田中 うろこ

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7/14/2025, 3:14:59 AM

『隠された真実』

 冷たく湿った風が、後ろから吹き、そして去る。もう直に雨が降る。木々がざわめく音が、壮年の耳を占めた。寒いはずなのに熱はこもって気持ちの悪い夕時に、彼の友人は傘を差していた。 
「……お前、なんでここにいんの」
「聞き出した。お前の親友に」
「どして……わざわざさ」
彼はもう、ここにいてはいけないはずなのに。
 建物を出ると、駐車場までしばらく歩く。水溜まりのない道を、彼はここまで傘をさしてきたのか。それもどうして、わざわざ、今日に。
「昔だったら、そこで噛んでたよ」
「うるさいな。何年前の話だよ」
「俺がいたときの話って言えばわかるかな」
「…………古」
 キザな言動も何一つ変わらない。ただ一つ変わったとすれば、服装が大人しくなった。それは残酷なほどの時の流れ。
「だから、なんでここにいんのって」
「5年前の今日。雨が降りそうだったから。」
「……お前が辞めた日?」

 5年前も湿った風が吹きさらし、今より少し幼い木々の若い葉たちがざわめいていた。その日彼の友人は仕事をやめて去っていった。その日は彼が行って暫くしたあと、道路が冠水するほどの大雨が降った。壮年の追いかける気も失せていた。
「君に傘を渡したかった」
「……オレのセリフじゃないの、それ」
真っ赤な傘が強風に揺れる。冷たい風は火照りを扇がず、湿気が肌にゆるく張り付く夕時に。
「俺、二条のことが好きになった」

あまどいに大きな水滴がひとつ、落ちる音。
それを皮切りに、堰を切ったように溢れる。

「そんなつもりなくて。でも、そっけないお前がめっちゃ笑うとこ、いっぱい食べるとこ、指が細くて器用なとこ、でもリボンは結べないとこ」
  愛しそうな目で見つめて、苦し気な声で伝えて、その言葉一つ一つが降り注いでくるかのようで。二条の友人は、感情をもう隠せなくなったらしく、とめどなく溢れてくるようだった。
「待ってよ」
 言葉、言葉、言葉。言葉が壮年に、二条に降り注ぐ。三十七にもなるとこんなにストレートに言葉を浴びることはない。顔がみるみるうちに赤くなった。
「雨に濡れるから傘持ってけって、言おうとしてくれてたんでしょ」
「なんでそれ、知ってんの、待ってって!」
「……だって赤なんて、二条好きじゃないから」

「好きになったんだよ、篠田のせいで。…………そうだよ、あの傘は、お前の為に置いといた。けどお前逃げちゃうし、雨降るしさ、もう終わり」
「じゃあ、今日だけ一緒に帰ろ」
「バーカ野郎、マジで俺お前きらいだわ」
「……傘、入ってよ」「ん」

篠突く雨、酷く地面に打ち付けられる。その跳ね返りはグレースーツの足首に優しく滲みを作った。

7/10/2025, 6:23:17 AM

隣の席の人モテます、周りに人集まります、僕は入れません、死にます、この思い届いて 
頼む、どっか人と話さない席が空け…

7/8/2025, 2:49:59 PM

【あの日の景色】
あの日君は、見上げるほど大きくて、夕日の坂を一緒に降りると、先に歩く君が逆光できらきら光っていて、美しくて。何年経っても、瞳を閉じるとまぶたの裏に、目の前に大きく広がる夕陽の鮮光と、その光に透けてきらめいて揺れる髪。僕は一生を君と添い遂げるために産まれてきたのだと勘違いするくらいには、くっきりとしたフィルムがずっと貼り付いている。
歩幅は僕よりずうっと大きくて、ズカズカ進んで自転車を転がしては、僕の方を嬉しそうに見て待つ。その目に含まれている慈愛がいつしか身を蝕んでくるようになったのは、自分を呪いたくなるところだ。慈愛よりももっと深く、熱く求めて欲しいと思ったからだ。僕なしで生きられなくなればいいのになんて、およそ小五で抱く感情ではない。それでも、その当時は悪い事だとは思えなかった。愛は深くて大きいほど、良いものだと思い込めていたからだ。
「おーい、もう追いついたよ?」
それから五年後、高校一年生。君はもう社会人で、自転車を転がさない。その代わりに僕が自転車を転がす。成長期を終えると、クラスでは誰にも負けないくらい背が伸びた。君よりほんの少し大きいくらいの背、ちょっと長い足で君を真似ながらズカズカ歩く。君は疲れていそうな顔でゆっくり着いてくる。夕暮れの帰り道はあの日よりもずっと短く感じて、少し寂しい。だから、あの日の景色を思い浮かべて、君を待つ。
「まさか追い抜かれるとは思わなかったよ〜」
そう言いながら、重たげなカバンを僕の自転車のカゴに乗せて、小走りで僕の前へ出た。
「ちゃんと前を見るんだぞ、少年!」
そういう笑顔は、昔と何も変わらない。そして僕はハッとした、今の君を、まるで見られていないこと。目の前にいる君は、大人になった、僕よりずっとだ。だから、一生追いつけない。
「……よし! よくできました!」
僕より低い肩から手が伸びてきて、頭がよしよしと撫でられる。いつまでたっても、君は君でしかない。だから僕は、君をずっと大好きなんだ。


7/4/2025, 3:08:11 AM

『遠くへ行きたい』

7/1/2025, 4:57:47 AM

 分からない。分からない。分からない。
みんなの気持ちなんて、全然分からない。ひた長い歩道を突き進む。足がちぎれそうになる。怒りで握った拳が痛い。自分の機嫌を取るためのネイルに刺されて、血が滲むままに進む。
 分からない。意味も意図も結果も何もかも。その全てをぶち壊しにしてしまいたくて、だけど拳を痛めたいとも思えなくて、全てを投げ出して来た。二駅分も衆目に晒されることが耐えられなくて、歩いて歩いて歩いてきた。
 もうアパートは目の前である。

 くしゃくしゃのシーツに散乱する服たちが、いかに杜撰な生き方かを証明してきて生意気だ。鍵を掛け忘れた。軽く扉をこじ開けて布団に倒れ込む。布団の柔らかさだけが私の味方だった。
 今は、なんでこんな私なんかに優しくしてくるのだと、怒り心頭足まで怒りで満たされている。窓も開けっ放しだったらしく、白のレースカーテンが小癪に舞い踊っている。

「あああああああああああ!!!!」

 気がつけば、血のにじむ爪で、痛む拳で、ちぎれそうな腕でそのカーテンを引きちぎっていた。ビルも窓もカーテンですら誰も遮れなかった夕日がこめかみを突き刺した。眩しくて、直視出来なかったから。びりりと言ったカーテンの断末魔は頭から離れず、助けてと心で泣いた私の声すらもかき消していくようだった。

地面に散乱する白い布切れは、私の最後の善性で、私に残った最後の、天使の羽。私が天使であったとは言わないが、天使であれる可能性が、今に完全に毟り切られたのだ。

『カーテン』

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