マジか。
打っていた文章全部消えた…。
ところにより雨に当たっちまったってか…。
…マジか。
以下、記憶を頼りに打ち直し。
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薄曇の空を燕が低空飛行している。
今朝テレビで見た天気予報によると、ところにより雨と予報されていたが、どうやらその「ところにより」に当たったらしい。
ブラインドにかけていた指を外し、デスクのそばにある培養機へと目を向ける。
培養機の表面にあるデジタルは、正常値と培養の残り時間を表している。
…1時間ほどか。
頭の中でごちるついでに1時間以内に出来るものを上げ連ねていく。
重くなりすぎたファイル内の整理。押印が必要な書類の処理。書きかけの論文の整理…。
1時間以内ならば、ファイル内の整理と押印の雑務ならこなせそうだ。
オフィスチェアを掴むと姿勢をグッと正す。
よし、やってしまおう。
パソコンのデスクトップにあるファイルを開く。
このファイルは異常に重いので立ち上がるのに時間がかかる。
ファイルが立ち上がるまでの時間が勿体ない。
この時間を使って、デスクの上に山のように積まれた書類から、押印が必要な書類を探すことにしよう。
助手からは「机の上を整理をしてください」と言われているが、どうも書類の整理等々は苦手だ。
一見無秩序でカオスな状態ではあるが、欲しい書類のだいたいの位置はわかっているので問題はないだろう。
書類の山を崩さないよう慎重に書類を引っこ抜いていると、研究所のドアを出ていこうとする助手の姿が目に入った。
「あっ!ちょっ、ちょっと待って」
吃ったうえに掠れ声だったが、彼女には届いたらしい。
大きな目を丸くしながらこちらを振り返った。
「博士、どうかしましたか?」
彼女は封筒を持っている。
ポストか又は、郵便局にでも行くのだろう。
「一雨来そうだから、ソコの傘を持っていきなさい」
ドアの脇にある傘立てには、いつからか置き傘となったビニール傘が一本入っている。古いがまだ使うことは出来るだろう。
「コレ、ですか」
彼女は件の傘を持ちあげると顔を曇らせた。
蛍光灯に晒されたその傘は、遠目から見ても茶色く変色している。
どうやら記憶よりも更に劣化が進んでいたらしい。
どう見てもその傘は、彼女と釣り合いが取れていない。
「すっ、すまない。僕の傘を使って」
ロッカーに置き傘がある。
シンプルな黒い傘なので、女性でも使えるだろう。男性用なので大きいかもしれないが、寧ろしっかり雨を防いでくれて良いかもしれない。
机に手をつき、オフィスチェアから腰をあげた瞬間。
「いいですっ。いいですからっ。この傘使いますっ」
普段大人しい彼女からは考えられない程大きな声があがった。
彼女は顔を真っ赤にすると、変色した傘と封筒を胸に抱え、出ていってしまった。
「えっ」
間抜けな声が自分の口から漏れる。
バタンと閉まるドアの音が無情に響いた。
暫く呆然と彼女が消えたドアを見つめていたが、ゆっくりとオフィスチェアの背に手を回し、ノロノロと着席する。
席に着いた途端、ザーっと激しい雨の音が鳴り響いた。
研究所の外に出ると激しい雨が降り出した。
「博士の言う通り持ってきて良かった」
古い傘だが、しっかり雨から守ってくれている。
「さっきはビックリしたなあ」
ポツリと呟く。
まさか、傘を貸そうとしてくれるだなんて。
古い傘、嫌がったのバレたんだろうな。
気まずそうにしていた博士の顔が脳裏に過る。
ワガママな奴と思われたかもしれない。
ああ、今思い出しても無性に恥ずかしい。
咄嗟に逃げちゃったし。
助言してくれた博士に申し訳ないことしてしまった。
何かお詫びをしなければ。
博士の好きな物は、甘いものだ。
特に和菓子を好んでいる。
封筒を投函したらコンビニでも寄って博士の好きなお饅頭を買って帰ろう。
それまでに、このほっぺたの熱が冷めますように。
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「ただいま戻りました」
「…おかえり」
「…博士、顔色悪いですよ。具合でも悪いんですか?」
「えっ、いっ、いや。だ、大丈夫だよっ。うん。ちょっとこのお天気にやられちゃっただけ」
「博士の好きなお饅頭買ってきましたから、お茶にしましょう」
「えっ、本当?…ありがとう」
「いえいえ、こちらこそ。傘の助言、大変助かりました。お陰で濡れないですみました。ありがとうございます」
「ああ、うん。お役に立てて良かったよ」
3/24/2024, 2:46:04 PM