塩水ウニ、なんて美味しいんだろう。海の恵みが僕に訴えかけてくる。まったく海からの愛だ。
思い返せば、中学の頃のこと。
合唱コンクールで、僕たちのクラスは「君と見た海」を選んだ。
あの時の僕はイタズラばかりしていた。
心こめて歌う「海よ〜海よ海よ〜」を
「ウニよ〜ウニよウニよ〜」
と歌っていた。
隣と前列のクラスメートはそれに気付いていただろう。でも、彼らは気づかないフリをしてくれた。小さな愛がそこにあったのかもしれない。
結果として、僕たちのクラスは仲が良く、見事に金賞を手にした。
小さな愛と友情が海のように広がっていたのさ。なんてね。
「小さな愛」
空は、いつだって僕たちの感情を受け止めて寄り添ってくれる。僕たちの感傷にも付き合ってくれる。そこから詩や物語が生まれる。空はとても寛容で、喜びも不安や悲しみもすべて受け入れてくれるんだ。
だけど、その寛容さ故に、恐ろしい事実さえも許してしまう。
僕たちの手が引き起こすミサイルという悲劇をもただ見守ってしまうのだ。
こうやって、空を見上げると、嬉しさや悲しみが交錯し、心が揺り動かされる。
空には、いろんな光があって影だってあるんだ。
「空はこんなにも」
少年の夢は、その時々でさまざまに変わり、宝ハンターになりたい時もあれば宇宙飛行士になりたい時もあった。
少年は、パパがお酒を楽しんでいるのを見て、大人の世界が羨ましくもあったけど、子どもとしての自由の方が楽しいと感じていた。
そして、やがて少年は青年になる。
大人になると、責任というものを負い、子どもの自由さはなくなる。でも多くの選択肢が増え、子どもの頃とは違う自由が待っていた。お酒だって飲める。
けれども、子どもの頃を懐かしく思い出す。
限界がなく、純粋な好奇心で満ち溢れていた子ども時代。
青年は冷えたビールの泡の中にそんな少年時代に夢を追いかけた輝きを見るのだった。
「子供の頃の夢」
日暮れない土曜の夏の夕刻。休日前のひととき。
噴水広場には、路上パフォーマーがギターを片手に、恋の勝利の歌を奏でていた。
その旋律は短調でどこか哀しい。
「あの人から勝ち取った恋人よ、どこにも行かないで。私が消えゆくまで」と切ない願いを歌う。
広場の人々はこの緩やかな時間を楽しむ。
近くの木々に宿る鳥たちや、どこかの猫もその歌に耳を傾けている。
歌声は静かに噴水の水に溶け込み、この世の全てがどこにも行かずに一つに繋がっているかのようだった。
「どこにも行かないで」
目標を見つけることがはじめの目標のプロセスでもある。
目標となる背後には特別なエネルギーを感じる。
僕はそれをを追いかけたい。
どうにかして見失わずにいたいのに、すぐに遠くに行かれてしまう気がする。
自分のペースで、焦らずにいられたらいいのにね。
「君の背中を追って」