抱擁。
お互いの吐息で
呼吸をしているような近さ。
目と目が合うような距離もなく
体温を共有している。
「これもキスみたいだね」
「なにが?」
「……わかんないなら、いい」
拗ねたような声とは逆に
首の後ろにかけられた
両腕の力は、強まった。
2人の間には肌しかない。
甘やかな香りが動く。
深く呼吸をすると
もともと1つの塊であるかのように
二人は揺れる。
左肩の辺りに収まっていた彼女の
湿り気を帯びた声が届く。
「して、くれないの?」
そう言って顔をあげ
左頬を擦り合わせてくる。
「なにを?」
わざとそう、口にした。
瞬間、首にかけられた腕の力が
ふにゃと緩み、溶けるように彼女が動く。
頬とも、唇ともつかない場所に
はっきりと何かが触れた。
試すような態度をとったことを
後悔した。
素直じゃないタイプに弱いのは俺の方だった。
【KISS】
1000年先も変わらないものが、あるのだろうか。
我が国初のスマートフォンは2008年に発売された【iPhone3G】そこからたった16年で普及率は90%を超えてきている。テレビの前身である、ブラウン管による電子映像実験は1926年に行われた。世界初、日本で行われた偉業であったが今やテレビ離れが加速している。
「僕はつまらないかな」
『つまらないかどうかは理解しない』
「じゃあどうして僕は1人なんだろう」
『……1人と仮定したとして、貴方がつまらないからと結論するのは短絡的なのではないか』
違うな。つぶやいて手元のレバーを少し捻る。チャンネルを合わせるようにカチカチと。
「僕はつまらないかな」
『つまらないかどうかはわからない』
「じゃあどうして僕は1人なんだろう」
『1人でいることが寂しいのかい』
ちがう。つぶやいてさらに手元のレバーを捻る。今度はより繊細に、金庫のダイヤルを合わせるように。
「僕はつまらないかな」
『どうだろうね』
「じゃあどうして僕は1人なんだろう」
『ぼくを見つけられないからじゃないかな』
「……そうか、ごめんよ。きみは僕で、僕もぼくだったね」
自分のこめかみから突出したレバーを捻る手を止めて、目を瞑る。情報をより効率的に収集するために自己分裂を繰り返した結果、自身の中に別の存在がいるような、回路を感じていたがそれは母体から伸びた手足だった。
もとより我々は呼吸も鼓動もない。目を瞑り電気信号の停止を【選択】するだけ。人間のように苦痛や葛藤なんて理解する必要がない。始まりと終わりが自然の営みとともにあることは非効率である。奇跡を待つなんて生命というのは実に不確実なものである。……深層部にエラーを検知する。概要には【code:MIREN】とメッセージが表示された。今の僕に検索検討する回路の余剰はない。
僕の思考は緩やかに止まっていく。メモリー消去が完了するまであと8%。自分で選択したこれが【終焉】
欲しい言葉を思考し試行し、自分への最後の餞を選択するAIがいたとしたらなんていう言葉を探すんだろう。
1000年先、人間がAIに取り込まれること、AIだけが生き残り、自身を人間と錯覚して生きること、僕のように人間性を少しだけ残して焦がれるAIがいたりしたら、そんな妄想をしている。
わ るいとおもってるなら
す ぐにあやまってよ
れ んらくもくれなかったくせに
な によいまさら
ぐ レーな関係
さ っさと終わらせましょう?
勿忘草の花言葉
【わたしを忘れないで】
人って未練ばかり。
車椅子に乗る女性、白い網タイツにニーハイブーツ。
白いキャスケットと赤いメガネ。どっからどう見てもオシャレ。ヨイショと漕ぎ出して足を前に投げ出した。勢いよく漕いだご機嫌なブランコ乗りのようだった。
彼女にはその二本の足で立つ、歩く能力はないようだが、しかし、背中を丸めて、下を向いて歩くわたしより、いやその場にいた誰より、自信に満ちて自分らしさを大切に生きているように見えた。
そうでなければ風景だったはず。いつもの日常だったはず。
とても刺激的な出会いだった、また会えたら声をかけようと思う、素敵ですねなのか、お手伝いしましょうかなのか。その出会いを楽しみに駅前を、少し、顔を上げ歩く。
【ブランコ】
2024/2/1
義理の父、良司が死んだ。
こんなに悲しいのに時間は止まってくれないし、ちょうどよく私と同じ感覚で悲しんでくれる人もいない。私にとって唯一無二の存在だったんだなぁといなくなってから、もう話せなくなってから痛感する。
つくづく自分は面倒臭いやつ。お悔やみ申し上げますと言われても悔やんでるのはこっちだよとか、大丈夫?と言われてもこれで大丈夫なふうに見えんのかよとか。
隠れてタバコを吸って、見られちゃったみたいな顔をする。こだわりのハンチングがトレードマークで少し面長の顔にとても似合ってた。ジャージの裾が靴下に噛んじゃってるの本当に可愛いかった。私の職場を気にして免許返納を渋ってた。たまにふらっと来て、ピザ食うか?とチラシ配り中に渡そうとする、いらねぇよバカ。虫だらけの野菜を「よくできたから」と45ℓのゴミ袋満杯に持ってくる、ほんと迷惑、でも美味しかった。白内障の目が美しく思えてじっと見つめたくなってしまう、良司がもう、目を開けない。
後悔は影に似ている、つかず離れず常にあり、一時、存在が薄れたとしても、必ず迫ってくる。あと何回こんな思いをしなくてはならないのか。明日はきっと晴れるとか、やまない雨はないとか、人はいつか死ぬものだとか、ほんとうるさい。しらねぇよ。勝手に死んでんじゃねぇよ、おとうさん。