『突然の別れ』
これほど悔いの残ることはないのではないか?
幼いながらに、ネット社会でもない時代
「白血病」になった祖父の入院は
すぐにお家に帰れると私は…信じていた
もう家に帰れないことを悟ったのは
保健室通いだった私が保健室の先生に話したときだ
「でもね、おじいちゃんは私に
すぐ退院するって言ったもん!」
それに対して、大人で、しかも保健の先生は
明らかに動揺していた…
その時だ…「白血病」とは、きっと
恐ろしい病気なんだと知った
だけど、後に分かったことだが祖父もまた
家に必ず帰れる!と信じてやまなかった
それは…本人に告知はしない!と
身内で話し合った結果だそうだ…
それを知ったとき、私は…無念でならなかった
我が子には私がもし、大病に侵されたときは
「嘘偽りなく、告知してくれ!
そして、脳死と診断されたときには、
使えるところは全て他の誰かのために使ってほしい!」
そう幼い頃から、事あるごとに伝えてきた
家族署名欄には、子供に署名してもらっている
事故等でない限り、余命一日であろうが
私は…最後まで悔いなく生きたい!
祖父の無念のためにも私は、そうしたいと強く思う
これは残された側の都合で決めていいことではない
決めていいのは自分じゃないか?
私にはわかったのだ…
祖父は例え死が早まろうとも家に帰りたかった
だから私に
「〇〇、おじいちゃんは早く家に帰りたいんだ…
もう、入院も点滴も嫌なんだよ…」って
唯一、弱音を漏らしたのかもしれない
みんなの嘘を本当は知っていて…
無邪気な孫に本音をさ…
それから
死に際は自分で決める!と私は決めている
自殺はよくない!
決して肯定はしない!
周りに迷惑かける、周りの人の気持ちは?って
それも十分、分かるのだけど…
自分のために生きているのだから
周りの人のためだけに生きる必要もない
と私は思う
うつ病を何度も繰り返している私からしたら…
そっち側の気持ちもわからなくもないのだ
だから
自ら死を覚悟したものは
大抵…遺書を書くのだろう?
頑張ってないわけじゃないんだよ…
もっと、もっと、もっと、もっと、もっと…
頑張れるじゃん!?って簡単に言うなよ!
頑張って、頑張って、頑張って、頑張って、頑張って…
それでも辛かったってことなんだよ…
それは本人にしかわからない
『突然の別れ』は本当に突然ならそれは仕方がない
だけど、そうじゃないなら
本人に決断させて欲しいと…私なら思う
私は…そうする
『恋物語』
そんなキレイな物語なんて…私にはない
私の恋はどの恋もキレイじゃないから
汚れてる
私は…そういう人間だ
恋と鬱は紙一重
ドキドキと動悸
ほんの些細なことで浮き沈み
何が違うの?
それに加え
更年期なのか?コロナの後遺症なのか?
わかんない体調不良が続いている
今日は全部しんどい日
そんなときもあるんだよな…
それはもう仕方ない!
私の恋は今後
何話まで続けられる?
何歳まで恋って出来るんだろうね!?
『真夜中』
幼い頃は暗くなるのが怖かった
高校の頃、霊感が敏感になり
まぁ…
その時代過ごした二軒の家に霊がいただけ!?
なのかもしれないが
これは良くも悪くも慣れる
大人になってからは
そこまで金縛り等は起きないけれど…
「あー、来たか…」程度
それと、居酒屋で働いたことがあるからか!?
『真夜中』は怖いというイメージは今は…ない
むしろ、昼間見るとボロボロな建物も
夜になるとキラキラ華やかになる様は
とても美しいとさえ思う
輝ける時間が限られている…
それが何故か自分と重なる気がするからだ
限られた時間の中で…
いかに輝く事が出来るのか!?
最近そんなことを思ったりする
『真夜中』は暗くてさみしい一面と
華やかだけれど儚げな二面性があるのかも知れないね
私は…いつまで、輝けるだろう?
命が尽きるその時まで
私は『真夜中』と共に輝いていたいと思う♡
『愛があれば何でもできる?』
うーん…そもそも
私が思う「愛」とは
・いかに相手を信頼し、心を許すことができているか!?
・自分が犠牲になってでも、その相手に幸せになって欲しいと強く想うこと
・つまり、自分の気持ちよりも相手の幸せを本当に心底願えるか!?
だと思っている
これは恋人に限らずだ
友人、家族にも「愛」は存在する
私は…両親や姉、夫からの愛は知らない
でも今はわかるのだ
子どもを産むことが出来た事が1番大きいだろう…
自分の何に代えても、この子達を守りたい
この子達のためなら、惜しみなく命さえ差し出せる
そう思った
特に先天性の病気を抱えた我が子を目の当たりにし
本来、新生児で見つかるべき病気が7歳まで発見が遅れたときだ
田舎の病院では見つけにくかったのかもしれない…
それは掛かり付けの医師にも謝罪された…
でも大きな病院で遺伝性が大きいと医師に言われ
自分自身もその病気だった可能性が出てきたとき…
自分は深刻に発症しなかっただけで
我が子に遺伝させてしまったんだと気がついたとき
申し訳ない気持ちと、どこにもぶつけることのできない悲痛
終いには…子育てに非協力的な夫に
「お前のせいで病気になったんだ!発見が遅れた!」と言われ…
私は…
『今までのこの子の痛みや苦しみが楽になるなら…
これからの人生、この子の足を引っ張ることになるのなら…
私の命を捧げます!』
と何度も何度も人知れず祈った、願った、泣いた
手術は成功したが、10年経っても尚、薬が必要だ
自己ケアも毎日続けなくてはならない
思春期に入って、薬の管理を出来なくなった途端
再発をして入院したりもした
それを怠ると…最悪、お腹に管を付けたまま
一生を過ごさなければならないのだ
でも、「今後の人生のことを考えると
薬の管理は自分自身でさせなさい!」と医師に指示された
確かに…
ずっと私が傍で見守ることは不可能なのだ
どうやったって平均寿命まで生きられたとして
私のほうが先にこの世を去る
私の犯した罪は、この子に遺伝させてしまったことだ…
それがこの題材の答えだ
『愛があれば何でもできる?』
想うこと、願う事、祈ることだとすれば「YES」だ
だが、
物理的に、科学的に不可能も有り得るのだから「NO」だ
だとすれば…
答えは『どちらでもない』
ただ一つ言えること
私の命と引き換えに、
この子が後遺症もなく、
一生健康に生きることが出来るのなら…
今すぐにでも迷いなく差し出す!
それは確かな我が子への「愛」だ!
それ以外の何者でもない
本来…親とはこういう生き物なんだと…
親から愛を貰えなかった私が
唯一誇れることなのかもしれない
『後悔』
『後悔』と「反省」の違いが分からなかったので
ググってみた
後悔=過去に起きてしまったことなどに、深く悩み囚われていること
反省=改善点を探るために振り返ること
了解!
で!?さて…
今までの人生は圧倒的に『後悔』だらけだった
自分がどれだけ不幸だったか?
それに囚われていた
だから何度も鬱が再発していたのかも知れない
が、今、私の周りの大切な人たちのお陰で
「反省」の期間を迎えている
昨日話したが、今私は…人生の有休休暇中だ
過去に囚われたところで過去は変わらない
人を変えようと努力してみたけれど、それも無理なのだ
それが例え、家族であろうが
当の本人に変わろうという自覚がなければ変われない
自分自身もそうだ
思うだけでは変わらない
それが今、深く理解しているところ
他人に求めるのは無理だということ
ならば自分が変わるしかない!
自分自身の固定概念や完璧主義
全部リセットしている最中だ
やれば出来る!とは即ち…
無理をしているということ
それにやっと気がついた今、
できない事はできない!と言うこと。
そして人に流されて、
好きじゃないものを好きと言うのも、もう止めた!
自分を保つこと★
今はこれを学んでる
自我をぶつけても、
ブレない君がいるからだろうね…
そういう仲間に、もっと早く出逢いたかったな
これは『後悔』ではなく「反省」だよ!
私は…これからどんどん生まれ変わり続けるよ★
『後悔』だらけの人生とはお別れ!