命が燃え尽きるまで(2023.9.14)
その日、その時、あたしは生まれた、
なんにも、なんにもわからないまま、隣を見たら、
あなたが、ぱちぱち、ぱちぱち、激しくまたたいて、
ああ、なんて、なんてキレイなんだろうって、
あたしもつられて、ぱちぱち、ちかちか、またたいて、
そのうち、だんだん、体が重たくなって、
ああ、終わるんだなって思ったけど、だけど、
最後まで、あなたを見てたいなって、思ったから、
あなたが、ひときわ大きくまたたくのを見て、
あたしは消えたの
ー遠き日の線香花火に寄せてー
世界に一つだけ(2023.9.9)
わたしが、あなたが、どんなに頑張ったとしても、代わりはいます、世界は回ります、変わらないことも多いです。
しかし、しかしです。
私自身も、あなた自身も、世界という集合体を形づくる一欠片でありますゆえ、あなたが欠けるということは、世界が欠けるということ。
少なくとも、わたしの世界にとって、あなたは不可欠なのです。不可欠な、たった一つの一欠片なのです。
それをどうか、忘れないでほしい。
鳥のように(2023.8.21)
「私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、地面を速くは走れない。」
空を見上げて、ふとそう呟いてみる。いつだったか、国語の授業で金子みすゞの詩を暗誦させられたことがあり、空を飛ぶ鳥を見つめているうちにふうっと思い出したのだ。確か題名は「私と小鳥と鈴と」。なんだか可愛らしい感じだな、なんて思いながら読んでいたのを覚えている。まぁようするに、「みんなちがってみんないい」という詩なのであるけれど、なんともおめでたい思考だな、と毒づきたくなる。自分にできない何かをできる他人を羨みつつも、自分にできることを誇る。それができる人は、きっとこの詩に素直に感動できるのだろう。では、何もできない人は、私は、どうしたらいいのか?私にできないことをできる他人に、私にさえできることができないわけがない。他人を羨み、妬み、自己嫌悪する。その繰り返しだ。
私は鳥のようにも、「私」のようにもなれない。
裏返し(2023.8.22)
これは割とどうでもいい話なんですけど。
「厳しさは愛情の裏返し」、みたいな言葉ってあるじゃないですか。
つまりは、愛情というものは表面と裏面が存在するような、薄っぺらい紙みたいなものなんですよね。
本当にくだらない話です。
海へ(2023.8.23)
「なんか、海行きたい」
夏休みも終わりがけの頃、ふとそう思い立った。
夏といえば海。そんな安直な考えのもと、何としてでも海に行こうと決意する。
それではどうやって行こうかと、近くの浜にどう行くか調べてみた。生来山育ちの私の家のすぐ近くには海などなく、細々と走る電車に揺られて30分、そこから1時間ほど歩かなければ浜には着かない。電車だけで行ける浜もあるにはあるが、そちらは電車賃の出費がなかなかに痛かった。
よし、歩くか。またも安易に決意して、最寄駅へ自転車を走らせた。
30分後、浜の最寄駅に着く。夏の暑い日、しかも家を出たのが昼頃だったので、ちょうど気温の最も高い時間帯だ。当然のことながら、酷暑の道路を歩く人影はない。
覚悟を決めて歩き始めた。この辺りの地域はほとんど訪れたことがなく、見るものが全て目新しくて楽しい。……そんなことを言っていられたのは最初のうちだけだった。
暑い。とにかく暑い。そして、思いの外徒歩1時間は遠すぎる。延々と続く田んぼと工場の間のまっすぐな道を歩き続けてはや30分、もう心が折れそうだった。
やっと、やっと海が見えてきた。水面は日の光できらきらと輝き、海鳥が涼しげに飛び交っている。浜までは、あともう少しだ。
堤防をひぃひぃ言いながらなんとか乗り越えて、浜に降り立つ。あんなに切望していた浜は、案外漂流物で雑多だった。しかし、寄せては返す波をじっと見つめていると、ここまできた苦労も水に溶けていくようだった。
帰りの1時間をまた歩いた私から感想を言うとしたら、言いたいことは一つだけ。
自動車は偉大だ。
空模様(2023.8.19)
「空『模様』」とはよく言ったものだな、と思う。どんなときだって、空には不定形の雲が流れていて、時間と共にその色合いを変えていく。特に、夕暮れごろの空の、なんともいえないあの美しい色合いの模様を見ると、私はいつもしばらく心を奪われてしまうのだ。365日、空は我々の上にあるけれど、その模様は一瞬たりとも同じではない。それは、なんと素晴らしいことではないか。
さよならを言う前に(2023.8.20)
「さよなら」なんて、普段は恥ずかしくってなかなか言えないけれど、今日だけは、いや、今日こそは言うべきだと思う。けど、その前に、もうひとつ、言うことがあるから、聞いて欲しい。
ありがとう。その一言に尽きる。たった五文字に込め切れるような、簡単な感謝じゃないけれど、私はこの言葉しか知らないから。ただただ、ありがとう、ありがとうと言わせてほしい。あなたのこれまでのすべての献身に、努力に、感謝と称賛を送らせてほしい。
一言、というには長くなってしまったけれど、これが私の伝えたいこと。
それじゃあ、さよなら。
鏡(2023.8.18)
鏡に映った自分の顔を見てみる。
毎日見ている顔だけど、本当は見たことがない顔。
なんとなく見慣れない顔。
周りのきらきらした人たちと比べたら、不細工だな、なんて思うこともたくさんあるけど、夜中に見たりすると「おっ、なんかいい面構えじゃん」なんて思ったりもする。
それと同じように、よく言われることかもしれないけれど、周りの人の態度は自分を映す鏡だ。自分の顔以上に、自分の態度なんてなかなか顧みるのが難しい。だから、「なんかいい感じ」の人は、大切にしていこう。与えられたものを、自分も同じだけ返す。他人の優しさを、鏡のように返せるようになれば、きっと今日も「なんかいい感じ」の自分でいられるはず。
いつまでも捨てられないもの(2023.8.17)
近年、というほど最近のことでもないけれど、物を捨てられない人はけっこう多いと思う。わたしももれなくその1人だ。家族からは、「お前が一人暮らししたら絶対ごみ屋敷になるね」ときっぱり断言されてしまった。いやいや、捨てなければならないときが来ればちゃんと捨てられるし、なんて反論しようとしたけれど、今の自室の散らかりようを見ると自分でも少し不安になるのである。
結局のところ、我々「捨てられない人」が真に捨てられないものは、「やればできるはず」という自分への過剰な期待や、「いつか使うかも」というよくわからない確信なのかもしれない。