突然の別れ
( ゚д゚)ファッ?
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「困った」
深夜1時。
研究室のパソコンの前で、僕は唸っていた。
個人的に分析をかけたいサンプルがあるのだが、研究所にある分析機では難しい。
さて、どうしようか。
時間と手間をかけて研究所の分析機を使うか、他部署の最新機を使わせてもらうか。
上から目を付けられているので、なるべく目立った事はしたくない。
研究室の壁にかけられた時計を見る。
時刻は深夜1時15分。
「仕方ない」
この時間なら多分、繋がるだろう。
パソコンの隣りにある電話の受話器を手に取る。
電話帳内にある見慣れた名前を選択すると、発信音が鼓膜を叩く。何回かの呼び出し音の後、不機嫌そうな声が電話に出た。
懐かしい、彼の声だ。
「こんな時間にごめんね。ちょっとお願いがあって」
「こんな時間とわかりつつ掛けてくる、嫌がらせ以外に何があるんだ?」
言葉にからかいの音が含まれているのが電話越しでもわかる。本気のご機嫌斜めではなさそうだ。
僕はホッとすると、本題へ入ることにした。
「あのね、君のところにある最新の分析機にかけてほしいサンプルがあって」
「…また上に良いように利用されてるのか、お前?」
声のトーンが下がった。
「いやいや、今回は…」
違うと続くはずだった僕の言葉は、かき消された。
「面倒事処理やら、無理難題が来てるなら断るのも大切だぞ。入社前のかぐや姫っぷりを披露してやれよ」
「あっ、あのねぇ。好きでかぐや姫したわけじゃないの知ってるでしょう?」
「知ってるよ。でも、大学生にしては見事なかぐや姫だったじゃないか。一人で研究したいので、研究所をください。住むところもないので、生活スペースがあると助かります。異動等もしたくありません。最近は、一人でというのはあまり叶えられていないみたいだが、他は叶えてもらっている。かぐや姫より高待遇じゃないか」
「全部この会社を断る為の口実だよぉ…知ってるでしょ…」
「高飛車な鼻持ちならない奴になれば、入社しないで済むって思っていたんだもんな。折角、かぐや姫演じたのに、全部用意されちまって四面楚歌。泣く泣く入社することになったんだもんな。かわいそうに」
「これっぽっちも可哀想って思ってないでしょう…」
「入社早々、1つの研究所持ちとか馬鹿待遇だぞ。しかも、住居として使用可とかどんだけだよ。昇進したいヤツから見れば、贔屓されすぎて憎まれてもしょうがないだろう」
「だから、それは教授に嵌められて…。それに、研究所を住居にしていたのは、君がいた時までで、今は引越してるよ」
「そういう話は広がらないものさ」
「…ヒドイ。そういう君だって、今や複数の研究所を掛け持つお偉いさんじゃないか」
「どっかの誰かさんがいつも昇進を断るからだろう」
「僕は、研究が出来れば良いからね」
昇進の話は何度か来たが、全て断った。代わりにこの研究所いられるよう交渉してのんでもらっている。
本社が僕の条件をのんでいる限り、僕はこの研究所の所長のままだ。
「変わらないなお前。本当に変わらない」
「君と一緒に働いていたあの日のまま?」
「ああ。俺に突然の異動辞令が出て別れるまでの、あの時と何ら変わっていない」
「ふふふ。褒め言葉として受け取っておくよ。ありがとう」
「同期として、お人好し過ぎるお前が俺は心配だよ。本社にも顔を出さないせいで、色々な噂が独り歩きしてるぞ。注意しろよ」
「経理の方とかに目つけられちゃってるからね」
研究所の電気代が高いだとか、水道料金が〜とか、非常に世知辛い。
「…それだけじゃないからな」
「僕のところに配属された子達を君のとこに流してること、とか?」
「…それも、ある」
「良い子達ばかりでしょう?」
「ああ。気の利くヤツばかりで、助かっている」
声がやわらかい。彼の下に行った子たちは良い働きをしているようだ。
「良かった。良い環境で力を発揮してもらいたいからね。これからも彼らをよろしくね」
「ところで、ウチの分析機にかけてほしいサンプルがあるんだろう。なんだ?」
「個人的な研究のサンプルなんだけど。社内便で送るから、分析をお願いしても良いかな?」
「やってやるから、俺宛で送れ」
「ありがとう、よろしく頼むよ」
その後、二、三言交わして僕は、電話を切った。
壁にかかっている時計は、午前1時45分をさしていた。
僅か45分の邂逅に詰まった時の流れに、僕は軽い目眩を覚えながら、長い息を吐いた。
同期の彼と働いた期間は1年にも満たなかった。
短い間しか一緒に働けなかったが、彼の本質は、義理堅く、兄貴分的な度量の持ち主だ。仕事においても、冷静な思考と判断のバランスが良く、人の上に立つ素質を持っている。
そんな彼だからこそ僕は…。
先の未来を想像しようとしたが、やめた。
いつかの事を思い煩うのは、今ではない気がする。
それでも…。
「またきっと、頼ってしまうんだろうな…」
静かな研究室に僕の呟きだけが小さく響いた。
恋物語(゜゜)
恋物語=男女の恋を主題にした物語、小説。
また一般に、恋の話。 恋についての話。
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仕事が休みの日は、出かける…ではなく、読書。
普段の研究所でも籠って、休みの日も籠もる。
出不精ここに極まれり。
結婚を切望する母親あたりには顔を顰められるだろうが、今は一人暮らし。
お咎めは飛んでこない。
休みに何をしようと自由だ。
そもそも休みとは本来そういうものなのだから、心置きなく、今日は恋物語でも読もう。
ベッドの脇にある本棚から文庫本を一冊取り出し、パジャマ姿のままベッドにダイブする。
ベッドは、ボスンと音を立て優しく体を受け止めてくれた。
うつ伏せになって、枕を胸のあたりにセットし、抱え込む。
こうすることで普通に寝転ぶよりも、本が捲りやすくなって良い。ただし、長時間の場合は腰を痛めることもあるので注意が必要だ。
懐かしい表紙を眺め、ページを捲る。
幼馴染と恋仲になるまでの甘酸っぱい物語。
思春期に何度も読んだ物語は、ちょっと読むだけでシーンが蘇ってくる。
当時は、幼馴染や同学年、或いは一、二年先輩に恋をするのが当たり前と思っていた。
でも、悲しいかな。
良いなぁと思う人はいても、アタックする勇気が当時の自分には無かった。
大学時代は、主に単位、レポート、バイトのローテーション。恋愛というものとは、とんと縁がなかった。
大人になって就職した先でも、良いなぁと思う人は既にお相手がいた。
世の皆様は一体どのタイミングで、生涯の人と出会うのだろうか。
今、私が勤務している研究所は──ちょっとボロくて、研究所には見えない──私と博士しかいない。
私が異動してくる前は、博士一人しかいなかった時期もある。企業の一事務所としても、他の営業所と離れ過ぎているし、部署の役割的にも何でも屋みたいな不思議な位置にある。
私が異動すると決まった時、同僚や上司は、「あの研究所の所長は変わり者」とか、「上の弱みを握っているような人だから気を付けて」とか、「絶滅危惧種並に会えない人」とか、色々教えてくれた。
あんな素敵な文章を書く人が、人の弱みを握るような人物と言われても私はしっくりとこなかった。
存在Xみたいな、ふわふわとした像だけが独り歩きしているような、そんな違和感があった。
実際の博士はド級のお人好しで、気遣い屋で、出来た人だ。
何故実像と違う噂が独り歩きしているかはわからない。
研究所が他の営業所と比べて辺鄙な場所にある理由もわからない。
何故、博士一人の期間があるのかも知らない。
聞けば教えてもらえるのだろうか。
博士と研究所の秘密。
手元の恋物語どころじゃなくなってしまった。
真夜中=夜がいちばんふけた時。
深夜。
深夜=夜更け。深更。真夜中。
夜更け=夜がふけること。また、その時分。深夜
夜の、非常に遅い時。
深更=夜ふけ。深夜。真夜中。
辞書でぐるぐるたらい回しにされるのも久しぶりだ。
ネット辞書によると
真夜中の語は深夜(しんや)、深更(しんこう)、夜半(やはん)(日本の気象庁では「夜半」を「0時の前後それぞれ30分間くらいを合わせた1時間くらい。」 としている。) と同様に夜深くの時間帯を幅広く指す場合があり、曖昧である。
改めて手元の辞書で夜半を調べると、
夜半=よわ。夜中。真夜中。
やはり手元の辞書では、時間の詳細は載っていなかった。
曖昧なものは曖昧なまま。
敢えて定義しないというのは、想像力や言葉の滋味ともいうべきものが、そこにあるからだろうか。
この様な幅の豊かさがあるから言葉は楽しく、同時に難しい。
愛があれば何でもできる?
ある程度のことは、愛ゆえに出来るかもしれない。
しかし、死者蘇生や時を超えて昔の推しに会いに行く等、できない事も多々ある。
愛があれば、限界を超えることはできる。一方で、ある時点の限界は超えられない。
それが自然の摂理なのかは不明だが、制御点のようなものが存在している限り、「何でも」というのは難しいことなのかもしれない。
後悔…。
何かをしても後悔するし、
何かをしなくても後悔する。
人生と後悔は、切り離せない関係なのだろう。
だから、そういうものとして受け入れる、
許容が肝心なのかもしれない。