子供の頃、魔女に憧れていたことがある。
静かな森に木造の小さな家。
なんでも叶えてくれる薬。
怪しげな光を放つ魔法石に
複雑な魔法陣が描かれた魔導書。
クラシカルな本が並ぶ書架。
飴色が美しい重厚な書き物机。
書き途中の羊皮紙。
人の顔くらい大きな水晶玉。
ブロンズのペン置き。
カラスの羽ペン。
コスモを溶かしたようなインクが入ったインク瓶。
星を眺めて吉凶を占い
月夜の晩はハーブを摘み
占いと薬の販売でひっそりと暮らす──
今でも、心惹かれてしまう魔法の世界。
物語を読むのなら日常的な話が好きだ。
大きな事件も起きず、人も死なない。
穏やかでほっこりする話が好きだ。
昔は冒険ものとかを好んで読んでいたが、キャラクターが死んでしまったり、内輪揉めが起きたりと、身体や精神的にしんどい状況が続く物語は読めなくなってしまった。
まず、そういうヘビーな物語と向き合う体力が昔ほど無い。
精神的にしんどい事は、現実で飽き飽きするほど知ってしまって、もうお腹いっぱいだ。
故に、現実逃避先の物語くらい穏やかであって欲しいのだ。
もし、異世界へ旅するのなら、まったり穏やかな旅で一つお願いしたい。
選ぶ本一つとっても、歳を重ねてしまったのだなとしみじみと思う。
「あんたの好きな色って何?」
いつもの屋上で、彼女は唐突に言った。
「好きな色?」
「そう、好きな色」
好きな、色…。
改めて考えると、好きな色って何だろう?
「絶対にこの色でなくては嫌だ」という拘りは生憎持ち合わせていない。
色は色でしかなく、興味の対象ではない。
もしかして、よく手にとってしまうものが好きな色になるのだろうか。
そうなると、もうあの色しかない。
「黒、かな。何でも合うし」
「無難カラーね」
確かに無難な色だから選んだのだが。
そんな冷めた調子で言われると、まるで滑ったみたいじゃないか。
「そういうお前は何色が好きなんだよ」
いくら冷めている彼女でも、所詮は女子。
どうせ、ピンクとかそのへんの色だろう。
「#003149」
「なんて?」
なんか、予想外なものが返ってきたんだが。
何で数字なんだよ。
ハッシュ…ゼロゼロ、3、イチ、4、キュウ?
なにそれ。
色、なんだよな?
「女性ものでは、なかなかないのよね」
彼女は頬に手を当て、ふーっとため息を付いている。
俺はそっとスマホを取り出し、「色 #003149」で検索をかけた。
スマホに現れた色を見た俺は、彼女を一般女子の感覚で接してはいけないのだと改めて肝に銘じた。
ここで文章を作るようになって一年以上が経つ。
相変わらず文章は上手くならないが、思考組・屋上組・ラボ組、謎のペストマスク等など、色々なキャラクターと出会うことができた。
それもこれも、このアプリを作った「ほその夫婦」あなたがいたからだ。
時に難題なお題に頭を抱えることもあったが、お題に則って文章を作る楽しみを教えてくれたのもあなただ。
新しいお題が出なくなって、もう少しで一月になろうとしている。
何ぞ新しいアプリでも開発中なのだろうか。
時には古巣のこちらも更新してもらえたら、いちユーザーとして嬉しく思う。
以前の分析の続きをしようと過去の日記帳を開いた。
クリムゾン色の日記帳は大学から新入社員時代のものだったが、今回のミントグリーン色の日記帳は高校生時代のものだ。
日記帳には、友人や部活のこと、学校の行事など、懐かしい事柄が書かれている。
やれ、毎週小テストだらけで嫌だの、購買のパンがすぐ売り切れるだの、今日の日付を基に出席番号で当てられる日だと思ったのに、月日の掛け算してくるとか意味わかんないだの、そんな愚痴すらも微笑ましく思えてしまう。
以前よりも穏やかな気持ちで頁を捲っていると、相合傘のマークが目に入った。
相合傘の下には、自分の名前と当時憧れていた先輩の名前が入っている。
その先輩は、サッカー部の部長で学校一のエースだった。誰よりも速いパスやシュートは美しく、多くの得点に貢献していた。
スポーツの才能だけでなく、学問でも学年一の秀才であり、キリッと整った顔立ちや容姿も併せ持っていた。
天は二物も三物も一人の人に与えるようだ。
そんな天から愛される先輩は、女生徒の間でも、熱狂的なファンクラブが出来るほど人気な人だった。
私は、ファンクラブに入ることはしなかったが、密かに恋心を抱いていたクチだ。有り体に言うと初恋の人だ。
相合傘が書かれたその頁に恐る恐る目を通してみると、そこでは当時の夢見る夢子ちゃんな文章が猛威を振るっていた。
やれ、お付き合いをしたらテーマパークでデートしたいだの、下の名前で呼んでほしいだの、オソロの物を持ちたいだの、当時の女の子らしい願望が書き綴られている。
それだけならまだ恋を知らない乙女の妄想故、「情状酌量の余地あり」と耐えられたのだが、ファーストキスの願望を詳細に書いてあるのを見た瞬間、情状酌量という盾が粉々に打ち砕かれた。
妄想乙女が暴走し過ぎている。
恥ずかしい。猛烈に恥ずかしい。羞恥心で墓が立つレベルだ。
私はミントグリーンの日記帳を慌てて閉じると、歴代の日記帳が並んでいる中にそれをねじ込んだ。
私の手から離れた日記帳は何食わぬ顔をして、歴代の日記帳と並んでいる。今さっき与えた衝撃など無かったかのように、キレイなミントグリーン色だけを見せて無害なふりをしている。
ミントグリーンの日記帳もアウトだ。
私はがっくりと肩を落とした。
クリムゾン色の日記帳に引き続き、ミントグリーン色の日記帳にまで、羞恥心を煽られるとは思いもしなかった。
過去の自分からの攻撃は、どうしてこうもクリティカルヒットするのだろう。
頭を抱え深い溜め息をついてみるが、胸に巣食うモゾモゾとした感じは一向に収まる気配がない。
もう一度深呼吸をすると、脳裏にヨレヨレの白衣を着た見慣れた男性の姿が浮かんだ。
研究所の主にして私の上司──博士だ。
円らな瞳に手入れの甘い眉。
髭のない口元には薄っすらとシワが入り、一回り以上年上であることを感じさせる。
いつも適当に後ろに撫でつけた黒髪には、白髪が数本混じっていたりもする。
整った顔立ちをしている方なのだか、全体的に野暮ったく見えてしまうそんな人だ。
「…博士もこういう経験あるのかな?」
自分よりも一回り以上年上で、性格も穏やかな博士ならば羞恥心に苦しめられることはない気がする。
「今度聞いてみようかな?」
博士ほどの人になれば過去に恥ずかしいことなど存在しないのかどうか。また、どうすれば羞恥心に勝てるのか、是非インタビューしてみなくては。
お茶の時間の楽しみが出来たと、内心ホクホクしながら脳内のタスクに「博士に羞恥心についてインタビューする」と書き込んでおく。
書き終えた瞬間、ふと、ある疑問が脳裏を過った。
「博士って初恋あったのかな?そう言えば、ご家族の事を話していることもない気がする。ご結婚ってされてたっけ?」
プライベートに踏み込むのは気が引けるが、こちらもいつか聞いてみたいので脳内のタスクに小さく書き込んでおくことにした。