《良いお年を》
マイナス思考な私が来年の事を考えると不安が8割ぐらい。でも2割ぐらいは来年を心待ちにする私がいる。
あと30分もすれば一年が終わる。
初っ端から悲しいことばかりだったけど、終わり良ければ全て良しということで、来年も私なりに良い一年にしようと思います。
素敵な思い出をありがとう、2024年。
HAPPY NEW YEAR!
《クリスマスの過ごし方》
特に変わらない、いつも通り。
ただ今年はアドベントカレンダーを買ってきたから、“25日”の最後のチョコをホットミルクと一緒に食べた。
私のサンタが来る日はやってくるのかな。
《戦場のメリークリスマス、祖父のくれたプレゼント》
戦争など関係なく”サンタさん“はやってくる。
例えそこが戦場だったとしても。
私の住む日本は平和で戦争も今はない国だけど、そうでない国は沢山ある。
日本に生まれてこれたことを本当に嬉しく思う。
クリスマス休戦というのを聞いた事がある。本当か定かではないが、第一次世界大戦中、ドイツとイタリア兵がクリスマスイブとクリスマスの日に一度、戦争を休止してクリスマスを祝ったというお話。
それは兵士たち自らがやった事だったそう。
兵士たちの「戦争なんてやってらんねぇ」というせめてもの心情表現だったのかなと思うと戦争の残酷さを再度理解できた。
お父さんが出兵でいないクリスマスなんて経験したこともないし想像ができない。
世界中の人々が笑顔になる日を願って、メリークリスマス。
お題:プレゼント
《正夢》
2年前の1月28日午前8時頃、私の志望校の受験日。
No.196という名札を手に、受験会場にいた。
なんとも言えない緊迫感が教室内を包む。
同じ中学の子も何人か見かけた。3年間共に過ごしてきた仲間であってもここでは敵同然。
こんなにも長い時間をかけて積み重ねてきたことが、このたった一つのテスト50分間で無駄になるかもしれないと思うと手が震えて冷や汗が止まらなかった。
泣いても踠いてもここで全力を出し切ってやる、と覚悟を決めてチャイムと同時にペンを動かす。
受験が終わって、一緒の会場にいた友達と「お疲れ様」「疲れたねぇ」とかいつも通りの言葉を交わしながら帰った。
さっきまではライバルだったのに今ではいつも通り友達に戻っているのがちょっと不思議な感覚だった。
その日の夜、夢を見た。受験に落ちる夢。見たくもなかった。そりゃそうだよね。
その夢は正夢になった。まるで未来予知していたかのような、「お前は受験に落ちてるんだよ」と、夢に現実を突きつけられた気分。
受験人数が多かったから仕方ないだの倍率が他より高かったからしょうがないだの、当時は言い訳の言葉を色々並べていたけど、あれはただの現実逃避に過ぎなかったなと今では思う。
努力だと思っていたものは違ったんだと分かった時には、悲しいよりとても辛かった。
塾とか講習に毎週通わせてくれた親にも、夜遅くまで補習をしてくれた塾の先生にも、謝っても謝りきれないぐらい本当に申し訳ないと思った。
でも私にはどうしても叶えたい将来の夢がある。
夢が叶うその日まで努力し続けようと、卒業証書を手に母校の門をくぐった。
お題: 夢と現実
追記・ 今年、受験生の皆さん頑張ってください!お節介ではありますが、頑張る受験生にエールを送ります。頑張れーー!!
《歩幅》
幼少期は同じだった。
小学生の頃も。
中学生もまだ話せる距離。手の届く距離。
中学の卒業式、「またね」という言葉を最後にそれぞれ別の高校へ。「また」なんてないと、薄々わかっていた。
歩幅が変わる。距離が遠退く。貴方は成長して、私はしないまま。
高校生になると、もう私の声は届かなくなっていた。あなたが遠くに行きすぎて。それとも私が遅かっただけ?私がだめだったの?
今頃になって気付いて急に涙腺が緩んだ。
「私を置いていかないで」なんてそんな言葉、もう遅すぎる。またねじゃなくて「さようなら」と言っていれば少しは楽だった?
もう届かないし聞こえない、そうと分かっても面と向かって言いたかった。
「愛してる」
お題: 距離