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文章作りは、
自分自身と向き合うことだと思っている。

作りたいものを考え、言葉を選び、文章として出力する。その一連の作業は、取捨選択の連続であり、選択の数だけ自分と向き合うことになる。

思考寄りの私は、何事も計算式で考えることが多い。
〇〇=△△ならば、□□といった具合だ。
この考え方は、物事の捉え方や思考の整理に適している。
定義を仮定することにより、そのものを探ろうとする式だからだ。
その為、雑談的な文の時によく利用している。

一方、物語作りは思考よりもっと大切なものが必要になる。

それは感覚的なもので、心の琴線とも言われているものだ。

例えば、楽しいものを見たとして、
どのように、楽しいのか。
どれ位、楽しいと感じているのか。
何故、楽しいのか。
その事柄と似ている物事は何か。

上記は物語に深みを持たせる要素ともいうべきもの達だが、これらは経験則から得た感覚の言語化が必要となる。

正直、私はコレが得意ではない。
独自の感覚を言語化する事は、勇気がいる。
また、学生時代よりも感覚が鈍くなっているので、何故そうなるのか、自分自身のことなのにわからない。
思考的な例えは出てくるのに、自分の心が絡むと急に言葉が出てこなくなってしまう。

世間一般的な事を理解しようとする思考はあれども
多分、心はなおざりにしがちなのだろう。

物語を作ることは虚構を作ることだが、感じるものまで虚構にしたくないと、個人的には思っている。

血の通った文を書きたいならば、自分の心と向き合う必要がある。

感じた事をジャッジするのではなく、感じたありのままを受け入れる──子供のような素直さが必要なのだろう。

ともすると、捻くれがちな思考を休めて、先ずは自分の心をそのまま受け入れることから始める必要がありそうだ。

3/27/2024, 11:41:13 AM