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3/22/2026, 12:51:27 AM

「二人ぼっち」

もう30年も前になる。
私が高校2年生の時、学校の授業で「情報」というパソコンを扱う授業が始まった。
当時は、今の若い世代のように、デジタル機器が当たり前のように 学校の授業に取り入れられている時代ではなかった。
教えられた内容も、基本的なタイピングだったが、希望者は放課後に簡単なCG制作なども学ぶことができた。
私の家は貧しかったので、パソコンに触れる機会がなく、この機会にパソコンを学んで将来の仕事に活かせれば良いなと淡い期待を抱いていた。

情報の授業では、パソコンが備え付けられているパソコン室に移動するため、普段とは異なる席順になった。
私の隣の席になったのは、クラスで派手で目立つ存在の女子だった。
それまで関わることがなかった女子だったので、席順を知った時、小心者な私は帰りたくなった。
極力、彼女の視界に入って不快感を与えないように努めようとしていた。
その当時の私は女子にトラウマがあった。

中学1年生の時、仲の良かったと思っていた女子に「好きな子を教えて」と言われた。
当然秘密にしてくれるだろうと何の疑念も持たず、愚かな私は教えた。
次の日、私の好きな子を教えた 女子の口が、とても冷酷な言葉を放った。
「◯◯ちゃん、◯◯君のこと、気持ち悪いって言ってたよ」
信用していた女子は、勝手に私の想いを意中の女子に告げ、彼女の心中を恐ろしいほどの笑顔で代弁してきた。
自分が他者から見ると、気持ちが悪いと感じる存在なのだと、その時初めて認識した。

そんな経験があり、情報の時間で隣になった女子は当然のように私のことを嫌っているだろうと思っていた。
だが、情報の授業が始まると、その印象は大きく変わった。

彼女もパソコンを初めて触れるようで、電源ボタンの位置を私に聞いてきたことがコミュニケーションの始まりだった。
タイピングの練習の授業でキーボードの指定された文字がどこにあるかわからないというので、彼女のキーボードを指差して答えたり、「パソコンを消すにはどうすればいいの?」と聞かれては答えた。
当時の情報の授業では基本的に先生が教えるだけではなく、生徒同士が、教え合いながら補間していくという形式だったので、私語も大分許されていた。
毎回同じような質問をされては答えることを繰り返していたが、次第に将来の夢などのプライベートな話題をするようになった。
彼女はとても気さくな人だった。

彼女は臨床心理士を目指していると話してくれた。
当時の私は将来、就きたい職業などはまだ朧気で、実家から近く学費の安い大学に行くことだけを目指していた。
彼女の確固とした目的を持った生き方に心から尊敬の念を抱いたと同時に、彼女のことを最初は偏見の目で見ていた自分を恥じた。

情報の授業は、沢山の人がいたはずだ。けれど、私の記憶には彼女と二人で話をしていた温かな記憶だけが強く心に残っている。

彼女が今どこで何をしているのか、私にはわからない。
ただただ、彼女の幸せを心から祈っている。

3/18/2026, 11:58:14 AM

「不条理」

最近、私は比較宗教学に興味を持ち、浅学ながら各宗教の聖典と呼ばれるものを読んでいる。
その中で特に印象に残っているのは旧約聖書のヨブ記だ。
神は悪魔に唆され、ヨブの信仰を試すために、いくつもの試練をヨブに与える。
最愛の人や財産を失い、ヨブ自身も皮膚病を患う。
それでも、ヨブは信仰を失わなかった。
神は悪魔との勝負に勝ち、ヨブが失ったものを彼に還した。

宗教に特に触れてこなかった私のキリスト教についての認識はぼんやりと愛の宗教だと思っていたが、旧約聖書に書かれている神の姿は嫉妬深く人間に対し理不尽な行動をする描写が多い。
ギリシア神話に登場する神々も同様だ。

キリスト教が愛の宗教だと多くの人に印象に残っているのは、新約聖書に書かれたイエスの行動によるものだろう。
イエスは当時の社会で差別されていた皮膚病患者や生活をするために娼婦の選択しかなかった人々と積極的に関わり、恵みを施した。

イエスは当時の支配者階級であったユダヤ教徒の聖職者の謀略により、処刑される。
イエスはゴルゴダの丘でロンギヌスという名の兵士の槍に体を貫かれ昇天した。
イエスの全ての人は救われるという思想は仏教の親鸞聖人の考え方と似ている。

話はイスラム教の聖典であるコーランに変わる。
イスラム教は一夫多妻の印象が強かった。
コーランを読んでみると、妻を全員平等に愛せと書いてあった。
争いが絶えなかった当時の社会情勢を考えると、戦争で夫を失う女性が非常に多かったので、裕福な男が、夫を失った女性が生活に困らないようにするための保護する側面があったのだろうと推察するようになった。

ユダヤ教にキリスト教、イスラム教の神は同じ神だ。
同じ神を信仰する者同士が、今も争い続ける不条理はどうしたら解決できるのだろう。

私は多様な宗教と文化を自然に受け入れてきた日本人の特異な民族性が解決に導く重要な鍵になるのではないかと考えている。