クラリネット🎼

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12/4/2024, 2:26:15 PM

《正夢》

 2年前の1月28日午前8時頃、私の志望校の受験日。

 No.196という名札を手に、受験会場にいた。

 なんとも言えない緊迫感が教室内を包む。

 同じ中学の子も何人か見かけた。3年間共に過ごしてきた仲間であってもここでは敵同然。

 こんなにも長い時間をかけて積み重ねてきたことが、このたった一つのテスト50分間で無駄になるかもしれないと思うと手が震えて冷や汗が止まらなかった。

 泣いても踠いてもここで全力を出し切ってやる、と覚悟を決めてチャイムと同時にペンを動かす。
 
 受験が終わって、一緒の会場にいた友達と「お疲れ様」「疲れたねぇ」とかいつも通りの言葉を交わしながら帰った。

 さっきまではライバルだったのに今ではいつも通り友達に戻っているのがちょっと不思議な感覚だった。
 
 その日の夜、夢を見た。受験に落ちる夢。見たくもなかった。そりゃそうだよね。

 その夢は正夢になった。まるで未来予知していたかのような、「お前は受験に落ちてるんだよ」と、夢に現実を突きつけられた気分。
  
 受験人数が多かったから仕方ないだの倍率が他より高かったからしょうがないだの、当時は言い訳の言葉を色々並べていたけど、あれはただの現実逃避に過ぎなかったなと今では思う。

 努力だと思っていたものは違ったんだと分かった時には、悲しいよりとても辛かった。

 塾とか講習に毎週通わせてくれた親にも、夜遅くまで補習をしてくれた塾の先生にも、謝っても謝りきれないぐらい本当に申し訳ないと思った。
 
 でも私にはどうしても叶えたい将来の夢がある。
夢が叶うその日まで努力し続けようと、卒業証書を手に母校の門をくぐった。

お題: 夢と現実
  
 追記・ 今年、受験生の皆さん頑張ってください!お節介ではありますが、頑張る受験生にエールを送ります。頑張れーー!!

 
 

12/1/2024, 12:19:11 PM

《歩幅》
   
 幼少期は同じだった。 
 
 小学生の頃も。

 中学生もまだ話せる距離。手の届く距離。
 
 中学の卒業式、「またね」という言葉を最後にそれぞれ別の高校へ。「また」なんてないと、薄々わかっていた。

 歩幅が変わる。距離が遠退く。貴方と私は成長していって、それに合わせて距離も遠のいていった。

 高校生になると、もう私の声は届かなくなっていた。あなたが遠くに行きすぎて。それとも私が遅かっただけ?私がだめだったの?
 
 今頃になって気付いて、途端に涙腺が緩んだ。

 「私を置いていかないで」なんてそんな言葉、もう遅すぎる。またねじゃなくて「さようなら」と言っていれば少しは楽だった?

 もう届かないし聞こえない、そうと分かっても面と向かって言いたかった。

 「ずっと好きだよ」

 お題: 距離
  



 

 

 




11/28/2024, 2:38:34 PM

 《いつもあってないようなもの》

 朝はあるのに、帰って来てみるといつもない。
 
 そう、ない。

 なんでだろう、時間帯を変えてみるとそれでも

 ない。いつもない。そんなのいつもあってないようなもの。

 だから私は言うのです。

「勝手に食べないで、私のワサビの柿ピー!」

 でもいつもない。だから帰り際に買って帰った。

 でも何故かそういう日はある。

うまくいかないもんだなぁ、、、

お題: 終わらせないで

11/26/2024, 1:33:48 PM

《ズボラ化してしまった女》

 微熱といえば、幼少期の頃はずっと微熱だった気がする。それか、世の中37℃台が微熱だっていう観念があるからでしょうかね。

 どちらにせよ、まるでわんぱく男子のように冬でも秋でもお構いなしに半袖を一年中着ていたものだから

 もはやあれが微熱か平熱かなんてどちらもありえる気がしてきた…

 今となっては、ちょっとでも寒いとヒィヒィ言いながらこたつに直行するようになってしまいましたが。

 こういうのを今のご時世、多分ズボラ女子という呼び方をする。

 お題: 微熱

11/25/2024, 1:26:49 PM

《またいつの日か》
 
 私と私の幼馴染は小中高と同じ学校。私達は陸上部に所属していた。
 
 運動神経が良く、いつもニコニコしていて、私と違って初めてのスポーツでもなんでも出来るタイプのいわゆる体育会系女子の幼馴染。
 
 もともとスポーツがあまり得意ではなかった凡人の私。

 同い年なのに、何故か天地の差と言っていいほど、あの子は偉大な存在に感じた。

 あれは確か中学2年生の頃、友人が全国大会を前にして足を怪我してしまった。パックリ膝が割れて骨が見えそうだった。病院へ行くも既に遅く、神経が切れていて大会どころか今後歩けるかどうかも危ういとのこと。

 それから幼馴染は車椅子生活。歩けなくなった現実を受け入れられなかったようで前のような明るい彼女はもう見られなくなった。無理もない、だって、走ることが生き甲斐と言っていいほど陸上を愛していたのだから。

 ある夏、私は「全国大会準優勝」という賞状を手に表彰台の上に立ってメダルを掲げていた。

 テレビの生中継を病室で見ていた友人は満面の笑みを浮かべたそう。

 お題: 太陽の下で

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