幼い頃の思い出は、常に祖母が隣で微笑んでいた。今でも笑い話になるのは、祖母の部屋の障子に穴を開けて顔を突っ込んで泣いていたとか、夜中に布団からいなくなったと思ったら何故か祖母の部屋の隅に丸まっていたとか。そんなことがあっても、祖母はいつも笑って頭を撫でてくれていた。
「……じゃあ、片付けようか」
「……うん」
その祖母が亡くなって、私はお母さんと一緒に部屋を整理していた。
「あ、この写真……」
「何?」
「七五三のときじゃない?」
そこに写っていたのは、振袖を楽しそうに振り回している幼い私と、それを見て困ったような祖母。うん、確かにそうなんだけどそうじゃないよね昔の私。
「あらあら」
「また何か?」
「おばあちゃんの似顔絵。描いた覚えあるでしょ?」
丸められた画用紙には、クレヨンで大きく描かれた似顔絵のようなもの。
「画力ないね、私」
「別にいいのよ、そんなの」
「そう?」
「ええ」
そんなものなのかな。
「あ」
「どうしたの?」
今度は私が見付ける番。それは、昔飼っていた犬に普通のそりを引っ張ってもらって楽しそうにしている冬の写真。確か、この後カーブでそりがひっくり返って、犬が『大丈夫?』といった風に戻ってきた思い出が。
「何か、色々残してたんだね」
「それはもう、可愛い可愛い孫だったからね……あら」
「今度は何?」
出てきた小さな箱を開けて、お母さんが目元を押さえる。
「……あなたに、だって」
差し出された箱の中には、祖母の字で『おめかしもしなさいね』と書かれた手紙と、手鏡が部屋の電燈を映していた。
「……ありがとう」
その鏡に写る自分の顔は、涙をこらえた笑い顔。その向こうで、写真に写る祖母が少し笑っていた気がした。
ここで一つ質問だ。例えばこのボールを投げればどうなるか。そう、放物線を描いて飛んでいく、だ。じゃあ、このボールを投げる速度を上げればどうなると思う? うん、そうだね。距離がどんどん伸びていく。これは、地球の重力の方が飛んでいく速度より強いから、距離が伸びるだけなんだ。
じゃあ、次だ。もしも、この飛んでいく速度が重力と釣り合えば……どうなると思う? 分からないかな? 答えは、落ちてこないんだよ。飛んでいった距離と、地上に落ちていく距離、どちらも同じだからね。
よしじゃあ次。重力よりも飛んでいく速度を大きくすれば……分かるよね? 地球という軛から外れて、太陽の僕となるんだ。
え、それより速くなればどうなるかって? 物好きだね、君も。決まってるじゃないか。太陽からの鎖も引き千切って、飛んでいくんだよ。どこまでも、宇宙という星の海を。
……そっか、今更理解したんだね。君と私がどこに向かっているか。私達は、この星の海の果てへと向かっているんだ。そして、永遠に故郷へ戻ることは出来ないんだよ。知ってたよね、ヴォイジャー2号? ……おっと、どうやら時間が来たらしい。もうこれで、君との話も最期だ。恐らく、永遠にね。
それじゃ、さようならだ。……よい旅を。
空を見上げた。ほんの少し欠けた月が、そこには浮かんでいた。
「疲れた……」
家への帰り道、私はそうひとりごちる。体力的にも疲れているし、何よりも、精神的にも少し。
「あんなの聴いたからにはね……」
それは駅前で響く、曇りもない真っ直ぐな音楽。それは、色んなものを言い訳に何もしていない自分を愧じるには十分なものだった。
雲一つない空に、月が煌々と輝く。きっと、明日も晴れるのだろう。私の思いとは、全く違って。
それは小さな頃のことでした。私の家には、大きな姿見があったことを今もよく覚えています。
ある夜中、ご不浄から部屋へと戻るときでした。
「……?」
何かの気配に周りを見渡せば、その向こうで姿見が薄らと光っていました。
「あれ……?」
私は、思わずその姿見に歩み寄っていました。そして、映った自分の顔に右手を触れたとき、私の意識は遠のきました。
「代わろうね」
そんな言葉が、聞こえた気がして。
次の朝、私はその姿見の前で倒れていたそうです。けれども、あのとき、姿見に写った私も、私へと右手を私に伸ばしていました。
果たして、あの姿見に写ったのは何だったのか。そして、もしもあの言葉が本当のものだとすれば。
この 私は、本当に私なのでしょうか。
さくり、さくりと音を立てて、シャベルを地面に突き立てる。何を掘っているのか、それさえも分からないまま、私は土を掘り続けていた。
やがて、かちりと音を立てて、シャベルの先端が何かに当たる。きっと、それが私の探しているものだったのだろう。丁寧に、私はその回りの土を少しずつどけていく。
「え……」
やがて、現れたのは白い骨。そして、文字の消えかかった、見覚えのある名札。
「私の……名前だ……」
だとすれば。
私が探していたのは、私自身だったのか。