不完全な僕たちは、間違う。
言葉一つ隠すだけで、違う景色を見てしまう。
すれ違う言葉の中で、それでも向き合う事をやめなければ──僕達は分かりあえるだろうか。
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潮騒が響く夜の浜辺で、紺色の制服を着た過去と向き合う。
私と過去の合間にあるランプだけが、この場においての唯一の明かりだ。
遠く広がる思考の海は黒い背景と化し、潮騒の音ばかりを響かせている。
「最近はよく力を貸してくれるね。やっぱり、見ていられないから?」
潮騒の音に負けないよう声を張って、過去に問いかける。
過去は顔をしかめると、吐き捨てるように言った。
『テンプレートなんか使っているからよ』
どうやら仕事で使う『テンプレート言葉』がお気に召さないらしい。
「テンプレートは、他者との摩擦を避けるためのものだよ。誰だって言葉のすれ違いはしたくない。更に言うなら、危機管理という面から見てもテンプレートは最適解なんだよ」
私の言葉に、過去はますます眉間のシワを深くした。
『自分の言葉を使わないだなんて、寂しいものね』
「そういうもんさ。社会なんて見せかけの言葉だらけ。その言葉の奥では、弱い人間が言葉に怯えているのさ」
『弱虫』
「結構」
過去の誹りを受け止められるくらいには、こちらも年を重ねている。
「もう一度聞くけど、その弱虫に手を貸してくれるのは何故?」
私の再度の問に過去は思考の海へと顔を向けた。
暗い海から吹く涼しい風に、紺色のスカートがはためく。
風に身を任せるかのような過去の姿からは、怒りの感情は伺えない。
『難解な書物を読み解こうとしているから』
過去がポツリと言葉を零した。
難解な書物とは、寝しなに読んでいるお気に入りの本の事だろう。
「確かにここ最近は、難解な書物と向き合っているね。表向きの言葉に隠された、作者の意図を読む。君が好きな行為だ。今の書物は、君にとって楽しい?」
私の問いかけに過去が俯く。
その口元には、ほんのりと笑みが浮かんでいる。
『…楽しい』
ポツリと漏れたその言葉に、嘘はなさそうだ。
「作者の意図を読むという行為は、物語以上に情報過多になりがちだ。久しぶりにやると骨が折れるね」
『何故そんなになるまで、深読みをしなくなってしまったの?』
過去の黒い目が大人になった私を捉えている。
その目はどこまでも真っ直ぐだ。
「この世界でいちいち深読みをしていたら、身が持たないからだよ」
誰かが一の動作をしただけで、君は沢山の可能性を見出す。勝手に想像し、本来ない可能性にすら光を当ててしまう。
他人のことなどわからなくて当然なのに、わかったような気持ちになってしまう。
そうして、いちいち必要のない傷を拵える。
もし、過去にそれを知っていたなら、何かが変わっていたのだろうか。
そんな詮無いことを思ってしまう。
端的な言葉から過去は何かを探ろうと、じっとこちらを観察している。
『そう言いながら何故、また深読みをしようと思ったの?』
「向き合う時期が来たんだろうね」
『時期?』
「そう、ずっと使わないでいたコレを本当に捨てるか、昔とは違う形で使うのか。選ぶ時期」
選択肢はいつも突然に現れ、どちらかを選べと宣ってくる。それを、運命と位置づけるか私はまだ決めかねている。
「ただ、使わなくなって久しいからね。どうにも、以前のようにすんなりとは正解の景色が見えないけれどね。全ての解釈は、自由が故に──なんてね」
『表向きの言葉に流されてぐるぐる渦の中に入るから、なにしてるんだろうって思ってた』
淡々とした口調で過去が言う。
「手厳しいね。それでも助けてくれるんだから、優しいというべきかな?」
『どうとでも』
過去がニヤリと笑う。
悪戯好きそうな悪い顔だ。
「最近、作品を行き来させているのも君でしょう?」
私の問に過去は唇を尖らせた。
『ページを捲った先に真実はあるのに、ここはスクロールでつまらないのよ』
本という形なら、ページを行ったり来たりして必要情報を拾うことが出来る。
「君の美意識みたいなものに振り回されていた──という解釈でOK?」
『だいたいね』
「あの、出来ればすんなりと読めるようなものを提供して欲しいんだけど…」
『気が向いたらね』
過去はどこ吹く風だ。
対話を重ねればいずれは分かりあえるはず。
…多分。
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不完全な僕
パルファム=5~7時間
オードパルファム=4~5時間
オードトワレ=3~4時間
オーデコロン=1~2時間
オーデサントゥール=1時間
上記は香水の持続時間を表しているものだ。
上記の中で最も香りの持続時間が長い「パルファム」は、香りの濃度も高く15〜30%ほどある。
持続時間が一番短い「オーデサントゥール」の濃度は、1~3%ほど。一番上と下で、何十倍も違いがあるのだから驚きだ。
昨今はスメハラという言葉をよく聞くようになった。香りというのは好みが分かれるものであるため、いささか仕方ないことであるのかもしれない。
誰かにとって好ましい香りは、誰かにとって不快な匂い。
こう書くと悲しい事だが、人それぞれ違うが故に起こることであり、そういうものは世に溢れている。
香りだけが特別な問題というわけではない。
推し香水を作るくらい香りが好きな我が身としては、人に不快な思いをさせず、かつ自分も楽しめる方法を模索する日々である。
上半身に付けると周囲に香りが漂いやすいので、腰やスカートの裾に付けるなど工夫をしているのだが…。香りがほのか過ぎて、付けていないレベルに感じる。 香りを楽しめないのに、香水を付ける意味とは一体…。
ロータスの香りがするオードパルファムで、寝香水を試してみたこともある。
ユニセックスなロータスの香りは、癒しにもなるし、ベッドの中も良い匂いになる。翌朝になれば、ほのかに香る程度になるのだから、良いこと尽くし。
個人的には良い塩梅と思っていたのだが、残念ながら他人には不快だったようだ。
嫌そうな顔で「スパイスのような香りがする」と言われて以降、寝香水はしなくなった。
香りに慣れてしまうと、香りに疎くなる。
自分ではなかなか気付けないものだ。
これはなにも、香りだけにとどまる話ではない。
大抵の物事は、人から言われて初めて気付く──そういうものなのかもしれない。
────────────────────────香水
オリキャラ達の香りイメージメモ
博士=グリーン系
助手=フローラル系
俺=ウッディ系
彼女=ハーバル系
思考の海の番人=マリン系
カード=オリエンタル系
ドリームメーカー=シトラス系
…推し香水作りたくなってきた…。
僕達の間に言葉はいらない…。
そう言えたなら、格好が付くのに。
君の心が知りたくて。
僕の事を知って欲しくて。
僕は、君と沢山の言葉を交わし合う。
君と僕との間にある共通点を一つ見つける度に、
心は花が咲く。
今や僕の心は花畑だ。
綺麗な花を集めて、花束を作ろう。
君という存在の奇跡に感謝する為に。
君に花束を贈ろう。
僕達の間に言葉はいらない、ただ…
この花束を君に
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言葉はいらない、ただ…
肝心の言葉を隠すと、物語は複数のルートが現れ、それぞれ姿を変える。
言葉を重ねなければ、真実には辿り着かない。
それでも尚、言葉はいらないのだろうか。
夜の海に旋律が響いている。
空から鳴り響くその音は、キラキラと輝きながら思考の海へと流れていく。
音に触れた海面は、エメラルドブルーの宝石となって煌めいている。
山高帽の男と白い詰め襟のコートを着た女は、その光景に穏やかな笑みを浮かべていた。
「おや、珍しい。二人で音楽鑑賞ですか」
二人の背後から穏やかな声がかかった。
「…お前がここに来るのも珍しく、久方ぶりのことだかな。ドリームメーカー」
山高帽の男にドリームメーカーと呼ばれた人物は、にこやかな笑みを浮かべた。
「素敵な音楽が聴こえたもので。今晩の夢に一欠片、いただこうと思いまして」
ドリームメーカーは思考の海から言葉を拾う──海漁りも仕事の一つだ。
最近は本来の仕事である記憶の管理が忙しいのか、思考の海に姿を見せていなかった。
今夜は、音楽に惹かれてやってきたようだ。
「良い音ですね、植物が育っていくような美しい光景を観ているようだ。それだけでなく、コツコツとひたむきに向き合う人影や時計の針が進むような時間の経過も感じられる。不思議ですね」
ドリームメーカーの言葉に、二人は静かに頷いた。
「枝葉を伸ばす植物の姿を見たかと思うと、雪が舞っている景色が見える時もあるし、美しい海岸の穏やかな波と光が見える時もある。風も光も色も感じられる。音楽とは、世界そのものだな」
山高帽の男がそう言うと、
「穏やかな明るさでありつつ、葉の煌めきのような輝きが美しく愛おしい世界よ」
詰め襟コートの女が後に続く。
二人の穏やかな顔を見たドリームメーカーは、
優しい笑みを浮かべ
「お二方の意見に同意です。ますます今日の海から、エッセンスを拝借しなくては」
そう言うと、思考の海へと向かって行った。
今日の夢はきっと良い夢になると確信しながら。
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突然の君の訪問
夜の海に潮騒が響いている。
海岸に置き忘れたランプのそばで、紺色の影がユラユラと揺れている。
「最近はよく表に現れているな、過去」
山高帽の男が影に向かって声を掛けると、紺色の制服に身を包んだ過去が振り返った。
「本体も薄々気づいているぞ。見えないけれど確かにある──ガムシロップを水に溶かした時の様な映像が見える──とな。そしてその時はよくわからないが、普段思い浮かばない文章が浮かぶ──と」
ランプに照らされた過去は、皮肉げな笑みを浮かべた。
「人をガムシロップに例えるやつがある?」
「ここにはいるのさ。しかし、本体が感知すると逃げるのだから、ガムシロップとしてはいただけないけどな」
過去は肩を竦めると、波立つ海を横目に見た。
「カードの時の様なピンポイントの明かりではなく、お前の場合は全体にまで行き渡ろうとする。浸水或いは、浸透という言葉が相応しいか?」
「私の事をどう捉えようと、それはあなたの自由。好きに捉えて構わない」
思考の海から目を離さず、過去は淡々としている。
「あの文章もお前だな」
海を見ていた黒い瞳が、こちらを向いた。
感情の読み取れない黒い瞳が、ジッとこちらを見てくる。
見つめ合うだけの無言の時間が暫し流れる。
過去は、緩やかな笑みを浮かべると沈黙を破った。
「言葉によるバタフライエフェクトを期待してね」
「バタフライエフェクト?」
「一つの言葉が誰かの元で響き、その誰かが抱く感情がまた別の誰かに届き、別の誰かに届いた感情が別の何かを動かしていく。過去と未来が重なるのが今なら、言葉は軽やかに時をも超えていく。言葉に表した本人が預かり知らぬところで、一人でも幸せになる人がいれば良い。あれはそういうもの」
海風に規定の長さのスカートがはためく。
黒い瞳はどこか遠い所を見ているが、その目からは何も読み取れない。
「言葉は呪いにもなり得るのだぞ」
「どんな良い言葉も捉え方次第。世界とはそういうものでしょう?」
何を言っても過去はどこ吹く風だ。
はぁ…と深い溜息をつき、山高帽の鍔に触れる。
「…それほどまでに、今が楽しいのだな?」
そう言ってやると、過去は意味深な笑みを浮かべた。
その笑みに思わず身構えると
「雨に佇む世界は、終わったのね?」
首をわざとらしく傾げこちらを見てくる。
まったく、これだから過去という奴は。
このまま引き下がるのも癪なものだ。
思考の海の番人を舐められては困る。
「木は何の夢を見ている?」
山高帽の男の問に過去は苦笑を浮かべた。
「太古の海の夢」
「人が海に帰らなかったのは?」
「空に海と同じ色が広がっていたから」
「夜空に輝く星の正体は?」
「星が今までに見た夢の残り香」
「海は何の夢を見ている?」
「この世界のこと」
懐かしい言葉たちだ。
目の前の過去が紡いだかつての言葉たち。
物語において、少年二人が互いの仲を深める為の問答だ。
物語後半のこの言葉も忘れてはいけない。
「類は友を呼ぶっていうだろう?」
「じゃあ、僕も『スプーキー』だ」
少年達は問答の末、互いの中に共通を見つける。
その事実は孤独を感じていた少年に揺るぎない安心を与え、互いの存在を讃え笑い合う。
過去も今も言葉は巡り巡る。
一度放たれた言葉は、形を変えて持ち主の元へ返ってくる。
雨に佇む必要がなくなった男と過去は、声を上げて晴れやかに笑いあった。