大好きな君に
実家で柴犬を飼っていました。
家族にとって初めての犬、子供の頃に犬が欲しかったけど許可降りず、なぜか末子が大学生というタイミングで飼い始めた犬。
子犬の頃は鼻がぺちゃっとしていて小さなたぬきみたいだったし、手のひらに載せられるほどの大きさで、体が弱くてちょっと病気がちでした。
みるみるうちに成犬になり、ものすごく速く走れるようになったり鼻が前に伸びてばりイケメンになりました。
柴犬は飼い主との信頼関係は強いけど他の犬と馴染まないから、犬を遊ばせたり散歩仲間とかできにくいよ、と聞いていましたが、運命の出会いがあり満場一致で彼がうちに来ることになったのです。
前評判通り他の犬とは混ざらなくて、ちょっと買い物の間待っててねとつないでおいても、キリッとお座りをして不要なときは吠えない、頼りになる犬でした。
車に乗ると必ずと言っていいほど酔って生あくびが出るのに、ドアを開けると自ら飛び乗って助手席にお座りするほど好きでした。
彼の人生の後半から私や兄弟たちに子供が産まれ、里帰りでしばらくの間赤ちゃんと暮らす機会が何度もあったけど、彼は赤ちゃんやよちよちの子供に向かって吠えたりちょっかいを出すこともなく、不意に触られても怒らずに、共に生活してくれました。
私がお産で里帰りをした時、彼は最期の時を過ごしていました。
寝ている姿勢で過ごすことが多く、散歩も行けなくなって室内を数歩歩いてすぐに横たわってしまうような状態がしばらく続きました。
滅多に鳴かなかったのに、何度も鳴いたり吠えたりしていました。
私は子供に集中するようにと言われていても、一日中鳴き声が聞こえ、無視しているのもつらくて、体がキツいときに「もう鳴かないで!」って怒鳴ってしまった。
数日後に彼は亡くなりました。
あんなに鳴かない彼だったので本当にしんどかったろうと思います。
仕方ないよって思います。
タイミングとも思います。
でも、ただ怒鳴ってしまったという行為以上の苦さが残っています。
罪悪感がいつまでも残るのは、行為の客観的な重さと自分が下した罪の重さが釣り合わなくてもいいからでしょうか。
ひなまつり
夫がお雛様を出してくれました。
引っ越してきた今の家にはまだお雛様を置くに適した場所がありません。
そんなこともあって、私は「まー今年はしょうがないしょうがない」と思ってスルーしようとしていました。
夫がある朝「今日はお雛様を出します」となんや高らかに宣言し、あっという間に折りたたみの机などを駆使しテキパキと設置してくれました。
「場所が無い無いと思ってもやればできるものなんですね」とかなんとか言いながら、お雛様はやっぱり飾られたら本当に華やかでとっても可愛い。
家の中の空気がほんのり明るくなりました。
私には妹がいて、私の時に浮かれた祖父母から大きなお雛様をもらってしまい、妹が生まれて同じようには出来ずなんか濁され続けてきた実家だったので、お雛様はその家の娘の身代わりとかその娘を守っているとか聞くたびに、「うちのお雛様は誰の代わりなんだ」とモヤモヤしてきました。
ですのでお雛様に対する信心も育たず、「まー可愛いけど」で飾るにはでかいし高いし、ぐらいにしか思っていませんでした。
工芸品、美術品としては本当に美しいですけどね。
それでも歴史は繰り返し娘が産まれると、両親がお雛様を「あげたい」と言ってくれたのでもらいました。
思い入れもなかったはずなのにいざ選ぶとなったらお内裏様の顔をこれでもかと見ました。
美形かどうかよりもパートナーを大事にしてくれるかどうかという点で顔相判断に熱がこもりました。
結婚するとかしないとかは当然好きにしたらいいと思うし、自分の幸せは自分で決めて欲しいけど、パートナーいる時もあるかもしれないし、その時にはこの願掛けが功を奏してくれたらいいなと思います。
娘を理不尽に傷つける存在が現れたら夫が鬼の形相でギッタギタにしに行っちゃうと思うし私も釘バット持って参戦するし警察にご厄介になるしかないし夫婦で檻の中だし、そうはなりたくないので功を奏してくれたらいいなと思います。
お雛様頼むね、今年ひなあられもあげてなくてごめんけど。
たった一つの希望
今自分の中にある希望は心の中に住んでいるあの子を外に連れ出してあげること。
数年前に存在に気がついて、最初はすぐに見失って、たまに出会ってってしているうちに、私たちは友達になった。
彼女のことを外に連れ出したいって漠然と願っているけど、外に連れ出すってどういうことなんだろう?
最初は絵に描いてみたけど、うまくいかなかった。
その後布を切ったり貼ったりしてみたら、顔はできた。
ぜったいあの子だって思えてしばらくほくほくした。
でも、なんか外に連れ出した感がない。
造形できたらいいってことじゃないのか?
しばらく彼女を作るブームが去っていて、でも外に連れ出したいって願いが消えない。
もはや私の希望ではなく彼女の希望なのかもしれない。
「ううー」って唸りながら久しぶりに布を取り出し、今度は彼女の部屋を作り始めた。←今ココ
なんだろねこれは、どこがゴールなんだろね。
目的地がわかっていなくても、今の私にとってはこれがたった一つの希望のようなのです。
欲望
時と共に別人級に変わってきたのが欲望かもしれない。
自分を動かす原動力だったことは間違いなく、何かを得たとか失ったとか、右だった左だった、もう終わりだまた始まりだってさ、全般的に右往左往の彩りを与えてくれた。
大学受験の時、落ち止めとしていた大学のオープンキャンパスに行って、すごく印象が良かった。
入試のスタイルも独自性があってめっちゃツボだった。
今思えば私の心が動いていたのは明らかにその大学しかなかった。
受かったのに、他にも受けていた中で偏差値や人気が高かった学校を進学先に選んでしまった。
これも欲望によって起きた間違いだったのかな?
就職先の選択肢が多いよとかが念頭にあった打算的な選択だったと思う。
でも行きたかったのは独自性の方だったのに、そっちは欲望ってことではなかったのか。
そんな話を運転しながら息子と話してたらナビの案内聞いてなくて変なバイパス乗っちゃって、「降りられなーい!」ってわちゃわちゃして、息子が「その時18歳だったんでしょ、間違えたってしょうがないよ」ってポツリ。
「そうだね、でもね、オープンキャンパスに一緒に行ったママの友達は同じくらいの成績だったけど、この大学好きーってそこに行ったんだよ。18歳でも選べる子は選べるんだよ」って「賢いってそういうことだと思うんだよね」って話し続けてたら、「ママはナビの言うことを聞けるようになるといいよね」って、ほんまにー。
現実逃避
みんなの心の中、頭の中が円グラフで見ることが出来たら。
みなさんはどうかさっぱりわからないですが、私の心や頭は現実逃避している時間ばかりのような気がします。
もともと身体感覚が希薄でボォーッと生きてるし、私の中は星の動きや何度も流れる歌や心の中に住んでるあの子、アフリカから来るかもしれないバッタ、たまに地震への備え、世襲について一悶着、杉咲花さんの在り方などなど、私の現実と関係ないことで埋まっています。
しかしながらどういう理屈か、こういうことどもが噛み砕かれて砂つぶになって、砂時計の砂のようになったら、たまに出るよね、クリーンヒット。
ま、私のはほんとにたまにしか出ない。
他の人も似たような砂時計構造持ってるんじゃないかと思う。
そうするとよ、砂つぶが現実にヒット打てるてことはよ、この砂つぶを仕入れている時間は現実と呼んでも差し支えないのでは?
そんで現実とは?みたいな沼に入るでしょ、もうほら、延々と展開されるワールドのはじまり。
たいていはコロっとひとつ屁理屈が生まれて終わり。
私を1番現実に繋いでくれていると実感するのは、手を動かしている時。
布を触っている時、彫刻刀で彫っている時、ピンセットを握って息を詰めている時。
糸の切れた凧のような中身が地上に縫い留められる。
いいよいいよ、逃避とか言われるけど現実なんてそんな大層なもんじゃないよ。
みんなみんな大きな河が運んでいってくれるから。