「どうして読ませてくれないの?」
「これは僕のなんだ」
「そうだけど、私にも関係のあることでしょ? いつでも見ていいって言ったじゃない」
せまい室内での攻防、必死に伸ばされる手を避けて本はパラパラと捲られる。
一枚目。白紙。
二枚目、三枚目。白紙。
白紙。
白紙。白紙。どこも真新しい頁。
「何も書いてないじゃない」
「…………」
少年は確かに言ったのだ。各関係者へ、机のうえに置いてある本はいつでも開いて見ていいと。他人に読まれてはじめて、完成するものだからと。
「もう書き終えたんだ」
「どういうこと?」
「だから……」
本は完成した。わざわざ書き残す必要はなくなった。他人に読まれる必要もなくなった。
伝わらない前提で、少年はかろうじてそのような説明をした。
「……なるほどね?」
少女が辺りを見回し、床に転がった筆記具を手に取る。ノートは閉じた状態で机のうえに戻された。軽い筆跡が表紙を滑る。
『日記』と。
「……日記」
「そう。日々の記録を、自分のために書いて残すって意味」
ペン先に蓋。
「今から、この本は誰にも見せなくてよくなったの。日記にはとても個人的なことが書かれるでしょう? その人の感情や秘密、心のなかを無理に暴こうなんて誰も思わないわ」
戸惑っている少年へ日記帳が渡される。完全に私物となった本を見下ろして、彼は知らぬ間に息をついた。
その様子を少女は見ていた。
「でもね、ひとりで書いていて寂しくなったら、いつでも呼んでいいからね」
少年が深く頷いた。
【閉ざされた日記】
口笛ふけば
枝葉のすみから すみまで絶え間なく
林の喧騒 巻き上げて
暖を根こそぎ攫ってく
お願いだから樹皮は剥がしてあげないで
窓のうちから叫ぶ声
そんなところから聞こえないわ
あなたも支度を始めたほうがよろしくて
【木枯らし】
太陽の光を浴びて
自然界に溶け込む。
「ずっとここにいればいいのよ」
となりで彼女はひざを抱え、傾けた。
裾に縫いつけられたフリンジが流れるように、
髪束が空を透いてゆく。
「そうしたら悩みごとなんてなくなるでしょう?」
彼女の視線と、
「悩むことは嫌いじゃないんだ」
綿毛が交差し、遥か彼方へ。「生きている感じがするから」
「その生きているっていうのは、存在意義のようなもの?」
彼女が姿勢を崩して「辿り着ける場所なんて無いわ」「ここにいてくれるだけでいいの、それだけで」
フリンジがばらばらと散る。
「充分よ」
潤いの目。唇。地面に縫いつけられた手、降りてくるカーテン。
空が見えないと不安になった。
「もう行くよ」
別れを告げて
幕引きを止める。
「……手を離してくれないかな」
空には薄い雲が掛かっていた。
「あなたのことを語り継ぐわ」
「どんなふうに?」
「病弱な幼なじみを捨てて村を出た、最低で、夢見がちな英雄。彼は紫の美しい瞳をもっていたって」
思わず振り返ると、彼女は陽だまりから手を揺らし微笑んでいる。
【美しい】
天然由来の油でギトギト
ほんのり甘いベール被せて
丸めて見せた綺麗な面
どうぞお好きに
白餡 黒餡 ときには辛味
知らない用語を使わないで、難しい意味を解説しないで、
噛み砕いたら歯が欠けちゃった
極彩色のタールと化した
複雑で単調なマーブル模様
【この世界は】
何度も何度もアラームかけた
眠くないのに起きあがるのは十分前。
玄関に置いてあったのに忘れた
鞄に入れては別の鞄を手に出掛ける。
人生うまくいかないどころか
日々の営みにつまずいている、
人間讃歌
なんともいじらしい、
ヒトは愛される素質があると。
愛をもとめて進化しながら
愛をみつめて退化してきた。
イヌやネコ、空や海
知らないだれかの愛からうまれ
何億光年と謳われている
問いかけたって返ってくるのは
あなたは愛されているとの詭弁ばかり
【どうして】