見つめられると…。
これは、物語より…か。
…。
長文は回避…長文は回避…。
登場人物の女子だけにずっと相手のことを見てという指示を出したらどうなるだろうか。
実験してみよう。
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【屋上組】
彼女がじっとこちらを見てくる。
スッキリとしたフレームの眼鏡の奥にある瞳は、いつものように冷めていて感情が読み辛い。
一見不機嫌そうに見えるが、彼女が不機嫌な時は視界に人を入れないようにするので、不機嫌ではないのだろうが──穴があくのではないかというほど自分の方を見てくる。
──どうした?
無言で彼女と目を合わせる。
いつもならばそれで何かしらの反応があるのに、今日は反応がない。
相変わらずじっと見つめてくる。
──顔に何か付いているのだろうか。
手で顔をペタペタ触ってみる。
特に付いていない。
首をコテンと横にすると、彼女が吹き出した。
【ラボ組】
さっきから助手がこちらを見てくる。
じっと見つめてくる目は、何かを訴えているように見えてしょうがない。
そんなに見つめてくるのなら何か言ってくれればいいのに。そう思うが、彼女は見つめるばかりで何も言ってこない。
自分は、何かしてしまったのだろうか。
今まで彼女から注意されたことは、
徹夜をせずちゃんと睡眠をとること。
今日はしっかり4時間寝たから大丈夫だ。
ちゃんとご飯を食べること。
お昼ご飯も今日は買い込んであるから大丈夫。
時間も確保出来そうだし、こちらも問題はないはずだ。
整理整頓をすること。
…整頓整頓?
ハッとして自分の机を見ると、
乱雑に積まれた書類の束が目に入った。
歪な書類のタワーはいつ崩れてもおかしくない状態になっている。
もしかして助手のあの目は「そろそろ片付けなさい」という目なのだろうか。
ともすると、呆れてものも言えない状態だから無言なのかもしれない。
これは、片付けが苦手とか言っている場合ではない。片付けねば。
書類の束に手をかける。
ここで誤算があった。
書類のタワーは、奇跡的なバランスで保たれていたに過ぎない。そこに外部から刺激を与えれば、後は言うまでもない。
「博士!!」
書類の下敷きになりながら慌てる彼女の声を聞くだなんて、大誤算だ。
文章作りは、
自分自身と向き合うことだと思っている。
作りたいものを考え、言葉を選び、文章として出力する。その一連の作業は、取捨選択の連続であり、選択の数だけ自分と向き合うことになる。
思考寄りの私は、何事も計算式で考えることが多い。
〇〇=△△ならば、□□といった具合だ。
この考え方は、物事の捉え方や思考の整理に適している。
定義を仮定することにより、そのものを探ろうとする式だからだ。
その為、雑談的な文の時によく利用している。
一方、物語作りは思考よりもっと大切なものが必要になる。
それは感覚的なもので、心の琴線とも言われているものだ。
例えば、楽しいものを見たとして、
どのように、楽しいのか。
どれ位、楽しいと感じているのか。
何故、楽しいのか。
その事柄と似ている物事は何か。
上記は物語に深みを持たせる要素ともいうべきもの達だが、これらは経験則から得た感覚の言語化が必要となる。
正直、私はコレが得意ではない。
独自の感覚を言語化する事は、勇気がいる。
また、学生時代よりも感覚が鈍くなっているので、何故そうなるのか、自分自身のことなのにわからない。
思考的な例えは出てくるのに、自分の心が絡むと急に言葉が出てこなくなってしまう。
世間一般的な事を理解しようとする思考はあれども
多分、心はなおざりにしがちなのだろう。
物語を作ることは虚構を作ることだが、感じるものまで虚構にしたくないと、個人的には思っている。
血の通った文を書きたいならば、自分の心と向き合う必要がある。
感じた事をジャッジするのではなく、感じたありのままを受け入れる──子供のような素直さが必要なのだろう。
ともすると、捻くれがちな思考を休めて、先ずは自分の心をそのまま受け入れることから始める必要がありそうだ。
ないものねだり──そこにないものを(無理いって)
欲しがること
欲望の形の一つ、か…。
コレを上手く活かすなら
【ないからこそ作る】
無から有を生み出そうと行動するならば、その願いは叶うかもしれない。
望み通りのものが出来なくとも、トライアンドエラーの最中に新しいものが生まれるかもしれない。
自己のスキルが向上するかもしれない。
こう考えると【やってみよう】と行動する者にこの世界は何かしらを返してくれるのだろうか。
では逆に、欲望に飲まれたとしたら…。
【ないから奪う】
【ないから妬む】
【ないのは、自分以外のせい】
無から有を生み出そうと行動もせず、行動するものから奪い、行動するものに嫉妬し、自分を顧みること無く他を責める。
何も成長せず、ただ悲しみを生むだけでしかないように見えるのは私だけだろうか。
どちらも同じ欲望で結果がこうも違うならば、他者から馬鹿にされたとしても【やってみよう】に舵を取った方が良いのかもしれない。
どんなものも多面性を持つ。
そちらも努々忘れないようにしておこう。
好きじゃないのに気になるのなら、
その心根は、
真逆のものを抱えている可能性がある。
「好き」の反対は「嫌い」ではない。
好きの反対は無関心。
存在していることすら気にならないことなのだから。
マジか。
打っていた文章全部消えた…。
ところにより雨に当たっちまったってか…。
…マジか。
以下、記憶を頼りに打ち直し。
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薄曇の空を燕が低空飛行している。
今朝テレビで見た天気予報によると、ところにより雨と予報されていたが、どうやらその「ところにより」に当たったらしい。
ブラインドにかけていた指を外し、デスクのそばにある培養機へと目を向ける。
培養機の表面にあるデジタルは、正常値と培養の残り時間を表している。
…1時間ほどか。
頭の中でごちるついでに1時間以内に出来るものを上げ連ねていく。
重くなりすぎたファイル内の整理。押印が必要な書類の処理。書きかけの論文の整理…。
1時間以内ならば、ファイル内の整理と押印の雑務ならこなせそうだ。
オフィスチェアを掴むと姿勢をグッと正す。
よし、やってしまおう。
パソコンのデスクトップにあるファイルを開く。
このファイルは異常に重いので立ち上がるのに時間がかかる。
ファイルが立ち上がるまでの時間が勿体ない。
この時間を使って、デスクの上に山のように積まれた書類から、押印が必要な書類を探すことにしよう。
助手からは「机の上を整理をしてください」と言われているが、どうも書類の整理等々は苦手だ。
一見無秩序でカオスな状態ではあるが、欲しい書類のだいたいの位置はわかっているので問題はないだろう。
書類の山を崩さないよう慎重に書類を引っこ抜いていると、研究所のドアを出ていこうとする助手の姿が目に入った。
「あっ!ちょっ、ちょっと待って」
吃ったうえに掠れ声だったが、彼女には届いたらしい。
大きな目を丸くしながらこちらを振り返った。
「博士、どうかしましたか?」
彼女は封筒を持っている。
ポストか又は、郵便局にでも行くのだろう。
「一雨来そうだから、ソコの傘を持っていきなさい」
ドアの脇にある傘立てには、いつからか置き傘となったビニール傘が一本入っている。古いがまだ使うことは出来るだろう。
「コレ、ですか」
彼女は件の傘を持ちあげると顔を曇らせた。
蛍光灯に晒されたその傘は、遠目から見ても茶色く変色している。
どうやら記憶よりも更に劣化が進んでいたらしい。
どう見てもその傘は、彼女と釣り合いが取れていない。
「すっ、すまない。僕の傘を使って」
ロッカーに置き傘がある。
シンプルな黒い傘なので、女性でも使えるだろう。男性用なので大きいかもしれないが、寧ろしっかり雨を防いでくれて良いかもしれない。
机に手をつき、オフィスチェアから腰をあげた瞬間。
「いいですっ。いいですからっ。この傘使いますっ」
普段大人しい彼女からは考えられない程大きな声があがった。
彼女は顔を真っ赤にすると、変色した傘と封筒を胸に抱え、出ていってしまった。
「えっ」
間抜けな声が自分の口から漏れる。
バタンと閉まるドアの音が無情に響いた。
暫く呆然と彼女が消えたドアを見つめていたが、ゆっくりとオフィスチェアの背に手を回し、ノロノロと着席する。
席に着いた途端、ザーっと激しい雨の音が鳴り響いた。
研究所の外に出ると激しい雨が降り出した。
「博士の言う通り持ってきて良かった」
古い傘だが、しっかり雨から守ってくれている。
「さっきはビックリしたなあ」
ポツリと呟く。
まさか、傘を貸そうとしてくれるだなんて。
古い傘、嫌がったのバレたんだろうな。
気まずそうにしていた博士の顔が脳裏に過る。
ワガママな奴と思われたかもしれない。
ああ、今思い出しても無性に恥ずかしい。
咄嗟に逃げちゃったし。
助言してくれた博士に申し訳ないことしてしまった。
何かお詫びをしなければ。
博士の好きな物は、甘いものだ。
特に和菓子を好んでいる。
封筒を投函したらコンビニでも寄って博士の好きなお饅頭を買って帰ろう。
それまでに、このほっぺたの熱が冷めますように。
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「ただいま戻りました」
「…おかえり」
「…博士、顔色悪いですよ。具合でも悪いんですか?」
「えっ、いっ、いや。だ、大丈夫だよっ。うん。ちょっとこのお天気にやられちゃっただけ」
「博士の好きなお饅頭買ってきましたから、お茶にしましょう」
「えっ、本当?…ありがとう」
「いえいえ、こちらこそ。傘の助言、大変助かりました。お陰で濡れないですみました。ありがとうございます」
「ああ、うん。お役に立てて良かったよ」