【ないものねだり】
成績優秀、品行方正。誰しもが認める優等生。いつも比較されてばかりの俺からすると、クソムカついて仕方がない双子の兄が、俺の眼前で珍しくも頭を抱えていた。
「いや、無理だって。本当に俺、こういうセンスないんだから」
「自覚あるなら断れば良かっただろ」
学園祭のポスター案らしきものが、リビングの床にいくつも並べられている。どれが良いか選んでほしいだなんて実行委員の連中に頼まれて、ほいほいと受けるからこうなるんだ。こいつ本当に色が見えてるのかって疑うレベルで、色彩センスだけは昔から壊滅的なくせに。
ちらりと、そいつの視線が部屋の片隅に置かれたガラス棚へと流れた。そこに並んだいくつもの賞状へと、恨みがましい視線を注ぐ。
「お前の芸術センスが羨ましいよ」
「ふざけんな、嫌味か」
確かに美術の成績だけはこいつに勝ってるし、描いた絵がコンクールで賞をもらうことも多いけど。お前のせいで、俺がどれだけ針のむしろに座らされてると思ってるんだ。「双子のお兄さんは優秀なのにねぇ」なんて、成績表を前に担任に呆れられた俺の気持ちも少しは考えやがれ、こんちくしょう。
「もうお前が選んでよ。得意だろ、こういうの」
「美術部の会計処理、代わりにやってくれんなら考える」
学園祭に向けて画材を買い込んだは良いが、会計ノートに書くのを後回しにしてしまったレシートが山ほど溜まっていた。こいつなら全く手間じゃないんだろうにと思うと、無性に腹立たしい。
「やる。今日中に全部片付けてやるから、代わりにこっちお願い」
即答だった。俺がこんなにも面倒に感じる作業は、こいつにとっては二つ返事で引き受けられる程度のものなのだろう。ああくそ、苛立たしくて仕方がない。
はあ、と吐き出した溜息が二人分、綺麗に重なった。
【好きじゃないのに】
ネオンの輝く歓楽街の片隅。開いたスマホの画面に、無機質な文字が踊っている。高校の頃の同級生全員が、問答無用で登録されたメーリングリスト。そこから届いた一斉送信のメールの文字が、変わることのない事実だけを粛然と俺へと突きつけた。
(あいつが、死んだ……?)
古くさい慣習に縛られた狭い世界が窮屈で仕方がなくて、高校の卒業と同時に故郷を飛び出した俺と違い、家業を継がなければいけないからと寂れた田舎町に残った幼馴染。気分屋で悪戯好きだった俺のことを、幼い頃からいつも小姑みたいに叱りつけてきた、何もかもが正反対だったヤツ。
好きなんかじゃなかった。むしろ大嫌いだった。上京してきてからは一度も、連絡すら取っていなかった。昔からずっと、口を開けば喧嘩ばかりで。ああ、なのにどうして。
頬を冷たいものが伝う。こぼれ落ちた水滴が、スマホの画面を濡らしていく。手の甲で必死にこすっても止まることなく、まるで涙腺の制御を失ってしまったみたいに。
(……どうして俺は、泣いてるんだ)
わからない、何も。俺には全然、わからないんだ。
騒々しい都会の喧騒の向こう。バカだねと笑うかつてのお前の涼やかな声が、耳の奥で響いたような気がした。
【ところにより雨】
窓の外から響く雨音に身をゆだねがら、文庫本の頁をめくる。ゆっくりと過ぎていく時間が心地良い。
スマホのバイブレーションに、ふと顔を上げた。表示されている名に、考えるよりも先に指が動く。
「もしもし?」
「あ、悪い。今、大丈夫だった? たいした用事じゃないんだけど」
「良いよ、どうかした?」
相手が君じゃなければ、読書の邪魔をされた苛立ちを覚えたのだろうけれど。君の声は好きだから、特別に許してあげよう。
「桜がすごく綺麗でさ。見てたら話したくなって」
朗らかな口調で君は言う。それに首を傾げた。
「雨なのに桜を見ているの?」
「え、雨? 普通に晴れてるけど」
おや、今日は大学でサークル活動があるのだと言っていたから、そこまで距離が離れてはいないはずなのに。
「そっか、そっちは雨なのか。ちょっと待って」
カシャリと電話口から聞こえたシャッター音。そうしてすぐに、一枚の写真がメッセージアプリを介して送られてきた。
鮮やかな青空の下に、満開の桜が咲き誇っている。少しだけブレてしまっているのは、ご愛嬌というやつだろう。
「桜のお裾分け。じゃあまた!」
慌ただしく通話は切れていた。まったく、時間がないのなら無理に電話なんてかけてこなければ良いのに。
窓の外ではまだ、ざあざあと雨が降りしきっている。スマホに表示した桜の写真を眺めながらそっと、小さな笑みをこぼした。