2023年5月29日のテーマは「ごめんね」だったらしい。先程過去の投稿を確認してきたが、内容から推察するに、ほぼこのテーマで合っているだろう。
今回もどうやら絶賛リバイバル中のようだ。
さて、昨日は以前投稿した文章から文章を作るということをしたが、今回はどうしよう。
「ごめんね、思い浮かばない」と言って逃げてしまおうか。それとも「イチイチ過去に投稿した文章を確認してごめんね」とメタネタで逃げようか…。
…どちらも逃げるが入っているな…。
正直、ラボ組・屋上組のどちらかで物語を書きたい気持ちもあるのだが、仕事で疲れて気力がない。
気力はないが、いつかの為にメモを残しておこう。
「ごめんね」と謝るのは、屋上組ならば「俺」で、ラボ組ならば「博士」な気がする。
二人とも「彼女」には弱い。
その為、言い争うより早々に謝って場を収めてしまうだろう。
屋上組の「彼女」はツンなので、多分謝るのは苦手だ。謝っても謝っているように見えないかもしれない。
ラボ組の「彼女」は、博士と似た穏やかな気質をしている。ならば、彼女は素直に謝るタイプかもしれない。
おやおや。
そうなると、屋上組は「俺」が「彼女」に謝ることが多くなり、ラボ組は「二人して」謝り合っていることになる。
どちらも賑やかそうだ。
色々妄想するのは楽しいけれど、物語にするのは、またいつか。
ごめんね。
半袖…(゜゜)これまた随分前に書いた記憶が…。
ちょいと過去の投稿を調べてみたら、面白いことがわかった。
2023年5月25日「降り止まない雨」
2023年5月26日「月に願いを」
2023年5月27日「天国と地獄」
2023年5月28日「半袖」
生憎、アプリを入れたての頃なのでテーマを書いていないのだが、作った文章から推察するに上記のテーマではないかと思われる。
テーマのリバイバル期間なのだろうか?
さて、どうしよう。
リバイバル期間なら、過去の文章から文章を作ってみるのも面白いかもしれない。
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1年前、「半袖」というテーマで日焼けしたくないことを書いたが、1年たった今もそれは変わっていない。
暑くても半袖を着たら、薄手の長袖を羽織る。
熱中症の危険が年々上がってきているので、暑い日は半袖で過ごすべきだとは思う。
それは十分わかっている。
こまめに日焼け止めを塗って保護をすれば、半袖でも過ごせるのだろう。
しかし、ズボラな私は、朝に日焼け止めを塗ったらそれで満足してしまう。
日傘も使うから大丈夫等とたかをくくってしまう。
しかし、紫外線は甘くない。
日傘を使っていようと塗り忘れがあれば、見事に焼ける。
汗をかいてハンカチなどで拭けば日焼け止めは落ちてしまう。そうでなくても、時間が経てば日焼け止めの効力は薄くなってしまう。
そうして、こまめさを欠いた行動の代償として、日焼けと火傷のような痛みに襲われる──シミというとんだお土産もついてくるのだから、泣けてくる。
しかし、長袖一枚羽織るだけで火傷のような痛みとは縁がなくなる。その上、縁遠い「こまめ」とも、縁遠いままでいられる。
多少の暑さという不便を我慢するだけで、これだけ手に入ってしまうのだから、ズボラな私には朗報だ。故に暑くてもつい長袖を選んでしまう。
それなのに、近年は酷暑が当たり前となってきているのだからたまらない。
警報級の暑さが今年もやってくるのだろうか。
今年も、根比べの夏となりそうだ。
天国と地獄。
随分前に、天国地獄大地獄の指遊びを文章にした記憶がある。
さて、どうしようか…(゜゜)
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天国=極楽と地獄は死後の世界にあると言われているが、現実にも天国と地獄はある。
その多くは比喩表現だが、天国と地獄の両方を体験出来る現実というのは、なかなかな場所だ。
人生において幸福と不幸は、半分半分と聞いたことがある。
どちらかばかりを体験することはなく、プラスマイナスゼロで帳尻が合うように出来ているのだとか。
天国半分、地獄半分…。
こう表現すると、地獄だけ謹んでお返ししたいのだが、許されないのだろうか。
月に願いを…(゜゜)
月に願うおまじない等ないか調べたところ、2つほど見つかった。
1.満月の時、月明かりに当たりながら願いを唱える。
2.新月の時、新月から8時間以内に願い事を紙に書く。願い事を書き終えたら読み返す。書いた紙は保管または処分のどちらでも良い。
1も2も月を利用して手軽に出来るおまじないだ。
この2つのおまじないの共通点として──月のおまじないなので月が関わるのは言うまでもないが──どちらも、願い事を明確にし、唱えたり書いたりして自己暗示するかのような動作がある。
ただの自己暗示ならば、いつ書いても構わないはずなのに、月が関わっている。
これはもしかしたら、
月がある=ツキがある=幸運がある
といった洒落もあるのかもしれない。
一方で、陰と陽の顔を持つ神秘的な月に願いを託したくなる本能のようなものが、そうさせるのかもしれない。
そういえば、人の生死は潮の満ち引きが関わっているというのを聞いたことがある。
潮の満ち引きを起こしているのは、月だ。
月に神秘性を感じるのは、やはり本能なのであろうか。
空から言葉と共に音楽が降ってきた。
「この曲か」
思考の海の番人は、「本体も好きだな」と一人ごちると空を見上げた。
言葉と音を宿したそれは、キラキラとした光を纏いながら思考の海へと落ちていく。
海へと降り注いだ光は、海面に触れてもすぐには消えず、ボォッとした光を放っている。
純度の高い言葉と音である証だ。
言い方を変えれば、本体が好んでいる証でもある。
その音楽は、一人の男性アーティストによって作られたものだ。
豊かな言葉と壮大なメロディーで成り立ち、感性を刺激する特別な何かを持っている。
思考の海は、色々な言葉が降り注ぐように出来ている。
物語や専門書の言葉だけでなく、現実の体験で得た言葉など、本体の目や耳を通った言葉はここにやってくる。
物語の持つ繊細な言葉の雨も好ましいが、言葉に光と音を纏って降り注ぐ音楽の雨は格別だ。
潮騒ばかりが響くこの場所も嫌いではない。けれど、豊かな音色に触れると世界に光と色があることを思い出させてくれる。
何故、物語よりも少ない言葉と音だけで成り立っているのに、色や情景が浮かび、時に風や温度、四季や時刻すらも感じるのだろうか。
音楽の不思議である。
不思議だけれど、心地良い。
降り止まない音楽の雨は、やはり大歓迎である。
思考の海の番人は穏やかな顔で、空から降る音楽に耳を傾けた。