもその時だったろうか。
道民が寒さに弱い訳が、別の友人宅に宿泊して分かった。ガンガンストーブを焚いて、部屋では薄着で過ごしていた。重ね着を繰り返して武装したわたしとは、冬の過ごし方から違っていたのだ。
【雪原の先へ】
わたしはとある事情で長屋に住んでいたことがある。
住んでいたというか、滞納金のカタに住まわされていたと言うべきか。
だから通常の二倍の家賃を払わされていた。それでも二万ちょいだったけれど。水道代なし、和式トイレ・風呂・洗濯機共同で。
壁はベニヤ板一枚。隙間から隣が見える。台風の時は室内干しの洗濯ものが揺れる。当然冬は息が白かった。室内でコートを着て、手袋をはめて、コタツにもぐって、しのいでいた。
その頃から多少寒くても着込んで耐えるクセがついていたのではないかと思う。
今でも室内で息が白いことはよくある。ストーブをつければ良いのだけれど、着込んでしのごうとしてしまう。尚、コタツは処分されてしまったので、ない。
【白い吐息】
わたしの友人は、わたしの保護者には内緒で作った友人であるが、幼い頃にお母様を亡くしておられた。
残されたお父様は家事が出来ない人。
まだコンビニもない時代。
お惣菜もスーパーにそんなに置いていない頃。
きっと、友人は食生活に苦労されていたのだと思う。
わたしはそんな事情も知らず、趣味で作った拙いお菓子を学校に持ち込んで、その友人に振る舞っていた。
それが後々、友人にとって、心の灯りになっていたことが判明する。
わたしにとっては、なんてことない、気まぐれな親切だった。でも友人には、かけがえのない手作りの味になっていたのだ。
それを高校で再会した後聞いて、わたしが友人の心の灯りを知らずに灯し続けていたことに驚いたし、嬉しくも思ったのであった。
【消えない灯り】