さと。

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3/31/2026, 1:19:45 PM

(テーマ:幸せに)


「———は幸せになりたいと思い、その申し出を受け入れました」

退屈な午後の国語の授業。
うたた寝をしていた私の耳に、その一節が届いた。

(幸せ…)

たった2文字の言葉に妙に惹きつけられた。

不意に顔を上げたせいで先生と目が合うが、そっと微笑んだだけで、彼女はそのまま朗読を続ける。




「幸せ、か」

もちろんその言葉は知っていた。
だがありふれた言葉で、特に意味をよく考えたことはなかった。

「どしたの急に?」

隣でお弁当を広げていたカズハが怪訝そうな顔で聞いてくる。

「私にとっての幸せって何だろうな、って」

「人生迷ってる感じ?」

「いや、幸せすぎるから、その秘訣を探ろうとしてる」

こうしてカズハと机を繋げて食事をするのは楽しい。
これは幸せだ。

ペットの猫が膝に乗ってきてくれるのは嬉しい。
これも幸せだ。

夕食後、家族でバラエティ番組を見るのは面白い。
これも確かに幸せだ。

「私の人生恵まれすぎてるから、幸せがどんな気持ちかよくわからないんだよね」

「皮肉かよ」

「そこで聞きたい。ずばり、カズハにとっての幸せは?」

メロンパンにかぶりついていた彼女の動きが止まる。

「…あんたほど幸せじゃないよ」

「人生迷ってる感じ?」

そっくりそのままの言葉を返すと、カズハはふっと頬を緩めた。

「まーね。親は喧嘩するし、私は兄妹の中でも出来損ないだし、勉強はつらいし。家族も、あんた以外の人間も、みんな嫌い」

「言うねー」

「事実だし、別によくね」と呟きながらまたパンを食べ始める

「……」

カズハは普段から態度はキツいし口も悪い。
私よりも全然友達は少ないし、1人でいるのもよく見かける。
きっと見た目の派手さのせいだろう。
でも私はそんな彼女が好きだ。
カズハが大好きなメロンパンを頬張る姿を見るのが、私は大好きだ。

「めっちゃ見てくるじゃん。なんかついてる?」

「んー?何でもないよ」

「ただ」と付け加える。

「私はもう一つ幸せを見つけられそうだと思って」

「見つけられそう?」

「そう」

にっこりと笑って、彼女の目を正面から見つめる。

「カズハが幸せになってくれたら、私は幸せだなって」

ぽかんと口を開けた彼女は「え?」と気の抜けた声を出す。

「私はカズハに幸せになってほしい。カズハが幸せになれば、私も幸せになる」

こういうの、なんて言うんだっけ。
すごく得ができるやつ。
確か、そう———

「一撃二鳥ってやつ!」

「バカ、一石二鳥だろ」

「あれ、そうだっけ」

そこで、カズハが「ふっ」と吹き出した。
つられて私も笑ってしまう。
さっきまでの、彼女の微かな暗い表情が消え、それが余計に私を笑顔にさせる。

「カズハ、もしかして、今幸せ?」

「ばれた?」

肩を揺らしながらカズハは言う。

「幸せが全くないとは言ってないでしょ。あんたと過ごす時間、全部私にとって幸せだよ」

そんな嬉しい言葉を、まっすぐに伝えてくる。

「あんたの幸せ、ひとつ増えたね」

「へへっ、幸せだ〜」



3/30/2026, 1:22:23 PM

(テーマ:何気ないふり)


あの子は、何でも食べることができる。
私の家にお泊まりに来た時、夕食のサラダをきちんと食べていて偉いと思った。

けど私は知っている。
本当は苦手なトマトを、頑張って食べていたことを。


あの子は、絵を描くのが上手だ。
六年生の時、賞状をもらってみんなに褒められていたけど、運が良かったなんて言っていた。

けど私は知っている。
一年生の時は絵が下手くそで、あの子が描いた犬の絵が、動物にすら見えなかったことを。


あの子は、笑顔が素敵だ。
愛想が良くて、みんなから好かれる、クラスの人気者。

けど私は知っている。
時々、誰もいないところで泣いていたことを。


あの子は、誰よりも心優しい人だ。
自分のことなど省みずに、頼まれれば誰にでも手を差し伸べる。

けど私は知っている。
あの子が心の底では怒っていることも、ずっと我慢してることも。


あの子は、私の親友だった。
ずっとそばにいて、私は彼女のことを誰よりも知っていた。

けど、私は知らないふりをした。
あの子の優しさに甘えて、縋って、でも私はあの子には何もしてあげられなかった。


私は、知らないふりをしているのが、楽だった。
私には、あの子のように何もかもを抱えることができなかった。

そして、あの子にはもう会えない。
遠い、遠いところへ行ってしまった。


「……ごめん」

もっと早くに伝えるべきだった言葉が、宙を漂う。

「知らないふりをして、見ないふりをして、ごめん…」

誰もいない隣にかけた言葉は、静寂に飲まれて消えていく。

その言葉はもう決して届くことはなかった。



3/29/2026, 2:20:57 PM

(テーマ:ハッピーエンド)


主人公が悪役を倒してヒロインを救う、なんて話はありふれていて、王道だ。
その中で毎回倒されるのは悪役。
推理小説でも異世界ファンタジーでも悪役は負かされる。全てではないが、まあ大抵そうだろう。

みんな、ハッピーエンドが好きなのだ。

「はぁ…」

スマホの電源を切って、ベッドに投げ捨てる。
人気アニメの最終話。
予想はしていたがまたしても主人公の勝利で、悪役である魔王はというと、これでもかというほどコテンパンにされて消滅した。

「主人公って、何でこんなに思想強いんだろうね?」

「んにゃあ」

床の上で長くなっている猫に聞いても、気の抜けた声しか返ってこない。

主人公は大義を持って悪を制する。
悪役も大義を持って主人公の一味を迎え撃つ。
それなのに、悪役は非難され、罵倒され、倒される。

「悪役だって悪いだけじゃないのは周知の事実だけど、いつだって読者は主人公を応援するよね。ほぼ無意識だろうけど」

猫からの返事はないが、それがかえって私に文句を漏らさせる。

「悪役を主人公にした話もあるけど、それだと正義の立場にいる奴らと和解するエンドになるし…。たとえ悪役が正義を打ち倒しても、多分バッドエンドと呼ばれるだろうし…」

窓の隙間から生ぬるい風が吹いてきて、カーテンを揺らす。
外は夕焼け色に染まっていて、どこかの家の夕飯の匂いが風に乗って流れてくる。

「私がまだ読んでない話もたくさんあるのはわかってるんだけどね。それでも、やっぱり…」

世間一般的に悪役は受け入れられないものだ。
そもそも悪と定義するのは、世間の多数の声。
多くの人が悪に反対するのも頷ける。

わかってる。
わかってるけど。

「父さんは、やっぱり…」

悪じゃないとは言えない。
悪いことはした。
でも、それは母さんのためだ。

物語では悪役を悪役たらしめる出来事が描かれるのはよくあることだ。
そして、同情を誘うものも多くある。

けれど、悲しい過去のある悪役であっても、負ける運命にあるのだ。

「あんまりだよ…」

私の父親は、小さな商店を襲って金を奪い、押さえつけてくる男たちを、隠し持っていた包丁で傷つけ、その後逃走した。
お金が用意されたことで、母は手術を受けられた。

それからすぐに父は捕まった。
治療を受けた母は回復したものの、父のしたことに涙を流していた。

思い立ってからすぐの犯行だったのだろう。
家に警察が訪ねてくるまでは、そう時間が経たなかった。

馬鹿だ。
そう、馬鹿なのだ。
貧乏な家庭のせいで、母が病気で手術を受けなきゃいけなくなったが、お金がなかった。
そうなってすぐ、父は金を盗むことを考えた。
工場での稼ぎでは到底足りなかったそうだ。

父は自分の最愛の人を守るために、他者を傷つけた。

本当に、馬鹿で、盲目的で。
暴悪で、不埒で、卑劣で。

でも、愛だった。
父の、母に対する愛だった。

部屋に影がさしていく。
段々と暗く青く染まっていく。
明かりをつける気にもなれず、ぼんやりと頬杖をつく。

「…あ、そっか」

何となく、わかった気がした。
いや、多分分かっていたけど目を逸らしていた。

みんな見たくないのだ。
暗い話や考えさせられる話は、向き合っていると疲れてしまう。
だから自然と、楽で幸せなハッピーエンドを望んでしまう。

猫背になっていた体を起こして、限界まで伸びをする。

お腹が空いてきた。
今日は何を作ろうか。

椅子から腰を上げて、キッチンに向かう。

ハッピーエンドは表向きの、世間体での幸せな結末でしかない。
その裏に、どんな悲しい出来事や残酷な事実が隠れていても、それが少数ならバッドエンドにはなり得ない。

でもそれでも良いのかもしれない。
いつまでもうじうじ考えてもいられない。
だってお腹は空くのだから。



もしも仮に、これが物語だったら。
ハッピーエンドになるのだろうか。それともバッドエンド?
その区別の仕方は、読み手によって変わるのかもしれない。
なら深く考えても仕方がない。

お腹がが空いたなら、ご飯を食べる。

それくらい単純に考える時があっても、良いのかもしれない。