「はい、お素麺」
「あ、ありがとう…。」
知り合ったばかりの彼女の部屋で、僕はドギマギしながら箸とおつゆを受け取った。なんでも今日は、素麺の日らしい。
「七夕にお素麺を食べるとね、一年間風邪を引かないって言う言い伝えがあるんだって!」
「そうなんだ?」
僕が育った四国の田舎町では、そんな習慣はなかった。どうせ、バレンタインみたいにどこかの素麺メーカーが勝手にこじつけたんだろう。
「あ、疑ってるね?」
僕のそんな気持ちを目ざとく察したのか、彼女は不服げに声を上げた。
「七夕に素麺を食べるのは、平安時代からの習慣なんだよ。もとは中国の皇帝の子どもが亡くなった時に始めたんだけどね。」
「へえ…。」
「皇帝の子どもが、小さい時に病気で死んでしまったの。そのあとすぐ、疫病が流行ったから、周りの人はきっと子どもの祟りだと考えて、その子が好きだったお菓子をあげたの。」
「お菓子?」
「そう。索餅っていうお菓子よ。索餅は、そうめんの元になったお菓子なの。細長くしたのをねじって…」
熱心に素麺のルーツを説明する彼女を見て、僕はなぜかドキドキしてしまった。人が我を忘れて、何かに夢中になるのを目にするのはいいものだ。
「聞いてる?」
「あ、うん聞いてるよ。」
本当は全然はなしなんか聞いてない。素麺を食べてはいるが、味だってまったく分からない。彼女のきれいな柔らかそうなピンク色の頬に心を奪われたままだ。
彼女が素麺に缶詰のミカンを入れる家庭の出身じゃなくて良かった、とぼんやり考えている。
【七夕】
私はやっと思い出した。彼は、小さい頃家の近くに住んでいた、幼なじみだ!
「何やってんの?」
思わず声を張り上げた。道でいきなり肩をたたいてくるなんて、人違いだったらどうするつもりだったんだろう?人ごとながら心配になってしまう。
改めて顔を見ると、幼い頃の面影はそのままに、青年らしくがっしりとした骨格に変貌している。逞しい肩や背中が、会わなかった期間の長さを感じさせる。
悪びれないニコニコと無邪気な笑顔に、私は思わず微笑み返した。昔から、なんだか憎めないところがあるのだ。あるいは友達の思い出は、美化されるものなのかもしれない。
「どこ行くんよ?」
「ああ、合気道の稽古だけど…。」
私は肩にかけた杖袋を指しながら答えた。一般的には杖イコール合気道ではないが、私が通う道場では、かなり杖型に力を入れているのだ。
【友達の思い出】
星空のもとで、私たちはそっと寄り添った。左頬に感じるぬくもりが、私の心をほっとさせる。
じっと見つめる視線の先で、星々は少しずつ南に動いていく。夜が更けて、空気が冷んやりと身体を包みこむのを感じた頃、二人はようやく身体を引き離した。
これからの未来を想像すると、今の平穏さが奇跡のように思える。
「明日…。」
私は気持ちを引き締めながらつぶやいた。
「いよいよだね。」
答える彼の横顔は、暗がりの中にシルエットとなって浮かんでいる。この横顔がたまらなく好きだ、と思いながら私は目を逸らした。今は時間が惜しい。
「夜が明けたら出発だね。」
私は手近な荷物をまとめた。失敗は許されないのだ。
テントの中の小物を隅に押しやり、寝袋に入って眼を閉じる。まださっきのキスの余韻で、心なしか鼓動が早い。
そっと横を見ると、彼はさっさと眠る構えのようで、アイマスクを付けているのが薄暗がりの中で見えた。アイマスク?!
(なんでやねん…。)
私は心の中で突っ込みを入れた。
もう少しロマンチックな気分でいたかったが、アイマスクで防御されたら、すごすごと引き下がるしかない。
【星空】